8-XX
「それで陛下は何と?」
「礼には礼を以って。陛下の一存でこちらも使節を送る段取りとなった」
老齢たる皺を刻んだ家令の確認に初老の当主は苦々しく応える。
ついぞ先日、彼らの関わり無き差配で国は隣国の使節を学舎に受け入れたのは家令も知るの事実。
隣国のナンバー3、名立たる大貴族から人を受け入れるという決して小さくない国家事業の一端を国内最大の名家だった彼らの一族が関与できなかったのは隔絶の感があるといっても過言ではなく。
実際、かつての栄華が僅か一代の合間に零れ落ちた後なのは家々を見回せば誰もが納得せざるを得ない。
一族に衰退をもたらしたのが誰のせいなのか、両者が「陛下」と口にする端々に垣間見える感情からも明らかである。それが意趣返しであることもまた理解しているが故に苦味は己にも跳ね返る。
(まさか、まさか。あの妾腹の若造が玉座を占めるとは)
過去の所業を悔いる主人の苦悩に気付かぬふりで家令は、先代より御家に仕え時に主の代行として家内を取りまとめる使用人の長は言葉を続ける。
「ゴルディロアと我が国は決して良好な関係ではありませぬ。情勢の変化で使節となる者の身の安全も保障されぬのは御承知のはず」
「……」
「にもかかわらず、自ら推挙なさったと?」
「…………止むを得まいが」
苦味が痛みにまで増す。現王に睨まれた立場である以上、過去の栄光で身を立てることは出来ない。新しく、目に見える形で国に対する貢献をしなければ沈んだ身を立て直すことも適わないのだ。
「確かに、血の歴史で言えば当家は王家に次ぐ古さ。ゴルディロアのブルハルトにも引けを取らぬ御家となれば候補は限られまするが」
「戦いが起きれば」
当主は物騒なことを口にする。
戦争を望む、争いを欲する。平穏を求める者にはとても容れられぬ意見であるが、かの家の成り立ちはまさに戦場が保証したもの。
王家の軍神、彼らの自負がそうさせたのだ。
「戦いが起きれば我らが独壇場。陛下も己が誤りを認めると思うていたが……まさかゴルディロアとの和平を求めるとは」
腰抜けめ、との言葉は流石に飲み込んだ。どこに王家の耳が潜むとも限らない、威信を失い諜報の力をも低下著しい御家にそれを察知できるかは疑わしいのだ。
ちょうど先日、隣国のナンバー2大公家の間者が為した不意打ちを予期できず受けてしまったように。
「タイミングからして、あれも決して情勢と無関係ではあるまい。トゥリプラは何と言っていた?」
「は、旧友からの文をいたくお喜びに」
「あんなものは表向きであろうに。我が娘も勘が鈍ったものよ」
呆れたように溜息をつく。
出奔していた彼の娘、病を患い舞い戻ったかつての雛鳥は小さくない卵を連れていた。逃げた理由は分かったが、失われたものの大きさを埋めることは出来ない。
弱り目に祟り目、政略の切り札足りえた娘の出奔と現王の報復は随一の名家を見る影なく凋落の憂き目に晒した。
これ以上の、以下の扱いとされぬために人身御供に成りかねない事業にも挙手は避けられなかったのだ。
「返礼とのことで、我が国からの使節も先の例に踏まえた形であるようですな」
「ああ。短期と長期……向こうは継承権を持つ嫡出子を送って来たのだ、短期はダムドーラを送らざるを得ん」
一族内の格と年齢を照合すれば他に人選のしようがない。当主にしても悩ましいが元より無理筋の自薦、人を差し出す覚悟と引き換えだ。
何事もなく終わるよう祈る、否、手を打ち尽くす以外に選択肢はない。
「だが長期は……それこそ真に人身御供よ。あちらの次男とやらも失われても痛み少ない人選だろう」
先の名家の性質は理解している。魔術を根とする女系一族、男は継承権を最初から持てない特殊な一族だ。最初から人質に失われていい人材を配置した姿勢を隠すこともしていない。
それでいて一般的な貴族社会の視点から見れば長男に次ぐものを送り込んでいる儀礼を通した形。なんとも悪辣な手法ではないか。
「こちらも一定の血を秤に載せねば示しがつかん。しかしそちらにダムドーラを送るわけにはいかんのだ。ならば……」
見栄と実績、当主の懊悩は結論を出せない迷宮に嵌り込んだ。
そこに助け舟を出すのは当主以上に家を知り尽くした老域の男性。
「──ならばトゥリプラ様の連れ子を差し出されては?」
「……なに?」
