第9話無邪気に笑う男

 スフィアが意識を取り戻したとき、己の身体が椅子にとても頑丈に縛り付けられていて、次に見知らぬ倉庫に閉じ込められていて、最後に自分の顔を覗きこんでいる男を確認して、なるほど自分は目の前の男に監禁されているのだと気づいた。反射的に男を睨む。薄暗いが匂いと顎ひげらしきものを見て、彼女は男だと判断した。


「おっ、気づいた。ああ、良かったよ。薬が効きすぎて起きないかと心配したんだ」

「……薬は用量を守って使いなさい」


 睨みながら物騒なことを言った男を睨み続けるスフィア。対しておどけたように「悪かったよう」と笑う正体不明の男。


「それにしても不思議な子だね。得体の知れない人間に誘拐されたら、普通の女の子はビビッて泣き喚くのに」


 口調は若者のそれだが、典雅な大人の声のように聞こえる。どこかで聞いたこともない気もしないが、思い出せない。それに相手の顔が見えないのは、交渉において不利だ。向こうは一方的にこちらの顔を知っている――


「生憎、泣き喚くような年頃じゃないの。それにビビらせるのなら――」

「あ、灯り点けて。忘れてた」


 男の命令で奥にいる誰かが照明に火を点ける。ぱあっと明るくなった倉庫内。いきなりの眩しさに目を細めるスフィア。


「それにしてもさあ。腰に付けてた小太刀。良いよね。鶴が鞘に描かれていて。刀身も綺麗だった。いいなあ。欲しいなあ」


 男はスフィアの左側に置いてある脚の長い机を指差す。そこには彼女の父の形見である小太刀が無造作に置かれていた。思わず頭に血が上ったスフィアは「小太刀を盗らないでよ!」と大きな声で喚いた。

 男はにやにや笑いながら「泣きはしなかったけど、喚いてくれたね」と言う。


「へへ。俺の勝ち」

「……ふざけているの?」


 ようやく目が慣れたスフィアは男の顔を見る。赤髪は耳にかかる程度の長さ。口ひげはなく、顎だけ髪の毛のように伸ばしている。ぼさぼさではなく、きちんと手入れされている。目は丸くて鼻筋は通っている。若者に見えるけど、三十代くらいにも見える。つまり年齢は分からなかった。灰色に赤がアクセントになっている和服を着ていて、足には何故かブーツを履いていた。腰には小太刀を一振り差している。おそらく武士だろう。背はラットと同じくらい高い。


「観察は済んだかな? スフィアちゃん」

「――っ!?」


 じろじろ見ていたことを指摘されて驚いたのではなく、自分の名前を言い当てたことに驚愕するスフィア。油断無く男に「何その名前」と彼女はとぼけた。


「嘘は良くないよ。身分証を見たんだ」

「レディの荷物を勝手に見ないでよ」

「そりゃ失礼。それで、スフィアちゃんにお願いしたいことがあるんだ」


 不真面目に手を合わせて拝む仕草をしながら男は言う。


「ホーク・ハルバードの居場所、教えてくれないかな?」

「……知らないわよ。そんなの、私が知りたいわ」


 嘘をつく以前の話で、どうして男がホークの居場所を知りたがっているのか、理解できなかった。だから誤魔化す必要がなかったので、正直に言った。

 男は首を傾げて「おかしいなあ。ならなんで、サウスに戻ってきたんだ?」と問う。どうやら、スフィアの事情を全て知っているようだった。


「あなた――私が誰だか、知っているの?」

「うん? ああ、もちろん知っているよ。五年前にも会っているし」


 男はぽりぽりと頬を掻きながら、あっさりとスフィアの素性を述べた。


「スフィア・スパイディ。スパイディ家の姫君で、従属大名のエスタ・スパイディの一人娘。五年前の大名殺しの被害者だね」


 スフィアは――自分が隠していた素性をあっさりと言い当てられた恐怖と今までの苦労が徒労となってしまった虚無感で、顔が引きつらせてしまった。もはや言い逃れできないほど顔に出てしまっている。


 そう。スフィアは五年前の大名殺し――つまり自分の父を殺された被害者だった。そしてホークが実行し、オウルがそれを助けたとされている。だが不自然なことに、処分されたのはホークだけだった。その事件によって、スパイディ家に内紛が起こり、スフィアは命を狙われ、サウスから追われる立場になったのだ。


 男は困ったように「多分、ホークを殺しにサウスから出て行ったんだと思っていたんだけど」とスフィアに問いかけた。


「でも。ホークが死ぬわけないんだよね。あいつは殺しても死なないやつだし。君が殺して、サウスに戻ってきたって推測はできるけど、さっき見せてくれた戦闘レベルじゃ到底殺すのは無理だ」

