第4話半月の下

「でも、どうしてあなたにご隠居が依頼を?」

「ご隠居は名のとおり、隠居しているからな。簡単に武士を動かせない」

「それなら当主が動くべきじゃないの?」


 馬を並行させながら、スフィアは聞けなかった事情をラットに根掘り葉掘り訊ねていた。実を言えば事情ではなく裏事情であるが、彼女はまったく無頓着だった。無邪気とも評せるが。

 スフィアの遠慮ない問いに意外にもラットは丁寧に答えていた。別段、後ろめたい気持ちで回答しているわけではない。彼にとってもどうでもいいことだった――シュミット家に御恩があるわけでもない。ただの得意先で取引先というだけの希薄な関係だった。


「ご隠居も言ったとおり、当主は件の家老と関係が深い。その息子を捕らえるのは忍びないんだろう」

「為政者なのに情けないとは思わないの?」

「いや、自分が動かなければご隠居が動くと知っている。要は汚いことをしたくない、潔癖症ってやつだ。ある意味狡猾とも言えるが」


 スフィアは互いを利用しあう親子関係というわけねと納得した。

 同時に汚い仕事を行なう自分たちが一方的に利用されている気分になった。


「シュミット家は力のない将軍家を凌駕するほどの大名だ。ゆえに足元をすくわれないように、醜聞はさっさと処理したいんだ」

「ならどうして三日間、時間を空けたの?」

「辻斬りの居場所を見つける時間だな。俺一人で探すと時間が逆にかかる。それに依頼料が高くつく」

「……時間の浪費が不味いことは分かるけど、シュミット家のご隠居ともあろう人が、ケチだとは思わなかったわ」

「金に関しては相当にケチだ。しかし提示された金額は必ず支払う。そこだけは信用している」


 二人は会話と馬の足を止める――宿場町に着いたからだ。

 宿場町の宿屋の周りに出店が多く並んでいる。各店の照明器具のためか、昼間のように明るい。商品を買っている宿の客も多い。

 シュミット家の城下町と目と鼻の先である宿場町に辻斬りとごろつきがいる。その事実は灯台下暗しの考えなのか、それとも自分たちはどんな敵を追い払うことができるという自信か、はたまた考えなしに滞在しているのか。現段階ではラットにも分からなかったが、彼は構わないと思っていた。むしろ移動時間が短縮できて、仕事も簡単に終わると考えていた。


「それで、その辻斬りがどこにいるのか、どんな顔をしているのか、あなたには分かるの?」

「……その前に、訊きたいことがある」


 馬の手綱を近くの木に結び、宿場町に向かおうとするスフィアを制するように、ラットは酷く冷えた声音で事務的に訊ねた。


「お前は――人を殺したこと、あるのか?」


 スフィアは息を飲む――ラットが自分を試しているのが分かったからだ。そして正直に言わなければいけないことも。


「……いいえ。人を殺したことはないわ」

「だろうな。今から殺し合いをしにいくのに、気負いがなかった」


 気負い――すなわち覚悟がないとラットは言う。しかしスフィアを責めている口調ではなかった。逆にその覚悟を持つことが忌むべきことだと言外に伝えているような気がしたと彼女は思った。


「お前に言っておく。決して人を殺すな」

「…………」

「殺したら、戻れなくなる」


 スフィアは俯きながら「もう、戻れないわよ」と呟いた。

 彼女にしてみれば、ラットに依頼した時点で、既に引き返せない闇に自ら飛び込んだ気持ちだったのだ。


「……先ほどの問いだが、俺たちは辻斬りがどこにいるのか、どんな顔をしているのか、探る必要はない」


 急に話を戻したラットとその内容に戸惑いながら「……どういうことなの?」と訊ねるスフィア。

 ラットは至極当然のように単純明快と言わんばかりに答えた。


「辻斬りは必ず、俺たちに会いに来る――」


 賑やかだった宿場町も深夜になると誰一人歩く者はいなくなる。店も営業をやめ、客たちは各々の宿で寝るからだ。

 静まり返った宿場町。空には半月と星の明かりのみ。その大通りをからんころんと下駄を鳴らしながら歩く者――ラット。彼は蜘蛛のように獲物が罠にかかるのを待っていた。


「おい。そこのお前」


 町を歩いてさほどかからないうちに、声をかけられたラット。声の主を見ると、大小の刀を携えている若い男がいた。二十代と思われるが、表情に貼り付けられた笑みは残忍そのものだった。まるで――人を斬りたくて仕方ないように。そして人を斬れると思って喜んでいるように。


「……なんだ?」

「お前、武士だな? だったら――斬らせてくれ」


 すらりと抜いたその刀は美しくも怪しい。月明かりを反射させる人殺しの道具は、幾人の血を吸った凄みを感じさせた。切っ先をラットに向ける辻斬り――プルス・エクスナー。


「斬りたくて斬りたくて、たまらないんだ……」

「……お前の我慢が限界なのは、予想通りだった」


 応じるように赤鞘の刀を抜くラット。辻斬りの刀に負けず劣らず、怪しげな雰囲気を醸し出していた。


「獲物を演じれば、食いついてくると分かっていた」

「ひひひ……」

「お前を捕らえることが、仕事なんだ。悪く思うなよ」


 互いに刀を中段に構える――そして剣気を発する。

 剣気と言っても、辻斬りが発しているのはよこしまな殺気である。人を斬りたいという欲が込められた武士にあるまじき邪道の剣気。

 一方、ラットは臆することなく、自らの気を発している。さらに邪悪な剣気を受け流すのはなく、真正面から受け止めている。気を読み取ることは相手の動きを読み取ることと――同じであった。


