2話 卒業式の夜そのいち

「わ、真っ暗」


 店外に出ると柏原は驚いたように言って空を見上げた。彼女の吐息が夜闇に溶ける。


「まあもう9時過ぎてるしな。送ってくよ」

「じゃあ、お願いします」


 彼女はくすりと笑って歩き出すと振り返るように遠くに目をやる。


「それにしても今日は楽しかったですねぇ」

「まあ疲れたのは間違いない」

「先輩の身体がなまってるんですよ。勉強しかしてなかったから」

「お前がおれのこと考えずに振り回しすぎなのが原因だろ」

「だって先輩、したいこととか聞いても、ない、って言うじゃないですか」

「まあ、そうなんだが・・・・・・」

「なら私がしたいことをするのは当然のことでは?」

「それにしても限度があるだろ。せめてもう少し休憩を挟んで欲しかったんだが」

「というか、言うほど先輩動いてなくないですか? 私が服見てるときとかほとんど立ってるだけでしたし」

「いや、立ってるだけって結構きついからな」

「じゃあ私の後ろにぴったり付いて歩き回ってればいいじゃないですか」

「・・・・・・それはそれでしんどいんだよ」

「じゃあ、座って待ってればよかったじゃないですか。椅子あったんですし」

「いや、前そうしたとき、お前機嫌悪くしただろうが・・・・・・」

「そりゃそうですよ。感想聞くためについてきてもらってるんですから」

「なら立ってるしかねえじゃねえか」

「そうなりますね」

「ならおれはどうすればいいんだよ・・・・・・」

「私に付き合わなければいいのでは?」

「・・・・・・まあ、そうなんだが」


 身も蓋もない柏原におれは言葉を詰まらせる。

 そんなおれに柏原はふふっと笑って


「冗談ですよ、冗談。学校じゃ会わなくなりますけど、これからもお出かけ、付き合ってくださいね」

「・・・・・・いやべつにおれは一言も柏原と遊びたいとか言ってないんだが」

「そうなんですか? 私にはそう見えましたけど」


 きょとんと首をひねった柏原。おれは彼女からふいと視線を逸らす。


「・・・・・・気のせいだよ、気のせい」

「じゃあ私ともうお出かけしてくれないんですか?」

「いや、まあ、それは・・・・・・」

「それは?」

「・・・・・・未来のおれ次第」

「・・・・・・ふふ。何ですか、それ」


 おれがぼそりと言うと、柏原が笑った。頬がじんわりと熱を帯びていく。


「・・・・・・なんだよ」

「そんなこと言ってると私、誘いませんよ」

「・・・・・・おれはべつにそれでも全然いいけど」

「・・・・・・」

「・・・・・・」


 不自然に空いた空白におれはちらりととなりを見やる。

 柏原とばっちり目が合って、その口角がにやりと上がった。慌てて逸らす。


「まあ、普通に誘うんですけど」

「・・・・・・俺と遊んでる場合じゃないだろうが、お前は。受験生だし」


 いいように弄ばれている気がして悔しかったので痛かろうところを突いてやる。

 ところが、柏原からのリアクションがない。てっきり、うっ、とかなんとかいうと思っていたのだが。

 不思議に思って横目に見ると、大きな瞳がぱちぱちとまたたいていた。


「ああ、そっか・・・・・・受験。・・・・・・受験もあるのかぁ・・・・・・」

「いやおい、そのリアクションはおかしいだろ・・・・・・」


 柏原が足下の小石を蹴った。


「・・・・・・たまたま今日は忘れてただけですよ。いつもはちゃんと覚えてます」

「いつもはってお前・・・・・・」


 大丈夫なのかよ。

 おれはすんでの所で言葉を飲み込んだ。

 そして代わりに問う。


「・・・・・・なに、なにか悩んでんの?」


 彼女が軽く首を振る。


「・・・・・・いえ」

「・・・・・・ならいいけど」


 俺が形だけ納得してみせると会話が途切れた。

 俺と柏原の足音が、車の走行音に紛れて鼓膜を揺らす。

 彼女を横目にそっと見てみれば、視線を落としたまま変わってない。

 悩みはないとそう言ったのだから今は放っておくのがよいのだろう。

 柏原とはぐれないよう気をつけて歩いていると気づけば改札。少し歩いてホームに着く。幸いにも数分で電車がやってきたので、俺と柏原はそれに乗り込む。

 座席は十分に空いていたが、どうせ一駅で降りるので吊革につかまり電車に揺られる。

 扉が開いてホームに降りる。

 相変わらず何か考え込んでいる様子の柏原をそっと確認し、ゆっくりと歩きながら電飾に輝く町並みを眺めていると柏原がぽつりと口を開いた。


「・・・・・・やっぱり、お姉ちゃんとより戻すの、手伝いますよ」


 聞こえてきた呟きに俺は一拍おいて嘆息すると、半目で振り返る。


「・・・・・・まだ言ってんのかよ、それ・・・・・・部室でやんなくていいって言っただろうが」

「・・・・・・」


 視線を上げない柏原に俺は言葉を重ねる。


「もう一回言うが。おれに稜楓への未練は残ってないし、よりを戻したいとは少しも思ってない。・・・・・・というか、お前今、そんなこと考えてたのか?」

「そんなことって・・・・・・まあ、はい、そうですけど」


 俺が呆れた風に聞いてやると、ちらりと上目を見せた柏原が不満げに頷く。

 俺は柏原の隣に並んだ。


「お前は余計な気、回さなくていいんだよ。自分のことだけ考えてろ。高3なんていう大事な時期なんだから」

「・・・・・・」


 全く信じていない様子の柏原に俺は頭をガシガシ掻いて息をつく。


「・・・・・・万が一。万が一だぞ・・・・・・おれにまだ稜楓への未練が残っていたとして」

「・・・・・・」


 ぴくりと柏原の肩が反応した。


「・・・・・・それをお前に手伝ってもらう必要なんて、ないんだよ」

「・・・・・・」


 彼女は静かに聞いている。


「邪魔とは言わないし、その方が捗るんだろうが・・・・・・手伝ってなんていらない」

「・・・・・・へたくそ」


 何か聞こえたが聞こえないふりをする。


「・・・・・・稜楓とは春からも同じ大学の同じキャンパスに通うんだ。学部は違うが偶然会うことだって当然あるだろうし、そもそもおれはあいつと連絡を取れるからお前に仲介してもらわなくたって問題ない。・・・・・・まあ全部おれが稜楓にまだ未練があるならの話だが」

「・・・・・・できるんですか?」

「なにが?」


 見上げてきた柏原に目を合わせて首をひねる。


「お姉ちゃんに連絡」

「・・・・・・できるよ、べつに」

「・・・・・・」

「・・・・・・」


 柏原の蹴った小石がころころと前方に飛び出した。


「できませんよ、先輩には」

「・・・・・・なんでだよ」

「先輩は、そんなひとじゃないから」

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