第2話 せかいを学ぶ
その後、俺は色々と学んだ。
まず、あの女の人はエルーという名だそうだ。
レントの婚約者であり、二人であの研究所を切り盛りしている。
そんなエルーに連れられて、俺は外にも出た。
青い空。白い雲。緑の植物。
どれもこれも、しばらく見ていないものばかりだった。
あと、この時代のロボットも見た。
人間の代わりに掃除をするもの、料理をするもの、物を運ぶもの……エトセトラ。
俺のような人型ロボットも見たが、いかにも機械といったような、カクカクした動きに、抑揚のない音声だった。
「何か、約束を思い出せそう?」
エルーはよく聞いてくるが、俺は何も思い出せなかった。
あの時流した液体についても、よくわかっていない。
レントが成分を調べた結果、水であることはわかったが、何がきっかけで流れるのかわからないのだ。
この時代の技術をもってしてもわからない俺の体は、レントによって研究されることになった。
レントがデータをとり、分析している間、俺は時間を持て余す。
だから俺は、エルーの手伝いをしていた。
「いつもありがとうね」
研究ばかりしているレントを支えるエルー。一人で研究以外のことを全てやっている。
掃除から精算、電話応対……とても仕事が多い。一人でやっていたら、体を壊すのではないかというほどの仕事量だ。
その一部を俺が受け持つことで、少しでもエルーの手助けになればと、俺が手伝いを申し出た。
エルーの指示通りに、動く。
そんな様子を見たレントは、「ロボット工学の原則を忠実に守ってる」なんて言っていた。
平和な生活を送り、一年、また一年と過ぎていった。
いつも通りに買い出しへ行った帰り道。
突如、空が黒く染まった。
なんだ、なんだと町の人が空を見上げる。
空には大きな黒い穴。
俺にはそれに見覚えがあった。
「全員! 隠れて!」
俺の声も空しく、上空からやって来た生物――無者によって次々に人が捉えられていく。
得体の知れない生き物に、人々は悲鳴をあげて逃げ回る。
だが、それは奴にとって好都合のようだった。
屋外へ出てくれば、捉えやすいのだろう。走って逃げる人を、無者から出た黒い影のようなもので捉えていく。
「あいつは無者だ! 全員、何かで体温を誤魔化せ!」
俺の声が届くのかはわからない。
でも、聞こえた人もいるはずだ。
誤魔化せとは言ったが、どういう方法をとるかは人それぞれ。
冷蔵庫に入ろうとする人、水の中に飛び込む人……無者がどの程度の温度を認識して捕食しているのか知らないが、それだけでも効果はあったようである。
なぜなら無者の黒い影の勢いが弱まったからな。
その間に俺は研究所へ大急ぎで向かった。
「よかった、無事だったか!」
研究所に入るなりすぐ、レントが俺を迎えてくれた。
その隣にはエルーが、酷く怯えた顔で小さくなっている。
「まさか無者が現れるなんて予想外だった。町の様子はどうだ?」
俺は見たまま、ありのままの様子を伝える。
逃げ惑う人、捕まった人、対応する人。悲惨な状況であると。
「そうか……俺たちもすぐに――」
レントの言葉を下げるように、研究所の扉が無者の影によって割られた。
「早く逃げて!」
体温を持たない俺が、狙われることはない。
影が狙うのは人間、レントとエルーだ。
伸びてきた影から突き放すように、レントを突き飛ばして、影とレントの間に俺が入った。
するとレントを狙っていた影は、ピタリと動きを止める。
「いいから、早く!」
転んだレントだったが、すぐに立ち上がり、エルーに走り寄った。
だが――
「きゃぁぁぁ!」
エルーの悲鳴。
「やめろぉぉぉ!」
続くレントの叫び声。
その声の方へ目を向けると、足に影が絡みついたエルー、そして離すものかとエルーを抱きしめるレントの姿があった。
無者も馬鹿ではない。
獲物一人に絡みつく、別の獲物がいるのなら、まとめて捕らえようと試みる。
無者の影は、レントにも伸びてきていた。
このままでは、二人とも捕食される。
ロボットの俺に出来ることは何か、必死だった。
「これだっ!」
俺は研究所入口奥の壁際へ走った。
そこにあるのは、緊急用のボタン。エル―からこのボタンは、もしものときのためのスプリンクラー起動ボタンだと聞いている。
そのボタンを、可能性にかけて、強く押した。
すると、すぐに上から冷たい水が放たれる。さっき町で見たように、水によって体温が下がれば無者も退くと考えた。
俺のその予想は的中し、無者の影はするすると引いていく。
「早く、奥へ」
「ああ……」
影が離れた隙をついて、俺たちは奥へと逃げ込んだ。
「エルー……エルー……!」
エル―を背負ったレントとともに通路を駆け、できるだけ研究所の奥の部屋へ向かった。
一番奥の部屋。休憩室として使う部屋へ入る。
そして、レントはソファーにエルーを横たわらせる。
「エ、ルー……?」
エルーの左足には、無者によってつけられた大きな傷があった。
肉が見えるほどにえぐられ、すぐにソファーを赤く染める。
レントは大慌てで、止血し、手当をし始める。
「あ……大丈夫、よ。心配しないで」
弱弱しいエルーの声。
それはレントに向けられたものなのか、それとも俺に向けられたものなのか。
「カルエト! エルーの手を握っていてくれないか!? 俺は傷をふさぐ。これでも医療の知識もあるんだ。俺が、やらなきゃ。俺が……」
レントに言われるがまま、俺はエルーの手を握った。
ロボットの俺の手は冷たいだろう。
俺の手が、エルーの血によって赤くなる。
その途端、何かが体中を走った。
「うぁ……お、俺、は……」
赤い血。
弱弱しい声。
それがトリガーになって、俺の記憶領域の重い扉をこじ開けた。
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