第10話新月の決闘

 新月の夜。当然、一寸先も見えない闇に包まれている時刻だが、その区画一帯はまるで昼間のように明るかった。周辺を焚き火や行灯で照らしているからだ。炎がゆらゆら怪しく揺れて、これから行なわれる死闘を心待ちにしている観客のようだった。


 もちろん、焚き火だけではなく人間も大勢いる。こちらは観客というより見張りと言うべきだろう。クレイム家の武士が焚き火に木をくべながら、炎が消えぬように気を配っている。その数、およそ五十。全員、刀を携えていて、合戦でも起こしそうな剣呑な雰囲気を各々放っていた。


 だがそんな殺気立つ男たちが見守っている、因縁の地である修練場の中央には、涼しげな表情で立っている男がいた。ドク・クレイム。三年前のグラン事件で活躍し、サウスの伝説へと成り上がった、稀代の英雄であり希少な武士である。その横にはやや緊張の面持ちで立っているスフィアがいた。


「ねえ。本当にホークはここに来るの?」


 この後に及んでまだ信じられないスフィアにドクは「間違いないよ」と頷いた。ホークの性格を知り尽くした彼にとっては火を見るより明らかだった。たった五年の追放で根本が変わるほど、ホークは意思の弱い男ではない。そう確信していた。


「スフィアちゃんがここにいる。それだけであいつはここに来る」

「……まったくもって、意味が分からないんだけど」


 それには答えず、ドクは静かにホークを待つ。実を言えば、スフィアと一緒に気絶させた男から忍びの情報を聞きだした彼は、さっそく彼らと取引した。そして入った知らせを聞いたとき、スフィアに少しだけ同情を覚えたけど、彼にしてみれば、ホークと戦うことと比べれば些細なことだった。むしろ、ホークに戦う理由を見つけさせるのに好都合だった。ホークは私欲のために戦う男ではないとドクは痛いほど知っていた。


 確実に来るであろうホークを待ちながら、どうやって戦おうか、そして死に際の表情はどんなものだろうかと、胸を躍らせながら楽しむドク。隣にいるスフィアが不審に思うほど落ち着きがない。五年前、追放になったホークを追って自分も旅に出ようと何度思ったか。そのたびに家臣に止められたが。ようやく念願が叶う。


 そして――唐突に男は現れた。

 からんころんと下駄を鳴らせて、男は修練場に入る。クレイム家の武士たちの殺意が込められた視線を浴びながら、その精悍な顔を明かりに晒しながら、真っ直ぐドクに近づいた。


「う、嘘でしょ……」


 スフィアから漏れたのは、真偽を疑う声。いや、信じたくないという声。大切な玩具を目の前で壊された子どものような、悲痛に満ちた表情。もしも逃げ出せるのなら、逃げ出したいくらいの心境。


「やあ。久しぶりだねえ。会いたかったよ――ホーク」


 男をホークと呼んだドク。気の置けない親友に呼びかけるように、親しげをこめた言葉。それもそのはず、ホークの帰還を五年間待ち続けたのだから。

 だが男はそんな彼を鬱陶しく思っているのか、顔を歪ませて「俺はお前には会いたくなかった」と冷たく言う。


「そしてお前にもだ。できることなら、ホークとして会わずにいたかった」

「あ、ああ、ああああ――」


 言葉にならない嗚咽。彼女の頬を伝う涙。何もかも信じたくなかった。エンドタウンで決めた覚悟が吹き飛ぶ感覚。


「な、なんで、なんであなたなのよ――」


 こうなることは予想していなかった。考えもしなかった。認めたくなかった。

 心に渦巻くのは後悔や疑念、苦しみや悲しみ、そして今までの過去だった。

 それを吐き出すように――彼女は男の名を呼んだ。


「どうして、騙していたのよ――ラット!」


 その男――ラットは「申し訳なかった」とかすれた小さな声で詫びた。彼もまた、苦渋に満ちた顔をしている。


「まさかねえ。あのラットがホークだったなんて。びっくり仰天だよ。それも半年も一緒だったなんて」


 ドクがおどけたように残酷な真実をそのまま言う。ホークがラットと名乗っていることを忍びの調査で知ったときに、何気なくスフィアから彼のことを聞いていた。ドクが最後までスフィアに明かさなかったのは、衝撃のあまり自殺するかもしれないと慮っていたからだ。