「トゥリプラ様はまごうことなき御当主の長女長子、その連れ子なれば血筋の半分はれっきとした御家の直系にございます」
「ふぅむ」
「それにダムドーラ様が居られる今、彼の者の存在は劇物。最悪家内対立の柱となりかねません」
当主は唸る。確かに名案、妙手のように思える。
かつて愛した娘の落とし子、扱いかねる忌み子、素性も知れぬ不肖の子だ。とても名誉ある家を継がせる気にもなれない、さりとて放逐する判断も下せなかった宙ぶらりんの存在。
いずれ帰参した娘の存在は世に明らかにせねばなるまい、その時に災厄の種になるのは娘自身よりも子供の方だ。
家令の申した通り、本家の血を色濃く受け継ぐ直系の男子。傍流より養子に迎え次期当主の座に据えたダムドーラより上なのがさらなる問題となるのは必至。
だとすれば数年限りとはいえ海外に身を預けるのは体のいい厄介払い。その合間に放逐の手立てを考える猶予が生まれ、たとえ激変する政局外交の果てに失われようともそれは現王とゴルディロアの責任であり、娘にも言い訳が立つ。
懐も胸の内も左程痛まないに違いない。
「お主の言をよしとする、そのように計らうように」
「御意」
当主の許可を得た家令は頭を下げ、素早く家長の部屋を後にした。
******
「あれで良うございましたか、お坊ちゃま」
「ありがとうございます。あと敬語はやめてください、僕は継承権も何も持たないただの子供ですから」
「いえ! お嬢様のご子息なればこのセバスマユリめにとってお坊ちゃま以外の何物でもございませぬ!」
「あ、うん、そうなんだ」
少年は困ったように頬をかく。
継承権放棄を引き換えに要求した通り、自分の教育係も務めてくれた家令の全身から発する頑固爺のオーラは彼にも覚えがある、親方と同じでこうなっては梃子でも動かない、何を言っても聞いて貰えないと早々に説得は諦めた。
「このセバスマユリ、重ねてお聞き致しますが本当にこれでよろしうございましたのでしょうか。老骨においても不審不安を拭いきれません」
「まあそうですね、危険があるのは承知の上です」
「なれば──」
「でも、まあ」
近々戻ると宣言した、約束した。
具体的な形を決める前、母を孫のように可愛がり愛してくれている家令がもたらしてくれた御家の状況。長年対立していた両国間の情勢から見れば不思議にも隣国との歩調を合わせるような政策に好機を見た少年は家令にひとつ頼み事をした。
どうにか自分をそこにねじ込めないだろうか、と。
気さくで面白くて飾り気なくて、それでいて強くて。
しかし危なっかしくて自分から厄介事に首を突っ込んだり巻き込まれたりする人の近くにいなければ手助けすることも出来ない。
「僕にとっては濡れ手に粟って奴だったんですよ」
不可解だと首を傾げる家令に感覚的なものを全てを伝えるのは難しい。
そう、これは感情にまつわる問題なのだ。
彼女の隣に立てるかどうか、いわゆる「青い血」とやらを半分得ただけで叶うか否か、なんとも言い難く判然としない。
それに運良く立てたとしても、きっと平穏とは無縁で騒がしく、無闇に忙しい毎日と化すのだろう。彼女はそうした星の下に生まれた希種、彼女を取り巻く周辺はかつて少年が母と過ごしていた日常と掛け離れたものに違いない。
──なのに楽しいと思ってしまった自分がいる、心があった。
あの彼女に付き従うには並の努力で務まるまい。そして努力が叶う、報われるとも限らないというにもかかわらず。
それでも少年にとっては手を伸ばす、背伸びしてでも掴み取る価値のある。
人生を賭けてやってみたくなった挑戦なのだ。
かくて舞台に上がる役者は数を増やし、彼女は混乱する。
~『前準備編』 完~
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これで第1部『前準備編』とでもいうべき括りが完結しました。
アルリーの学園入学、ヒロインの入学1年前から始まる第2部『カウントダウン編』はしばらくお時間いただくかと。
正直思いついた別のネタを書きたくなり少々浮気すると思いますので。
こんな話でも続きが気になる方がおられましたら星なり応援なりコメントなりレビューなりで甘やかしておいてください、それが励みになります。
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