第8話スフィアの情報収集

 スフィアがメニシンシティを訪れた――『帰って』きたのは、ラットが来る六日前だった。馬車を乗り継ぎ、セントラルに向かうために使った偽造身分証で関所をクリアした。少女の一人旅にしたら、相当早い部類である。


 メニシンシティの入り口に立ったとき、スフィアはラットと違い、郷愁の念に駆られることはなかった。彼女にしてみれば、厭な記憶が甦る忌まわしい土地である。昔のことを悔やんだり悲しんだりするのは、無駄な行為だと頭では分かっていたのだけど、人の心は自分の思い通りに動いてくれない。目の前に広がる光景や鼻孔に広がる空気が、否応なく彼女を過去へと誘った。


 彼女の記憶の中で一番新しいのは、追っ手に追われて街から脱出するところだった。次々と死んでいく顔見知りの武士たち。自分の身を犠牲にして追っ手から注意を引いてくれた女中。最後に自分を庇って死んだ、親同然に思っていた家令。


『お姫様……最後に、あなたに、伝えておかねば……』


 追っ手と相打ちとなり、もはやこれまでと思った家令のセイル。今わの際に彼がスフィアに手渡したのは、父の形見の小太刀だった。今まで隠して持っていたのだろう。てっきり家財と一緒に屋敷に置いてきたとばかり、思い込んでいた。


『決して、誰にも渡さぬよう、失くさぬよう、気をつけてください……旦那様の形見以上のものですから……』

『セイル! 死なないで! ねえ、一緒に生きて!』


 スフィアが泣き叫ぶと、いつもは叱っていたセイルが、優しく彼女の頭を撫でた。それは主従を超えた、実の親子のような、愛に満ちた行為だった。その後、吐血したセイルは散り際の言葉を言う。


『あなた様を、見守っていますよ。スフィア様――』


 こうしてスフィアは生き残った。大好きだったお付きの武士たち、我が侭を聞いてくれた女中、厳しく叱りつつ愛情を注いでくれた家令がいなくなってしまったけど、それでも彼女は生き残った。普通に考えれば命を落とすか、捕らえられて酷いことをされる結末を迎えるはずだった。それが五体満足で生き残れたことは、不幸中の幸いだっただろう。このままサウスを去り、セントラルの片田舎で暮らし、いずれは土地の男と結婚して子供を産んで老衰で死ぬ平和な生活も送れただろう。


 しかしスフィアにしてみれば、そんなまやかしの生活は真っ平御免だった。自分のせいで命を落とした武士たちや女中、そして家令のことを忘れて自分だけ平穏に暮らすなどできなかった。できるわけがなかった。それに理不尽に死んだ父親の仇を討ちたいとも思った。家令と違って日常的に接してこなかった父親だけど、それでもたまに帰ってくると優しくしてくれたのだ。その思い出だけは消せないし消したくない。


 だから今、スフィアは五年ぶりにメニシンシティに帰ってきた。本来ならトラウマで足が震えて動けないところだが、エンドタウンに向かうまでの苦しい生活とラットの助手として働いてきた暮らしのおかげで、耐性が付いた。もう怯えないし怖がらない。覚悟を決めたのだ。


「まずはラットを探さないと。のんびり来たから先に到着しているでしょ」


 誰に言うでもなく呟くと、スフィアは酒場へと向かうことにした。これはセリアから聞いたのだけど、酒場は情報が集まりやすく、酔っているせいで口も滑らせやすい。また金を渡すよりも、酒を奢るほうが、良い印象を与えやすいようだ。エンドタウンという危険な街で酒場の看板娘をしているだけあって、セリアの助言は的確だった。


 しかしこの時点ではラットは街にいない。だから彼女のやるべきことは仇のオウルの情報収集だけど、気が付いていなかった。結局、大きく時間を浪費する結果になる。さらに言えば、スフィアは聞かされていなかったことがある。セリアはそれが日常だから、わざわざ言う必要のないことだと思い、また半年とはいえ働いていた経験のあるスフィアは承知しているだろうと思い込んでいた。


 酒に酔った者は、確かに口を滑らせやすいが、それ以上に気が大きくなる。端的に言えば――ガラの悪い乱暴者になること。そしてもう一つ、こちらはもっと重要だ。酒場はうさんくさい輩が寄り付きやすいということ。




 洒落た外観の酒場を選んだ彼女は臆することなく入店する。中はアルコールと煙草の臭いで充満していたが、エンドタウンよりマシだわとスフィアは気にすることなく奥へ向かう。客層はルーモアよりも良く――あそこと比べれば大抵は品良く見える――若者ではなく中年が多かった。落ち着いて飲むタイプの酒場なのだろう。