「相変わらず、悪趣味なやつだ」

「ひどいなあ。この場合、悪いのはホークのほうだろ? それに言えないのは分かるけど、騙すのは良くないねえ」


 流石に騙していたつもりはないとは言えないラット。彼自身、騙していた自覚がある。偽って接していたのも否定できない。いずれ言おうと思っていたが、こんな形で暴露されるのは予想していなかった。


 一方のスフィアは呆然として、それから目の前のラットが仇であると知り、全身が震えだした。殺したいほど憎んだ相手がそこにいる。それしか考えられなくなったスフィアは小太刀を抜こうとして――


「おっと。そいつは駄目だ」


 ドクはスフィアの服の首元を掴んで、無理矢理尻餅をつかせた。自分が何をされたか分からない彼女。それを知覚する前に、ドクは彼女の手首を後ろ手になるように組んだ。彼はスフィアが取るであろう行動が予測できていた。


「は、放して!」

「駄目だよ。おい。縄持ってきて」


 家臣の武士に用意させていた縄でスフィアを縛り上げるドク。ラットはその様子をただ見るしかなかった。スフィアが自分を殺そうとした事実とそれを当然と受け止めるに必死だった。


「な、何するのよ!」

「こっちの台詞だよ。ホークを殺すのは、俺なんだから。何勝手に先走っているの?」


 それから家臣に「連れて行って」と指示する。二人の武士に抱えられながら「ラット!」と叫ぶスフィア。その叫びは助けを求めたものか、それとも非難しているものか。彼女自身、判別できていなかった。


 ラットは彼女が自分たちの戦いに巻き込まれないであろう位置まで連られた後、ドクに「どうしてあいつをここにいさせた?」と訊ねる。


「動揺を誘っているのなら、効果的だな」

「違うよ。彼女がホークを殺すところを見たいって言ったんだ。しかもホークがラットだって知る前の約束だったから。俺も内心、困ったんだよね」


 ドクは背伸びをして「それじゃ、そろそろ始めようか」と己の武器――小太刀を取り出した。青く龍の模様が刻まれている小太刀の鞘を抜く。


「さっさと始めようよ。もう周りのみんなは退屈している」

「……本当に変わらないな。そんなに戦いたいのか」

「当たり前だよ。この日を何年待ちわびたか……」


 ドクは小太刀を逆手に握る。ラットが知っている、昔からのスタイルだった。ドクは大刀を用いない。素早く動くためと彼自身の性に合うためだった。


「前々から大刀を使えと言っているのに、まだそれか」

「スタイルにはこだわらないとねえ。武士なんだからさ。でも、それじゃつまらないと思って、こうすることにしたよ」


 ドクは懐から二本目の小太刀を取り出して、鞘を抜いてまたも逆手で構える。つまり、二刀流だった。


「試行錯誤あったけど、結局これに落ち着いた」

「…………」

「俺だって成長するんだ――ホーク、君を殺すことで証明してあげる」


 ラットはふうっと溜息をついて、それから赤鞘の刀を抜いた。


「俺は今、最悪の気分でな。それを解消するためなら、戦ってもいい」

「……そうこなくっちゃ」


 ラットは刀を中段に構える。基本にして王道。工夫はないが、隙もない。

 ドクは姿勢を低くして、前方へ突撃する体勢を取った。


 先に動いたのはドクだった。一直線に駆け出し、猛獣の牙のように二刀を下向きにし、飛び上がってラットを斬る。対して刃を水平に、二刀を受け止めるラット――じりじりと後方に下がってしまう。地面には下駄の後が残る。


「――しゃら!」


 ドクはそのまま、拳で殴るように小太刀を振るう。自分の身体を軸にして、弧を描くように――斬る。遠心力を利用した素早い斬撃。傍目からは手と腕が六本にも八本にも見えている。

 常人なら見切れない速度をラットは大刀を用いて防ぐ。所々、切り傷を負うが致命傷は避けている――否、致命傷だけ避けていると言うのが正解だ。金属音が夜空に鳴り響く。クレイム家の家臣の中で、きちんと目で追えているものは何人いるだろうか?


