第11話疑問

 己の主君であり、伝説と謳われたドク・クレイムの敗北。あまりに衝撃的な結果に家臣たちは目を疑った。しかし、思考停止状態になったのは一瞬で、すぐに敵討ちをすべく、各々の刀を構える。ここで腑抜けてしまう者はいない。ドクは自身の家臣たちにそのような気骨ある教育を施していた。


 だが、身体のいたるところを斬られ、満身創痍なラットへたった一人近づく者がいた。スフィアである。彼女は既に顔を涙で覆っていた。抑えていた二人の武士はドクが倒れたことで思わず放してしまい、気がついたらラットとスフィアの距離は二、三歩というところまで近づいていた。


 スフィアは戦いを終えた直後でまだ息が荒いラットと目を合わせた。両者とも決して目を逸らさない。二人の関係を考えれば、気まずさや憎しみで合わせることなんてできないはずなのに。意地と言うよりも義務のように、二人は見つめ合った。そしてスフィアはラットとの距離が近いけど遠い気分になった。物理的には限りなく近いが、どうしても果てしなく遠く感じる。錯覚に過ぎないと分かっていても、そう認識してしまう。


「……ラット」


 スフィアが呼んだのは、仇であるホークという名ではなく、半年世話になった男であるラットの名。初めは信じたくなかったけど、今ではラットがホークであると認めざるを得なかった。それから、彼女は形見である小太刀を両手で掴んだ。全身が震えてしまう。


「今なら、俺を殺せるかもな」


 端的に事実を述べるラット――歯の根ががたがた鳴るのを、スフィアは止められなかった。今まで自分を襲おうとした人間を返り討ちしたことはある。エンドタウンで自衛のために怪我を負わせたこともある。でも、自分から人を殺そうと試みることや実際に殺そうとしたことはなかった。常に受身で自発的に殺そうとしてこなかった。


「ふ、ふざけないで……」

「ふざけていない。お前が殺さなくても、周りが許さない」


 じりじりと武士たちがこちらに寄ってくる。一斉に飛びかからないのは、スフィアがいるせいではなく、ラットが伝説の武士であるからだ。いくらドクと戦った後とはいえ、いくら身体中に傷を負っているとはいえ、文字通り窮鼠猫を噛むことはあるのだ。


「さあ、やれ」


 ラットは迷うことなく、目を瞑った。顔が引きつるのを、スフィアは止められなかった――


「なんだお前ら!」


 スフィアが何かを言おうとして、結局言えずにいたとき、後ろから怒号が聞こえた。スフィアは振り向き、ラットも目を開けた。その先には、赤い鎧を着た武士の集団がクレイム家の修練場に乱入する姿だった。その数、二十、いや三十。


「てめえら、何者だ!」

「ここがどこだか、分かってんのかこらあ!」


 クレイム家の武士たちが喚く中、鎧の武士たちに守られながら、外から入ってきた者がいた。かなりの巨漢。五十代半ばに見えるが、かなりの筋肉質でルーモアの主人、ジークよりも贅力がありそうだ。髷を結っていて額に鉢巻をしている。黒みが入った赤――れんじ色の鎧。肩には大きすぎる名刀を担いでいる。それは斬馬刀と呼ばれる、扱いが難しく怪力でないと振れないとされる逸品である。その男の目つきは悪く、隈も縁取られていた。


「……アイラ・ローゲン」


 ラットが思わず漏らしてしまった男の名。スフィアは面識がなかったものの、彼の噂は聞いていた。かなりの野心家であり、切れ者。数多くの小大名を従わせる従属大名。この場にいるクレイム家の主家。そして将軍候補の一角。


「まるで祭りみてえだなあ。ま、武士の決闘だからな。派手なほうがいいに決まってらあ」


 斬馬刀を肩から下ろして、地面に垂直に突き刺し、柄の先端に両手を置くアイラ。低いがよく通る声でラットに「どのツラ下げて、のこのこ戻ってきた?」と問う。


「てめえは追放人だろうが」

「……戻るつもりはありませんでした。アイラさん」

「オウルのガキの加勢に来たわけじゃねえよな?」


 凄みを利かせて睨みつけるアイラに「そんなつもりはありません」と応じるラット。ふん、と鼻を鳴らしてアイラは「まあいい」と言う。


「ホーク。てめえには用はねえんだ。わしがここに来たのは――そこの嬢ちゃんが目的だ」


 アイラに指差されたスフィアは、そういえばドクが言っていたことを思い出す。アイラの殿さまが自分に会いたがっていることを。しかし何故会いたがっているのか、分からなかった。従属大名で将軍候補の彼がわざわざ来るほどの理由が見当たらない。


「アイラさん、どういうことですか? スフィアは、何者なんですか?」


 この時点では、ラットは自分、つまりホークを殺したがっているとしか知らない。彼女がスパイディ家の姫であることは、果たし状にも書かれていなかった。もちろん、ドクとのやりとりでも言及されなかった。


「なんだ? ドクや嬢ちゃんから聞いてねえのか? その娘はスパイディ家の生き残りだ」


 スフィアが止める間もなく、アイラは極自然にあっさりと彼女の素性を明かした。しかしラットはスフィアと違ってある程度予想していたらしく、戸惑いが多少ありながらも受け止めることができた。だからこそ、ラットは素早く訊ねることができた。


「スパイディ家を再興させる……って目的じゃないみたいですね」

「当たり前だ。そんな義理はねえ」

「では、どうして?」

「答える義理もねえ。とにかく、嬢ちゃんを寄越せ」


 アイラはこれ以上問答をする気はないらしく、ラットに最後通牒のような文言を投げかける。同時に鎧を着た武士たちが周りを囲い始める。選択の余地などないと言わんばかりに。


