10-X2

 カーラン学園。

 貴族の子息子女が通う、一流の教員や職員、護衛官や施設が揃った王立の教育機関だが、この学園に学問を修めるべく入学する者は稀である。


 彼らの多くは幼少期より家庭教師が付き、当主の方針によって一定以上の教育が施されている。今更学園でゼロからイチから学び始めるといった者はごく少数。

 大半の生徒は社交界の延長線上、王国の未来を担う同世代との交流を主とした視点で入学を果たすのだ。

 それも将来を見据えた関係性、コネクションの構築を目的とするのだが、いわゆるモラトリアムの気配も無いではない。


(当てが外れてしまいましたわ)


 事前に連絡は受けていたとはいえ、やはり調整は上手くいかなかったのだ。

 入学式を終えた頃、広々とした自室で大公家令嬢フェリタドラ・レドヴェニアは少々気落ちした様子で人知れずため息をついていた。他者が見れば愁いを帯びた絶世の美少女、彼女とは異なる感嘆の息を漏らしたであろう。


 貴族には、良家の令息令嬢には成人前から婚約者を持つ者が多い。

 他家との関係を深めるための婚姻政策は古今東西どの時代でも行われる普遍的かつ不変的な手段。ロミロマ2世界でもそれは同じ、むしろ血統重視の貴族社会が世界秩序を担っているなら尚更だ。

 フェリタドラもその例に漏れず、既に婚約者を持つ身。

 事情をより掘り下げるならば、左程面識のない相手と婚約している身。


(エリオード殿下と入学の時期がずれてしまうとは、上手くいかないものですわね)


 平時の交通手段が馬車に頼るロミロマ2世界では王族やそれに準ずる地位の御家であっても容易く王国内を行き来するのは困難である。それ以下の貴族はより不自由を強いられるのは言うまでもないだろう、中には一方の家に入り浸り親密さをアピールするような例も無くはないが。


 こういったコミュニケーション不足の傾向を解消すべく、各地で開催される社交界は周辺の貴族が集まる貴重な交流行事として重宝されるのだが、それでも大勢に挨拶回りを強いられる場だ。顔を合わせる回数を重ねる機会となり得ても、多くの時間を共に過ごすと表現するには足りない。

 付け加えて彼女の場合、互いの立場から成る多忙さも併せて顔を合わせた回数すらも指折り数える程度、時間にすれば微々たるものでしかなかった。


 こういった事情を踏まえ。

 カーラン学園には直接交流の少ない婚約者同士が面識を深める場との意義も存在した──それを逢瀬と呼ぶかどうかは当人達の意思に任されるが。


 貴族の婚姻には政治が絡む、本人同士の好悪で関係が結ばれる、或いは破棄される例は少ない。

 しかし学園での3年間で寮住まいを続ける中、互いの距離感を決める自由は与えられる。御家の決めた義務として接するか、それ以上の関係を構築できると示し合わすか……というわけだ。

 恋愛から成婚に至る例など貴族には滅多にない、それでも夫婦関係には愛や理解、相手を尊重する意思があるに越した事はないのである。仮に義務感のみの婚姻、世継ぎを作ればあとは好きに生きる関係であっても、互いにそうと知れることは後々出火することに比べればマシなのだ。


 フェリタドラにとっても学園生活は意思疎通の貴重な機会となるはずだった。

 しかし既に多くの役目を負っていたそれぞれの立場から入学時期がずれてしまい、彼女と婚約者たる第2王子エリオードは婚姻前の接触機会を大きく損なう結果となった。

 成長したお互いを知る、宝石のように貴重な時間が。


 二人が成婚する、余程の政変でも生じない限りは第2王子が大公家に臣籍降下する形で大公位に就くことは決定事項。フェリタドラは長子として大公妃となるのだが、政治的な思惑を超えたところで相手の人となりを知りたい思いはあったのだ。


