第3話汚れた仕事

 ラットの仕事の手伝いをする――セリアの提案はラットとスフィア、双方に受け入れられた。一回の仕事につき、三割の依頼料を助手代として受け取るという契約をジークの立会いで結ぶ。またジークが細やかな条件を補足した――スフィアにとってかなり有利な条件だった。


 一つ、依頼料に達するまで助手を続けること。依頼料に達した時点で契約は終わりとする。

 一つ、スフィアのミスで依頼が失敗してしまっても、違約金などは発生しないこと。

 この二つの条件をラットは渋々受け入れた。ジークやセリアの圧力によるものである。明らかに二人はスフィア寄りだった。ジークは同情で、セリアは厚意で彼女に味方した。


 契約書に血判し、これで二人の間には奇妙な雇用関係が生まれた。すかさずスフィアはさっそく仕事がしたいとラットに訴えた。


「待て。今日の仕事はない」

「そう。案外暇人なのね」

「……三日後に仕事がある。それまで酒場の床掃除でもしてろ」


 告げるや否や、空になったコップをジークに手渡すラット。これで何杯目なのかとスフィアは呆れた。しかし酒好きの飲んだくれにしか見えないラットに頼るしかない自分が恥ずかしいとは思わなかった。生来、人に頼む――命じることを当然とする生活をしていた彼女の悪癖だった。


 スフィアは三日後まで酒場で働くことになった。セリアが「働かざる者は食うべからずだよ!」とおせっかいをしてきたからだ。金は五十ゴールドの他にも持っていたが、安心して眠れる寝床などエンドタウンにはほとんどない。だから酒場ルーモアの二階を間借りしていたのだが、宿賃の代わりに働くのはスフィアの予想外だった。


 接客や掃除、料理や会計などしたことがない彼女にとって、覚えることは多かったが、聡明な彼女は順々に仕事を覚えた。その様子を見ていたジークは不思議に思う。身のこなしや所作を見る限り、相当躾けられたと推測できる。訓練ではなく、礼儀作法の一環として教えられたものだ。結構良いところのお嬢様か、もしかすると小大名家のお姫様ではないかとジークは疑った。


 推測は間違っておらず、むしろ正解に近いところをかすめていたのだが、ジーク自身、そんなわけがないと断じていた。高貴な出の女がわざわざエンドタウンに来て人殺しを頼むわけがない。度胸すらないだろう。そう思い直して、ジークは水洗いしたコップを拭いた。


 スフィアの穏やかな生活は奇跡的に三日後まで続いた。そして唐突に終わりを告げる。ラットが酒場に来て、スフィアに「仕事だ。行くぞ」と端的に命じたのだ。客の前にジョッキを置いたスフィアは「え、ええ。今すぐ行くわ」とエプロンを脱いだ。


「それじゃ、セリアさん。行ってくるわね」

「うん! 行ってらっしゃい!」


 元気よく見送るセリアの高い声に手を振りながら、酒場の外で待つラットの元に向かう。

 ラットは空を見上げながら煙草を吸っていた。


「あら。あなたも吸うのね」

「まあな。お前さんは吸わないよな」


 そう言って煙草を地面に捨て、足で踏みつけて消すラット。

 スフィアは「別に構わないわよ」と肩を竦めた。


「匂いも嫌いじゃないわ」

「いや。吸わないやつの前では吸わないようにしているんだ」

「……意外と気を使うのね」


 ラットは「昔の友人との約束なだけだ」とスフィアに言うでもなく呟いた。


「さっさと行くぞ。なるべく依頼人を待たせたくない」

「その依頼人って誰よ」

「シュミット家のご隠居だ」


 流石にその家名は知っているようで目を大きくさせ、息を飲むスフィア。そして歩き出すラットに食ってかかるように「あなた何者なの?」と問い詰めた。


「シュミット家って将軍の従属大名の中でもかなり上位の、セントラル指折りの名家じゃない。どうして?」

「一度下働きを請けたら、ご隠居に気に入られてな。以来の付き合いだ」


 まともに説明する気はないらしく、ラットはそれ以上何も口にしなかった。

 納得のできないスフィアだったが、同時に情報屋から仕入れたことが本当だと確信する。依頼を確実に遂行させる仕事人、ラット。三年前、突如エンドタウンに現れてから様々な依頼をこなし、その全てを成功に収めた伝説の男。自身は有名ではないと嘯いていたが、仕事を頼むなら彼しかいないと太鼓判を押されていた。


「歩いて行くの?」


 歩幅が違うので自然と早足になるスフィア。早いペースだからすぐにバテてしまいそうだった。

 ラットは前方の小屋を指差して「馬屋に預けた馬がある」と素っ気無く言う。


「お前の分の馬もある。乗れないことはないな?」

「乗れるけど。でももし乗れなかったら――」

「お前だけ歩いて行くことになったな。俺は後ろに人を乗せん」

「……前言撤回。あなた、気遣いの欠片もないのね」


 二人は馬に乗ってエンドタウンを出て、北へと向かう。しばらく獣道を走り続けて、ようやく舗装された道に着く。そこから、さらに北へ駆けるとシュミット家の城と城下町が見えた。城下町にある、衛生的な馬屋に馬を預けて、往来の多い大通りを抜けて、城門へと移動する。