「……いらっしゃい。ご注文は?」


 愛想が良いのか悪いのか分からない、カウンターでカクテルを作っていた店員がスフィアに訊ねる。


「オレンジジュース。それから、ある人が来たかどうか、聞きたいんだけど」


 スフィアはオレンジジュースの金額以上の金をカウンターに置いた。店員は手早くオレンジジュースをスフィアの前に置くと「尋ね人の名前と特徴は?」と言う。


「名前はラット。白地に竹の模様が黒で入っている着流しを着た、三十代くらいの男。髪は黒で死んだ魚のような目をしているわ」

「……ラットと言えば、セントラルの仕事人だが。生憎、この店には来ていない」

「そう。ありがとう」


 ここは外れだったのねと内心思って、スフィアはオレンジジュースを飲む。ルーモアよりも濃厚で甘かった。喉が渇いていたこともあり、彼女は一気に飲み干した。


「この酒場で情報通な人、知らない?」

「……あんた、この街初めてなのか?」


 ひょんな質問にスフィアは「ええ、初めてよ」と嘘をついた。すると店員は「この街の情報を一手に担っている集団がいる」と声を落として言う。


「その集団ってなに?」

「忍び、という。情報だけではなく、諜報や流言、暗殺もやる集団だよ」

「どこに行けば会えるの?」


 その問いに店員は「もう一杯頼んだらな」と普通の音量に戻した。料金分の情報はここまで、らしい。スフィアはいい商売しているわと毒づきながら「もう一杯ちょうだい」と同じ金額を支払おうとする――


「お嬢ちゃん。景気がいいなあ。一杯奢ってくれよ」


 どかりとスフィアの隣に座ったのは帽子を斜めに被った、胡散臭そうな団子鼻の中年の男だった。服の色合いは悪くなく、むしろセンスが良かったが、どこか着られている感があった。男は煙草を吹かしながら馴れ馴れしくスフィアに触る。


「やめてよ。それともあなた、子どもが好きなの?」

「ふへへへ。お嬢ちゃん、子どもって歳じゃないだろ?」

「大人に見られるのは嬉しいけど。生憎、乙女にボディタッチは厳禁よ」


 男は「つれねえなあ」と悲しげに言う――次の瞬間、カウンターに指で文字を書く仕草をした。思わずそれを目で追うスフィア。

 『しのびしってるぜ』――そう書いていた。


「おじさん。一杯だけなら付き合ってあげる。この人に……えっと」

「ウイスキーでいいぜ」

「そう。ウイスキーをお願い」


 二人は無言でそれぞれの液体を飲む。合間に男はカウンターに書く。どうやら店の裏手に来るようにと書いている。


「それじゃ邪魔したな。お嬢ちゃん」


 手をひらひらさせて店を後にする男。スフィアはしばらく時間を置いて、男を追うように店を出た。店員はそれを厳しい目つきで見て、それから店の奥へと向かった。

 スフィアが店の裏手に行くと、男は両手をポケットに突っ込んで壁に寄りかかっていた。


「それで、忍びはどこに行けば会えるの?」

「へへへ。悪いな、お嬢ちゃん。ちょいと試させてもらうわ」


 スフィアは背中に数人の気配を感じた。振り向くとそこには体格の良い四人の男たちが指を鳴らしながら彼女を威嚇していた。


「……試すって、どういう意味かしら?」

「誰でも簡単に会えるってわけじゃない。分かるだろ?」

「…………」

「安心しろ、命までは奪わねえよ」


 男たちはじりじりとスフィアに近づく。彼女は囲まれたというのに、余裕の表情だった。こんなこと日常茶飯事とでも言わんばかりの笑み。


「あら。たった四人で大丈夫なの?」

「……へえ。言うじゃねえか。お前ら、手加減はしなくていいみたいだぞ」


 その言葉で、男の一人が後ろ――死角から殴りつける。スフィアは予想していたように身体をお辞儀するように折り曲げた――いや、そのまま逆立ちして、無防備になった腕を足で絡ませる。そのまま足で挟んだ腕を、曲がらない方向に向かって捻った。


「ぐああああ!?」


 男の腕が折れる音を聞きつつ、今度は左後方の男をスフィアは狙う。折れた腕から足を離して、姿勢を低くし、這うように男の足元に近づく。傍目には消えたように思えるだろう。そして懐から小太刀――家令のセイルから預かった大事な物だ――で足の甲を靴の上から刺す。


 男が激痛で転げ周る。これで二人は無力化できた。そう判断したスフィアは残り二人が攻撃に転じて、迫っているのを迎撃する。二人の素早い拳をさばきつつ、隙を見て中年の男の真向かいの壁まで走り――蹴った。空中で回転しながら、二人の男の頭部を両脚で蹴り飛ばし、いとも容易く意識をかった。


「へえ。ただのお嬢ちゃんだと思っていたら。なかなかやるじゃないか」


 ぱちぱちと拍手する男に「あなたはやらないの?」とクールに返すスフィア。息一つ乱れていない彼女。伊達にエンドタウンで半年間、生き残ってきたわけではない。


「やる必要はねえ。合格だよ。それじゃ、案内するぜ――忍びのところへ」


 中年の男がスフィアに背を向けて歩き出す。その後をスフィアはついて行く――


「まさか、この街に戻ってきているなんて。ラッキーじゃん」


 ぷすという音が二回したと思ったら、中年の男は倒れていた。

 だけどそれよりも――スフィアは自分が地面に倒れていることに驚愕する。


「ふう。ようやく手がかりが見つけられそうだ」


 スフィアの髪を掴んで、強引に顔を合わせる男。

 彼女は意識が朦朧として、誰か分からない。


「あの店員に報酬、弾んでおいてね」


 誰かに指示する声が――最後に聞こえた言葉だった。

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