 彼女とて人の子である、それを若さと笑うのは器量が小さいというべきだろう。


「……上手くいかないものですわね」


 ゲームでは意図的に用意された入学時期のズレ。

 本来の婚約者同士、大公家令嬢と第2王子の交流機会を減らし、その隙間に女主人公マリエットが入り込む余地を作るためのズレであったのだが、この世界で生きる彼女には知る由もない。


******


 フェリタドラにとって学園生活最大の利点だったはずの機会、第2王子との交流が阻害された今、彼女の前に転がるのは常と変わらない光景である。

 常に人の目を集める立場、大公家の人間として恥ずかしくない振る舞いを求められ、または幻想を抱かれる立場。御家の名誉を損なわぬよう役割を果たす、これもまたいつも通りのことなのだ。


 学園生活2日目。

 武術の授業、決闘の礼儀として修めるべき手習い。王国の成立以前より王家の血筋に付き添った先祖に倣い、フェリタドラも一族に伝わる武技を磨いて今に至っている。

 薔薇十字の剣。

 これに連なる武芸の数々、未だ秘奥に届かぬ身であるが精進を続けている自負はあった。


 故に彼女が他人の技量を測る目に厳しさが含まれていたのは否定できない。しかし入学生の技量を知るとの名目で行われた大会形式の模擬戦闘。

 彼女の両眼が優雅に、そして不機嫌に薄く閉じられたのは厳しさだけが原因ではない。


(学園は社会の縮図とはよく言ったもの。あの手の輩が這い出るのですから)


 大公家の薔薇は嫌気の吐息を噛み殺す。

 後にルボアルが評したように、彼女がドゥーガンの工作に気付かないわけもなかった。あからさまに技量劣る少年が一方的に攻め立て、戸惑ったような相手の防御を抜いて勝ち残る。

 ──見え透いた彼の思惑、愚行の一言に尽きた。


 彼女は特別潔癖というわけではない。

 そもそも人の上に立つ者、その立場を背負う者が清廉潔白を突き詰めれば政治は成り立たない。現実は綺麗事で済まされないものだ。

 王家の代理として政務を代行し、時には影と闇に紛れて役割を全うする。国家の安寧をどこか誰かの血で贖う、それを為す一族の長子。必要な場合はあらゆる手段を用いる、既に大公家当主の密命を果たす立場にある彼女は政治工作の全てを不正だと糾弾する狭量さとは無縁。

 それが小さな欲に端を発していなければ、であるが。


(コートラド伯爵家、ブロンザンド公爵の一門だったわね)


 頭の中で貴族一門の関係図を思い浮かべて辿る。

 ブロンザンド公爵家は王国東部に領地を置く大貴族の一角だ。南のリンドゥーナ、北のシヴェルタに並ぶ東方の龍、華漢央国を睨む要。

 大公家やブルハルト筆頭公爵家には及ばずとも一大勢力の下にいる伯爵家の嫡男が、何を血迷ったのか派閥替えの危険、それを疑われる行為に及ぼうとしている。とても当主の判断とも思えない、おそらくは己の覚えを良くしたい程度の浅慮がさせた暴走なのだろう。

 しかし彼女に矛先を向けての悪行だ、笑って許せるほどの軽挙でもない。


(御家の地盤を揺るがせる愚挙だと思い至らないのだろうか)


 謀略とは相手に気付かれない、察知された時には既に遅く、それでいて相手に反撃の余地を与えず痛撃するか一定の利益を保証するものでなければ遺恨を生む。

 彼女は政治上の謀略を否定しない、それでもやり方進め方を選ばない者は不始末を問われる前に切って捨てられるのだと少年は理解していないのだろう。

 御家の後継たる者が既に下級貴族数名の恨みを買っている。後々の禍根となる可能性を考慮しないのであれば彼は人の上に立つ資質を欠いていると言っても過言ではない。


 実力に勝る相手を権力で打ち倒し、自慢げに勝ち名乗りを上げている愚かな少年を見やってフェリタドラは算段をつけておく。

 彼が自分の前に立った時、どのような形で愚行の因果を含めさせるかを。


 ──もっとも。

 彼女が果たそうとした処断の役目は直前で意味を失うこととなる。

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