「……オウルを殺しに来たのよ。それと人を探してたの」


 男はぽんと手を叩いて「ああ、ラットとかいう人?」と納得したようだった。


「まあオウルは将軍になりそうだから、殺すとしたら今しかないよね。ラットって人はよく知らない……セントラルで有名な仕事人としか分からないけど」

「…………」

「だったらホークの居場所、知らないか」


 残念そうに呟くその顔は、玩具を失くされた子どものようだった。スフィアは「ホークと知り合いなの?」と訊ねた。


「知り合いというか、ライバルだよ。昔から戦っていた」

「……敵、ってこと? なら何故、ホークを見つけたいの?」

「決まってるでしょ。戦うためだよ」


 まるでくだらないことを聞くんだなあという顔でスフィアを見つめる男。そんな顔をされるいわれは、彼女にはないので、自分が縛られていることを忘れて、反抗的な態度を取る。


「ホークと戦うために探す? くだらないわ。何考えているのよ」

「そのくだらないものために、武士は命を懸けるんだよ。いや、俺がホークを殺したいだけなのかもしれないね」


 男は笑みを絶やさずに、淡々と自分の願望をスフィアに聞かせるのでもなく、語り出す。


「ホークを殺すのは俺だけさ。オウルのやつに散々邪魔されてきたけど、ようやく叶うんだ。嬉しいなあ。楽しみだなあ。あいつ、どんなことを言って死ぬんだろう?」

「…………」

「ねえ、スフィアちゃん。本当に心当たりないの?」

「……だから、私は知らないって」


 素気無い返事だったが、男は「あははは。でも可能性が出てきたよ」とスフィアに言う。


「ホークは絶対にサウスに戻ってくる。だって、オウルが将軍になるんだもん。気になって会いにくるかもしれない――いや、いくら『追放』になったとはいえ、どんな手段を取っても会いに来る」

「……どうして、そんなことが言えるの?」


 男の確信めいた言葉にスフィアは違和感を覚えた。ホークが追放になったことは知っていた。追放はサウス地方から追い出される刑だ。だからオウルを殺してから、サウス以外の大陸全土を探そうと決意していた。だけど、男はオウルが将軍になりそうだから、戻ってくると訳の分からないことを言う。


「うん? ああ、だって――いや、これは言えないな」

「……気になるわね」

「そうだ。取引しないかい?」


 男は思いついたようにスフィアに対し、ある条件を投げかけた。


「実を言えば、スフィアちゃんを引き渡せって、アイラの殿様に言われてるんだ。俺がホークを殺したら、会ってあげてよ」

「……ちょっと整理させて」


 スフィアはゆっくりと考えをまとめた。


「あなたは、私の仇であるホークを殺す。その代わりに、私はアイラって人に会う」

「うん。そうだね」

「……アイラは、どうして私に会いたいの?」

「知らないよそんなの。詳しい話聞いてないし」


 スフィアは考える。ラットに頼まなくても、この人がホークを殺してくれるのなら、私にとっては得である。ラットにはオウル殺しを頼んでいるから、何もかも上手くいけば、私の復讐は成し遂げられるだろう。


「……分かったわ。ホークを殺したら、アイラって人に会ってあげる」

「そう? 良かった。あの人怖いからさ」

「一つだけ、条件があるの」


 スフィアの言葉に「まさか、とどめは自分が刺したいとか言わないでよね」と苦言を呈した男。


「やめてよ。ホークを殺すのは、俺なんだからさ」

「違うわ。ホークとの戦いに同席させてほしいの」


 真剣な表情で懇願するスフィア。それは真摯さに満ちていて、一生をかけた願いを表していた。


「手は出さないわ。ただ見届けたいの」

「それはどうして? 死ぬところを見たいから?」

「違うわ。私なりの覚悟よ。頼んでおいて目を逸らすのは、道理が合わないから」


 男は呆れたように「君も武士の娘なんだねえ」と笑った。しかしその笑いは嘲笑っているわけではなかった。


「いいだろう。見てていいよ。俺がホークを殺すところを」

「……ありがとう」

「礼なんて要らないよ。それじゃ、ホークの居場所が分かるまで、ここにいて」


 男は自分の小太刀を抜いて、スフィアの縄を切った。てっきりこのまま放置されるとばかり思っていたスフィアは面食らってしまった。だから「縄、解いて大丈夫なの?」と訊いてしまった。


「縛られる趣味はないでしょ? それに縛ったままだと面倒なこと多いんだよ」

「……私は楽になるから、平気だけど、逃げ出すとか考えないの?」

「あははは。逃げ出したらホークが死ぬところ、見れないよ?」


 男のもっともな返しにぐうの音も出ないスフィア。口調は軽めだけど、頭の回転は速いのねと思った。


「食事は好きなものをリクエストしてちょうだい。ふかふかの寝床も用意する」

「寛大なもてなし、感謝するわ」

「断絶したとはいえ、従属大名の姫だからね」


 そして倉庫から出ようとする男。その背中に向かって、スフィアは問いかける。


「そういえば、あなたの名前、聞いてないわ」

「あ。そうだったね」


 男は振り返って、屈託のない、無邪気な笑みを見せた。


「俺はドク。ドク・クレイム。しがない小大名だよ」

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