やさしいせかい

夏木

第1話 過去のデータ



 ――これは私との約束だからね。



 ずっと昔のデータ。

 俺を作ったマスターである彼女とした約束。でも、その内容が分からない。

 記憶領域に問題が生じているようだ。自己修復は……不可能。

 誰かに直してもらうにも、人がいない。

 俺がいるこの場所にいないのではない。この世界で、人が、人間がいなくなった。



 2XXX年。

 世界を襲ったのは、1匹の未知の生物だった。

 鳥のような姿を模したそれは、空にあいた大きな穴からに現れると、上空から人間を次々に捕食した。

 今ではもう、青かった空を黒く埋め尽くすほどに数が増えている。

 どうやら奴らは視覚や聴覚で人間を見つけるのではなく、熱で見つけているらしい。

 体温を持つ人間は、皆、奴らの餌食となってしまった。


 そんな世界で、俺は残っている。

 なぜなら俺は、人間ではなく、人の形をしたロボットであるからだ。

 体温を持たない俺は、奴らにつかまることなく、今もこうして黒い空の元で過ごしている。

 でも、もう体のあちこちにエラーが出ていた。

 数日前にも左側の手が取れてしまった。右の眼となっているカメラはとっくの昔に破損している。残った左眼も、レンズにヒビが入っている。



『Error:958』


 また、エラーが出た。

 今度は足だ。ゴミが詰まったか、さびてしまったのか。

 残った右手だけでは、エラーを処理することはできない。

 どんな約束だったのかわからないのに、約束を守ろうとして、俺はずっと歩き続けている。


『Error:958』


 繰り返し表示されるエラー。それでも俺は進まなければならない。



 ブチッ。


 変な音が聞こえたのもつかの間、視界が傾いた。

 どうやら俺は倒れたらしい。足の配線が切れたのかもしれない。

 足だけじゃない。腕も動かない。メイン回路がダメになったか。

 ああ、そうか。ここで俺は終わる。いや、ロボットに終わりがあるのかわからないが。

 黒い空はもう飽きた。

 俺はシャットダウンした。




 ☆


「起きたか?」


 久しぶりに体にエネルギーが満たされ、起動された。

 目の前には、成人男性が一人。

 ……待て、これは人間、か?


「お前さんが発掘されて、俺が修復したんだ。ああ、俺はレント。ここの研究所でロボット技師をしている」


 レント。

 確かに人間のようだ。

 でも、あの生物のせいで、人間は全滅したのではないか?

 俺が全滅を確認したわけではない。勝手にそう判断しただけだから、生き残りがいた、そういうことだろう。


「お前さんの名前はっと……」


 俺の体には無数のコードが繋がっている。

 それを伝った先にある機械で、レントが何かを見ている。見たことない機械だが、俺のようなロボットを作るときに使うものだろう。


「あった。えっと、カルエト?」


 久しく呼ばれていなかった名前だ。

 何年ぶりだろうか?


「カルエトが作られたのは……嘘だろ、200年前!? その時代にロボットを作る技術があったとでもいうのか!?」


 俺をよそに、レントは俺の体をまじまじと見る。

 かなり人間に近い形で作られた俺の体。いくら見られても、ロボットである俺に羞恥などない。


「カルエトが一度シャットダウンしたのが、恐らく200年以上前のことだ。その時、変な生き物が空にいなかったか?」


 変な生き物?

 ああ、あの鳥のような黒い奴らだろうか。


「そいつらのことを俺たちは無者むじゃって呼んでる。一時は人類全滅かってくらいに、無者に喰われたが、ある日を境にパッタリと無者が消えたんだよ。んで、今、人間は何事も無かったように暮らしてるってわけ」


 なるほどな。

 こちらから聞いた訳ではないのに、レントはペラペラと話してくれた。

 その内容を記録しておこう。

 ……おや? 記憶領域のエラーが消えてる。それに、体中にでていたエラーも。


「あとちょっとでエラーの処理が終わるから、そのまま待っててくれ」


 ロボット技師という肩書きを持つレントは、俺に背を向けてしまった。

 カタカタと他に誰もいない部屋に鳴り響く。

 俺はその間、じっとレントの背中を見ていた。

 しばらく経つと、レントが手を止めた。


「終わったぞ。これで体も動くはずだ」


 プシューと音を立てて、体に繋がっていたコードが勝手に外れる。


「記憶領域に関しては、カルエトの大事なものもあるだろうし、いじってない。メイン回路の修復と、エラーの処理。あとは、体のメンテナンスをしたぐらいだが……」


 そう言いながら俺の傍まで来て、まじまじと体を見る。

 俺の体は、何もまとっていない。


「とても200年前のロボットとは思えないほどの作りだよな……現代の技術をもってしても、ここまで作れるとは思えない。まるでカルエトは人間のようだよ」


 感心しているようだ。

 俺は今までに、他のロボットを見たことがない。

 俺を作ったマスターは、俺以外にロボットを作らなかったからだ。

 だから、他のロボットがどんなものなのか知らない。

 俺にはあらゆるデータが不足しているな。


「人間そっくりなカルエトが、裸で出歩かれちゃ困るな。そうだ、俺の服! 大きいかもしれないけど、着るものないとな」


 レントはどこからか服を持ってきた。

 その服は、俺のデータにあるものと類似している。200年経っても、服に違いが生まれなかったらしい。

 マスターが着ていたように、俺は服を身につけていく。


「へぇ……服の着方までわかるのか。興味深い」


 そんなレントの声を聞きながらも、服を着た。

 丁寧なことに、ブーツまで用意してくれた。


「本当に人間そっくりだ……高さ、顔の作りからも、10代後半から20代前半ってとこかな」


 レントの隣に並んで立つと、俺の方が少し小さかった。

 レントは俺を見て、ブツブツ言っている。


「お疲れさまです。夕食の準備がで……まぁ! そちらの方は一体……?」


 ノックもなしに開けられた扉から、成人女性が一人。

 長い髪、高い声。大きな目。

 どこか、――マスターに似ている。


「あら……? どうして泣いているの?」


 俺の目から流れ出した液体。

 何で出たのかわからない。

 止め方もわからない。


「わか、らない……でも、俺のデータにいる彼女があなたに似ている気がして……」


 止まることを知らないそれは、頬を伝い落ちていく。

 そんな俺を見て、レントは今までにない驚きの表情を浮かべていた。


「ロボットが……泣く? 感情があるというのか……?」


 レントはドタバタとし始める。

 その間も俺の目からは液体がこぼれ落ちていく。


「あなたの大切な人なのね」


 液体をぬぐったのは、レントではなく、彼女に似た女性だった。


「大切な、約束をしたはずなのに……思い出せないんだ。彼女との、約束が……」


 何かをしてほしい、そんな約束だったようなそうでないような。

 わからない。

 そのせいで、俺の目から液体が出る。


「泣かないで。一緒にどんな約束だったのか、考えていきましょう?」


 優しく、温かい声が、俺を包んだ。

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