「きえええい!」


 先に動いたのは辻斬りのほうだった。気合――奇声を出しつつ、涎を垂れ流しながら、獲物と勘違いしているラットに刀を振り下ろす。武の心得のない哀れな犠牲者たちは、邪悪な気に圧されて、身動きすらできなかったのだろう。

 しかし今までの犠牲者と違い、ラットはこのような邪悪な気を持つ者たちと戦ってきた百戦錬磨の猛者――


「う、ぐ……」


 辻斬りが漏らしたのは驚愕のためか激痛のためか。ラットは辻斬りが振り被りすぎて、がら空きになった胴を峰打ちした。その場に崩れ落ちる辻斬りを冷たい目で見つめながら、次の戦いに備えて息を整えるラット。刀は抜いたままだった。


「あーあ。だから行くなって言ったのによ」


 宿屋と宿屋の間の小道から、ぞろぞろと出てきたのは、ごろつきたち八人だった。奥に控えている、おそらくリーダーであろう男がラットに向かって声をかける。


「なあ。殺さなかったってことは、その人どこかに連れて行くのか?」

「当たり前だろう。捕らえるのが俺の仕事だ」

「だよなあ。俺たちの仕事はそれをさせないことだよ」


 ごろつきはすらりと剣を抜いた。刀でないことから、どうやら武士崩れではないらしい。だから汚い手段を取れる。邪悪な主に仕えることもできる。


「俺は、お前たちに関して、特に指示は受けていない」

「……ふうん。それで?」

「歯向かうのなら殺すが、素直にこいつを引き渡せば見逃してもいい」


 ごろつきのリーダー格は手下に「手出しするな」と命じた。


「それは本当か?」

「ああ。何ならここで会わなかったことにしてもいい」

「……だが、そいつが俺たちのことを喋らない保証がないな」


 油断無くリーダーはラットに指摘した。辻斬りがごろつきの名や特徴を喋れば、おたずね者になってしまうのは確実である。


「こいつは武士だ。武士は拷問を受けない。そう決まっている」

「…………」


 リーダーはじっとラットを見つめている。言葉の真偽は判別できないが、筋道は通っている。拷問さえ受けなければ辻斬りは自分たちのことを暴露しないだろう。だがリーダーは辻斬りが人殺しの魅力にとり憑かれて、おかしくなってしまったことも知っている。もしかしたらあることないこと喋ってしまうかもしれない。


 だから、既に指示を出していた。ラットに気づかれないように、一人のごろつきが間合いを詰めていた。リーダーが言った「手出しするな」はそういう手はずを命じる合図だった。


 手下の間合いまで数歩――だが次の瞬間、ラットは刀を素早く構えて、近づいてきたごろつきに斬りかかった。今度は峰打ちではない。鮮血が舞い、ラットの顔を血で濡らした。


「なあ!? な、何を――」

「ああ、悪いな。殺気を感じたから斬ってしまった」


 動揺する手下。それ以上にパニックになっているリーダーは思考を巡らせた。

 こいつはやばい。七人でかかっても勝てないかもしれない。運良く勝てても全員無傷でいられない!


「わ、分かった! そいつは連れて行っていい! 行くぞお前ら!」


 慌てた口調で手下に命じて、一目散に逃げるリーダー。手下も悲鳴をあげながら逃げていく。


「一人だけで済んだか。運が良かったな」


 そう呟いてから「出てきていいぞ」と小道に隠れていたスフィアに声をかけた。

 スフィアは目の前で行なわれた殺人に震えながらも気丈さを見せるように「これで、終わりなの?」と言う。


「ああ。終わった。こいつが目覚める前に、さっさと城下町に戻るぞ。縄、よこせ」


 スフィアは自分が持っていた縄をラットに手渡した。手早くきつく辻斬りを縛る様子を見ながら、残された死体を見つめる彼女。月明かりが照らしていて、はっきりと見える。

 亡骸からは生気を感じることはなく、ただぽっかりと口を開けていた。




 一日もかからず、依頼を達成したラットの仕事にオニオはとても満足した。


「流石やな。わしの目に狂いは無かったわ」

「ありがとうございます」

「報酬の三十ゴールドや。受け取り」


 袋に入った金を懐に仕舞うラットにオニオは「それにしても惜しいな」と笑いかけた。


「あんたが望むなら、わしの直属の武士にしたってもええのに」

「その気がないのに、よく言えますね」

「なんや。愛想ないな。ほんなら、また仕事頼むときによろしゅうな」


 オニオに頭を下げ、失礼しますと退席するラットと黙ったままのスフィア。

 二人が居なくなるとオニオは「ふう。ほんまに凄腕やな」と護衛の一人――シュミット家で最も強いとされる男に話しかけた。


「なあ。お前ならあの男と戦って勝てるか?」

「……無理をおっしゃらないでください」

「なんでや? くぐった修羅場は同じくらいやろ?」

「いえ、くぐった修羅場の数も質も段違いです」

「……恐ろしいやっちゃな」


 護衛の男はオニオに「ご質問よろしいでしょうか?」とかしこまって訊ねる。


「なんや? 言うてみい」

「ご隠居様は、あの男を本気で仕官させるつもりでしたか?」


 オニオは「お前は阿呆か」と嘲笑った。まるでそれまでの笑みが全て偽物と言わんばかりの嘲りだった。


「そんなつもりあらへんよ。わしにはドブネズミを飼う趣味はない」

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