 そんな彼らの攻防をスフィアは複雑な思いで見ていた。ラット――ホークを殺してほしい気持ちは当然ある。だけど、殺してほしくない気持ちもまた、少なからずある。自分の気持ちがはっきりとしなかった。


 攻撃し続けるドクと防戦一方なラット。均衡状態だが、それを崩したのは、ドクだった。


「オラァ!」


 短い言葉とともに繰り出されたのは――蹴りだった。がら空きとなった腹部に当たり、よろよろと後退するラット。その隙をドクは見逃さず、二刀を順手に持ち変えるように回転させ、心臓と眼球目がけて――突く。大刀では片方しか防げない。もはや勝負あったと誰もが思った――二人以外は。


「なあ!?」


 驚きの声が次々と上がる。それもそのはず、ラットが刀を捨てて、二刀を持つ手首を掴んだのだ。


「あははは。刀は武士の誇りじゃないの――かな!」


 予想していたようにドクは蹴りを繰り出す。やや遅れてラットも繰り出し、脚同士がぶつかる。


「誇りなど、とっくの昔に失った!」


 数度の蹴りの後、ラットは頭を振り被り、ドクの額に頭突きをする。虚を突かれたドクは足元がふらつくのを抑えられなかった。ラットは両手を放して、腹部に正拳突きを放つ。


「ぷ、らあ……」


 口から血と胃液を吐き出すドク。ラットは刀を拾って、下から切り上げた。鮮血が飛び散る。そのまま仰向けに倒れるドク。


「はあ、はあ、はあ……」


 息を乱しながら、ドクにとどめを刺そうと近づくラット。斬ったとき、浅かったので、まだ生きていると確信していた。


「殿! おい、お前ら、何している!」


 クレイム家の家臣に一人が全員に呼びかけた。見とれていた彼らはハッとして各々の刀を抜く。それを見たラットは舌打ちをした。この人数では勝てない――


「――やめろ! まだ勝負は着いていない!」


 大声で叱責したのは、斬られたドクだった。血を流しながら、疲労困憊なのに立ち上がる。そしてラットに向かってにやりと笑った。


「楽しいなあ。やっぱり勝負はこうでなくっちゃ……」

「……ドク。本当に戦いが目的なんだな」


 刀を油断無く構えるラットに対し、二刀を逆手に構えるドク。


「当たり前だよ。本当に、待ち焦がれていた……いや淋しかったよ。俺と対等に戦えるやつなんて、ホーク以外いないんだから」

「…………」

「将軍候補の争いなんて、どうでもいい。俺はただ、ホークと戦いたいんだ」


 そして勝ちたいんだと続けて――笑った。

 ラットはその姿を見て、熱いものを感じた。失われていた、戦うことの喜びを思い出していた。


「感謝するぜ。変わらずにいてくれたことに」

「あははは。俺も感謝するよ。強くいてくれたことに」


 互いに感謝を述べて、最後の攻撃に入る二人。ドクはもう限界で、ラットもこれで決着を着けるつもりだった。

 焚き火の炎がばちばちと音を鳴らす。周りにいるスフィアと武士たちは固唾を飲んで見守っている。


 交差する二人の身体。煌く刃の軌跡。

 肩口から鮮血が吹き出る――ラット。

 崩れ落ちる――ドクの身体。


「やっぱり、ホークは強い、なあ……」


 血溜まりの上に倒れるドクはそう言い残した。

 ラットは血ぶるいして、刀を納める。


「五年前より、強かったぜ――ドク」


 新月の決闘はこれにて決着した――

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