 城門には鍛え抜かれた門番が二人ほどいた。ラットの姿を見るなり「お待ちしておりました」と揃って槍を立杖させる。


「そちらの女性は?」

「新しく雇った助手だ。害はない」

「了解いたしました。ご隠居様がいつもの部屋で待つようにと」


 何度も訪れているのだろう、慣れたように城内を歩くラット。スフィアはあまり周りをきょろきょろ見ないように、ラットの背中だけを見て歩く。

 待つように言われた部屋は小さな和室だった。折り目正しく正座するラットに違和感を覚えながら、自分も同じく正座で待つスフィア。ご隠居らしき老人が来たのはだいぶ時間が経ってからのことだった。


「ああ、すまんのう。この歳になると時間にルーズになるんや」


 上座にどかりと座ったのは、小柄な老人だった。傍には護衛のために武士が二人ついている。老人は総白髪で禿げていた。皺が深く顔中に刻まれていて、それが渋さを醸し出している。細目で口には白い顎鬚を生やしていた。そんな老人が煙草をふかせながら、目の前に座っている。

 セントラル特有の訛りで親しげにスフィアに笑いかける老人。


「うん? そこの嬢ちゃんは始めましてやな」

「はい。スフィアと申します。助手としてこの場に同席させていただきます。よろしくお願いいたします」

「なかなか礼儀正しい子や。ラットが助手にするのも分かるで」


 老人はにやにや笑いながら自分の名を告げる。


「シュミット家先代当主、オニオ・シュミットや。以後よろしゅうな」


 スフィアは息を飲んだ。オニオ・シュミットは一昔前の英雄であった。それこそラットが霞んでしまうほどの伝説――英雄譚を作ってきた傑物だ。

 動揺を隠しきれなかったが、オニオは構わず「それで仕事なんやけど」と話を進める。


「実はシュミット家の家老の嫡男を追って捕らえてほしいんや。お前なら簡単やろ?」

「……詳しい話を聞きましょう」

「せやな。その家老の嫡男、どうやら城下町で辻斬りやっとったんや」


 夜の闇に乗じて人斬りをした家老の息子。武士とはいえ立派な罪である。


「そんで、家老に裁くから連れてこい言うたんやけど、護送途中で逃げてしもうたんや。その際、五人斬り殺しとる」

「刀は取り上げなかったのですか?」

「もちろん取り上げたわ。でもな、その嫡男悪知恵が働くんか知らんけど、事前にごろつきを雇っとったんや。その数は八人ほどやと報告があがっとる」


 オニオは困ったように頬を掻いていたが、その指を止めてラットに「辻斬りで六人死んだ」と真剣な面持ちで言う。


「あの阿呆、次期家老として、えろう我が侭に育てられとったんやな。それは悪ないけど、人の命を奪ったらあかん。自分の快楽のために人殺すなんて、人以下の鬼畜や! そうは思わんか!」


 次第に興奮してきたのか、オニオの語気が荒くなる。スフィアは表情を変えないラットと交互に見ながら、不安そうにしている。


「あのボケナスに、おどれのした報いを受けさせんと、死んだ十一人の魂は浮かばれん! それができひんのなら、わしらは武士を名乗れん! 民を守れんのに何が大名じゃボケが!」

「……ご隠居。涎が」


 ラットの冷静すぎる指摘で頭を冷やしたのか、落ち着くオニオ。


「ああ、すまんの。ヒートアップしてもうた」

「それで、俺たちはその男を捕らえるのですね? 殺すのではなく」

「ああ。斬首にしたる。士分やから拷問できひんのは残念や。でも死ぬ前におどれのしたことを後悔させるわ」


 ラットは「承りました」と平伏した。老人の怒りに放心していたスフィアも慌てて同じようにする。


「その者の名と所在は?」

「プルス・エクスナーや。ごろつきたちと城下町の西の宿場町におる」

「報酬は?」

「三十ゴールド。これでどうや?」

「十分です。他のごろつきはどうしましょうか?」

「ボンクラ捕まえるのに邪魔なら斬り捨ててもええ。後処理はこっちがやる」

「……委細承知。さっそく行って参ります」


 ラットはすっと立ち上がった。今度はスフィアも慌てずに立ち上がれた。


「……息子――当主は件の家老に甘くてな。そもそも息子の教育係がそやつやった」

「その件の家老は、断罪しないのですか?」


 ラットが何気なく訊いた問いにオニオは「阿呆言うな」と笑った。


「子の罪を親が贖うのは、おかしな話やで」

「…………」

「ま、止めてもあの律義者の家老は自害するやろけどな。それは仕方ないことや」


 ラットはそれ以上、何も訊かず、何も言わずに部屋から出て行った。スフィアもそれに続いた。

 城の廊下を歩く二人は無言だった。話せる依頼ではなかったし、互いに思うところがあったからだ。


「ねえ、ラット。これがあなたの仕事なの?」


 ようやく話せるようになったのは、二人が馬に乗って城下町を出たときだった。既に日が暮れかけている。


「ああ。汚れ仕事だろう?」

「…………」

「嫌なら帰っていいぞ」


 スフィアは首を横に振る。それだけはできないと言わんばかりだった。


「ううん。行くよ。私だって、人殺しを依頼したいんだから。目を逸らしちゃいけないんだと思う」


 ラットはその瞳を覗いた。

 覚悟を決めた、美しくも悲しい瞳だった。


「……勝手にしろ」


 黄昏に染まる道を馬で駆け出す二人。

 暗闇を背負いながら、西をひた走る――

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