3話 卒業式の夜そのに
「先輩は、そんなひとじゃないから」
彼女のその言葉に歩行中の足がにぶった。
「・・・・・・そんなひとって・・・・・・なんだよ。べつにおれはできるよ」
ただそれは本当に一瞬のことで、修正するまでもない小さな遅れ。
彼女は変わらず俺の隣を歩いている。
「・・・・・・いいえ、できませんよ、先輩には」
「いや、だから」
「だって、別れを切り出したのって先輩ですよね」
「っ」
俺は言葉を詰まらせた。
前方の柏原はその反応を確信していたとでも言うように、こちらに一瞥も寄越さない。
「・・・・・・なんで」
柏原が頬をふくらましてふぅー、と息を吐き出す。
「お姉ちゃんがいまでも先輩のことが大好きだからです」
その静かな言葉に、ぺりぺりとかさぶたが剥がれていく。嫌な痛みに思わず弾きそうになった舌を留め、代わりに相槌を落とす。
「・・・・・・ああ、そう」
「はい」
静かな肯定に心がささくれ立った。
「・・・・・・だからおれと稜楓によりを戻させようって?」
当然の結果として声音に表れたそんな内心を、
「・・・・・・ふふ」
柏原が笑った。
「・・・・・・は?」
「ああ、ごめんなさい。おかしいですよね、私。・・・・・・でも、べつに先輩のことを馬鹿にしているわけではなく」
「・・・・・・」
ちらりとこちらに振り返った柏原に視線で続きを促す。
「・・・・・・私を、馬鹿にしたんです」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・はぁ?」
柏原がくすりと微笑む。
「嘘です。やっぱりさっきは先輩を馬鹿にしました」
「おい」
「ふふ。冗談ですよ、冗談。まあ、でも、ちょっと考えが足りないなぁとはまま思いますけど」
「いやおいそれ馬鹿にしてるよな」
「さあ」
「いや、さあ、じゃねえ。おれのどこが頭が足りてないって言うんだよ?」
「そうですねぇ・・・・・・」
「・・・・・・」
おとがいに人差し指を当てて、考えている風の柏原に半目を向ける。
「・・・・・・」
「思いつかないんだろ?」
「・・・・・・」
「・・・・・・柏原?」
そのまま待っていると、柏原がちらりとこちらを上目に窺う。
「たとえば・・・・・・私について、とか?」
「あ? お前について?」
疑問符を浮かべた俺に、柏原がはぁと嘆息し肩を竦めた。
「なんでもないです」
「いや、意味分かんねぇよ・・・・・・」
そんなことを話しているうちに柏原家に着いた。
「じゃあな。また・・・・・・って、学校はもうないんだったか」
「あ」
「まあ、また、そのうち。じゃあ」
「・・・・・・あ、せ、先輩」
「ん?」
背中にかけられた声に振り向く。
柏原がこちらを向いていた。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
視線は定まらず、呼び止めるためにとっさに出たのだろう右手は中空に留まり行き場を失っている。やがてゆっくりと胸元に戻った右手がぎゅっと拳を作った。
「・・・・・・お、お姉ちゃん家にいると思いますけど、よ、呼んで来ましょうか?」
俺は息をついた。
「散々溜めて何を言うかと思えばまだ言ってんのか」
「・・・・・・」
「お前は自分のことだけに集中してろ。それで1年後無事合格して、まだその気があったらいくらでもおれに突っかかってくればいいから。いくらでも跳ね返すし」
「1年・・・・・・」
「? ああ」
「・・・・・・長いなぁ」
柏原が視線を遠くに向ける。
「あ? まあ1年勉強漬けはそりゃしんどいが・・・・・・」
「・・・・・・そうじゃなくて」
「あ?」
「・・・・・・いえ、なんでもないです」
「はあ?」
一瞬開かれた口はすぐに閉じ、柏原は俯き小さく首を振った。
「・・・・・・お姉ちゃん、呼んで来ますね」
首をひねっていると唐突に柏原が呟き、玄関に足を向けた。
「いやいや何でだよ、ちょっと待て」
手を掴むと柏原が足を止めた。
「・・・・・・なんですか」
「何でも何も何でそうなるんだよ。おれがいいって言ってるんだからなにもするなよ」
「・・・・・・でも」
「なに」
「先輩、長いことお姉ちゃんと会ってないんじゃないですか」
「まあそうだが」
「・・・・・・だったら、会わないと・・・・・・お姉ちゃんも冷めちゃいます」
「・・・・・・いいんだよ、おれはそれで。未練なんてないんだから」
「うそ」
「あのなぁ・・・・・・」
続く苛立ちを飲み込み代わりに息を吐く。
「・・・・・・そもそも、なんでお前はそんなにおれと稜楓のよりを戻すことにこだわってるんだよ。多少なら笑って流せるが、あまりに強引でお前らしくない」
「・・・・・・それは」
「あと、よりを戻すことに一生懸命なのはいいとしてもどうしておれにアプローチをかけさせようとするんだよ。お前の動機は稜楓がおれのことをまだ・・・・・・その、なに・・・・・・好きだから・・・・・・なんだろ?」
「・・・・・・」
柏原は振り向かず、俯いたままうなずかない。
「だったら、おれじゃなく稜楓を攻めるべきだろ。おれは卒業式の後、部室でやらなくていいと言った。それで終わりでいいはずなんだよ。だって、お前はまだおれに稜楓への気持ちが残っているかどうかさえ確かめられたらいいんだから」
「・・・・・・」
「そこでおれはないと断言した。お前は勘違いしているようだが、ないと断言したんだよ。実際のところがどうあれ、おれが拒否したんだ。なら促すべきはおれじゃなくて稜楓だろ」
「・・・・・・」
「なのに、どうしてお前はよりを戻す手段としておれに行動させることにこだわるんだ?」
一息に言い切り、柏原の反応をじっと待つ。
今この瞬間まで、おれは強引な柏原に対して「嫌」としか答えていなかった。
それは議論の必要なくおれが稜楓とよりを戻すのは嫌だからなのだが。
どうも柏原はそれでは引いてくれないらしい。
ならば、言葉で理解してもらうしかない。
「・・・・・・そんなの」
「ああ」
おれが掴む手首の先で柏原の手がぎゅっと拳を作った。
「もういいです。ごめんなさい、しつこくて」
そうしておれの手が振りほどかれる。
「ぇ?」
呆気にとられていると止めるまもなく柏原を吸い込んだ扉は閉じられた。
「・・・・・・なんでだよ。わけ分かんねえよ・・・・・・」
おれは立ち尽くし独り呟く。
「・・・・・・なんでお前が泣いてるんだよ」
彼女の落とした涙に顔をしかめつつ。
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