「そうだな。ホーク、お前が嬢ちゃんを捕らえろ」


 アイラは余裕と威圧を込めてラットに告げる。


「いくらドクとの戦いの後とはいえ、娘一人を捕らえるのはてめえにとって簡単だ。そしたら切腹させてやる。武士として死なせてやろう。どうだ? できなくはないだろう?」


 嘲りを込めた笑みのアイラ。よろよろと立ち上がるラットはスフィアに無言で近づく。もしやアイラの言うことを聞くつもりかとスフィアは身構えた――だが違う。ラットは彼女に背を向けて、まるで守るかのように刀を構えた。


「それはできない相談だな」

「……そうか。おい! 皆の者、やっちまえ!」


 修練場どころかメニシンシティ中に響くかのような大声で吼えるアイラ。ラットは刀を中段に構える。スフィアは何がどうなっているのか分からぬまま、両手の小太刀を握って目を瞑った――


「武士って本当に――馬鹿ばっかりね」


 唐突に姿を現した黒ずくめの女。突然ラットたちの前に姿を見せた黒衣の忍び。いち早く気づいたアイラだが自分以外は対処できぬと分かってしまう。次に知覚したラットは驚きが先行して動くことすらできていない。


 女は複数の玉を懐から取り出して、周囲に散らばるように投げる。すると玉から黒い煙が噴き出てアイラと鎧の武士たちの視界を塞ぐ。アイラは長年の経験からこれが煙玉だと断じた。


 煙が晴れると中央にいたラットとスフィア、そして忍びは忽然と消えてしまった。残されたのは倒れたままのドク。そして裏口を固めていた鎧の武士たちの気絶した姿。おそらく三人は煙に乗じて裏口から脱出したのだと分かった。


「ちくしょうが! おい、さっさと追え!」


 アイラの命令に慌てて従う鎧の武士たち。クレイム家の武士たちはようやく主君のドクに近づけた。急いでドクを運び出す武士たちに一瞥もくれず、アイラは舌打ちをした。


「くそ。片方捕らえたのはいいが、厄介なほうは取り逃がしたな」




「ここまで来たら、大丈夫よ」


 メニシンシティの裏路地。人気のない場所で忍びは二人に告げる。スフィアは今夜いろいろなことが起こりすぎて混乱していた。ラットがホークで、ドクと死闘を繰り広げたと思ったら、アイラが現れて、どういう理由か自分を攫おうとした。その協力をラットが拒絶して、黒ずくめの人が助けてくれた。


「はあ、はあ……あなた、何者なのよ!」


 とりあえず、目の前の疑問を解決しようと黒ずくめの女を問い詰めるスフィア。すると女は「忍びよ」と自らの正体を明かす。しかしスフィアにしてみれば正体に思えなかった。


「はあ? 忍び? なんなのよそれ! なんで私たちを助けたのよ!」


 忍びはスフィアの問いに答えず、何故か彼女をじっと見つめた。まるで懐かしいものでも見るかのように。


「な、なによ?」

「……それで、あなたはどうするつもりなの?」


 質問を投げかけた相手はラットだった。彼にして見ればスフィアの奪還という目的は達成できたのだが、今夜のやりとりでやらねばならないと思うことがたくさんできてしまった。


 何故、アイラはスフィアを狙うのか。これはまったくの不明だ。

 何故、目の前の忍びは自分たちを助けたのか。忍びには必ず雇い主がいる。その意向か?

 この二人の疑問を解決しないと、セントラルのエンドタウンに戻っても、決して安全とは言えない。それにスフィアの依頼を全うできていない。

 ならばとラットは考えた。当初の目的を達成しようと。


「……オウルに会いにいく」

「その身体で? 戦うにしても話し合うにしても、身体を休めたのほうがいいと思うけど」

「余計なお世話だ」


 そのまま、裏路地を出ようとする――が、眼前に小太刀を抜いたスフィアがいる。彼女は「い、行かせないわよ……」と小さい声で言う。


「あ、あなたは、私が殺すんだから」

「……だったらさっさと殺せ」


 投げやりとも思える反応にスフィアは自分の覚悟が弱まるのを感じた。エンドタウンで過ごした日常を思い出してしまう。ぶっきらぼうだけど、どこか優しさがあったラット。そんな彼がホークであると知った今、殺せるかと言えば――


「おい忍び。こいつを頼めるか?」

「なっ――!」

「ええいいわよ」


 いとも簡単に承知する忍び。対して納得できないスフィアは抗議しようとラットに近づく。


「うぐ……!」


 刀の柄の先端でねじりこむようにスフィアの腹部を刺したラット。あまりの痛みで気絶してしまう彼女を抱きかかえて、忍びに渡す。


「乱暴ねえ」

「生憎、丁寧に気絶させる方法を知らん」

「そうそう。私の新しい雇い主から伝言預かっているわよ」


 こいつ、スフィアを気絶させるまで待っていたなとラットは内心毒づきながら「どんな伝言だ?」と問う。新しいということはドクではない。


「もう朝になるから、今夜ね。二人きりで会いたいって。場所は廃城となったトライアド家の居城。位置は分かるわよね?」

「ああ。メニシンシティの西だろう?」


 そう答えて、ラットは歩き出す。慌てたように「ちょっと! 誰の伝言か聞かないの!?」と忍びは言う。


「聞かなくても、分かるさ――オウルだろ?」

「…………」


 正答だったので、何も言えない忍び。ラットは溜息をつきながら今度こそ裏路地を出る。


「久々に会えるな――オウル」


 切なく物悲しげな言葉を残して、ラットは朝日差す表通りへと去っていった。

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