8-X2

「アルリー・チュートル。彼女をブルハルト家に引き込めましぇんか?」

「……あら、それはどうして?」


 家族に向けた微笑みに魔女の欠片が混ざり出す。

 妹の口にした相談事という態の提案、あえて問いかけを投げ返したがホーリエにもある程度の予想はついている。

 愛らしい小鳥が囀ったのは自分を守った男爵令嬢の名だ。

 ブルハルト家に名を連ねない、大公家派閥の末端に位置する『上がり盾』、貴族の第一歩を踏み締めたばかりの騎士上がり。

 本来ならば彼女達の目に留まることのない、彼女達の従僕や執事、軍事部門の長が差配する範囲で収まる人事対象。異なる派閥の下級貴族なら尚のことだが、


(アリティエにとっては目を逸らせない相手になったものね)


 冷たい論理で言えば男爵令嬢にアリティエを救う義務は無かった。

 護衛役を仰せつかった立場でもない貴族が身を張り、進んで誰かの盾になる理由は薄い。まして彼女は他派閥の人間で男爵家の一人娘、御家のことを優先すれば己が生き延びる方策を取ろうと表立って責める筋合いは無かったのだ。

 なのに彼女は立ち向かい、逃げ延びずに生き延びた。


(百聞は一見に如かず、デビュタント前で信じられる近侍を持たないアリティエにはこれ以上のない良物件に映るのも当然かしら)


 貴族が半人前を卒業するデビュタント。

 それを機に家来、取り巻き、家臣団とでも言うべき閥を作るのが上級貴族では常態化しているといってもいいだろう。位が上な者ほど熾烈な競争を繰り広げるのが貴族社会の習い、兄弟姉妹でも派閥を作るのは王家などが良い例だ。


 目立った対立は無くとも派閥は生まれるもの、担ぐ対象を押し上げようとする人間たちがいる限り。彼らをどう扱うかは据えられた神輿の器量によるが、軽挙を抑えるにせよ影日向に争いを煽るにせよ、本当の意味で信を置ける者を自らの周囲に持てることが出来るかの重要さに変わりはない。

 件の男爵令嬢が備えた人品は聡明なる妹の眼鏡に適ったというわけだ。縁故なく身をもって証明したのだから無理もない。


(でもそれを理由にするのは失格よ、どう答えるかしらアリティエは)


 こと取引や駆け引き、配慮の申し出に対して本音を本音のまま語ればそれは相手に弱みを見せることと同義。そして私欲を前面にする要求はただの我がまま、貴族的傲慢さに繋がる。

 個人的な要望を隠し、どのようにして他者の、組織の、多数の、公共の利益に成り得るかを自然に糊塗できてこそ提案者、人や物を動かす貴族足りえるのだ。


「それ程難しい理由ではありましぇん」


 果たして口を開いたアリティエはどのような建前を紡ぐことが出来るのか、魔女の微笑みの裏では聡明にして早熟な妹の器量に期待する自分が居てホーリエは己の中途半端な内面に苦く笑っていた。


「言うまでもなく彼女は魔術の全適正持ちの人間でしゅ。ランクは低くとも稀有な才能、ブルハルトに足す血の一滴に申し分ありましぇん」

「そうね、我那われなもそれは認めるわ」

「同時にチュートル家の家計を遡り、過去から今に至るまで魔術的に稀有な才能の持ち主が居なかったのは確認済でしゅ」

「あら、手が早いこと」

「彼女が何故全属性の才能を開花させたのか、どのような条件で開花し得るか、手元に置いての調査は血の確保以上の利益足りえましゅ」

「成程、興味深い命題だわね」

「『宝石眼』に並ぶ才能の発露と可能性、一族の夢が広がるというものでしゅ」


 あくまで一族のため、魔女の家のための追及。

 表面取り繕いとしては完全に正しい。随分とクールな物言いをする、本音の置き場に見当ついていなければ姉をしてもそう思ったことだろう。

 妹は正しく貴族をしている、演じられるとホーリエも強く認める。


「末端でも大公家の筋、引き抜きは対立の小さな芽に成り得るかもしれましぇんが一考の価値は充分にあると進言した次第でしゅ」

「そうね、すぐに返事は出来ないけれど」

「けれど?」

「アルリー・チュートルと我那は1歳違い。学園で面識を得ることもあるでしょう。彼女の人品や諸々を測って判断すると約束しますわ」

「ありがとうございましゅ、ねえさま!」


 認めたならばとホーリエも妹の意見に条件付きなれど賛意を示した。必要を感じれば大公家派閥の人間であろうと軋轢を承知で実利を取ると。

 あくまで口約束、確約には遠いがアリティエは頷き礼を言う。今はこれで満足と姉の前を辞する。

 妹が飛び立った後に残るのは魔女の顔を取り戻した次期当主。


「アリティエの本心は置いても、御家の利益に繋がるのは確かだものね」


 思えばアリティエの壮行会で一言二言交わしただけの相手、教会推薦に乗って使節団に組み入れただけの下級貴族子女。それが予想だにしない形で再び目にすることとなったのは如何なる神の悪戯、奇妙なる偶然か。

 ブルハルト家は魔術を至高のものとする一族。

 故に学術的な魔術とは別に不可思議な事象、縁起や予兆、先触れといった出来事に重きを置くところがあった。


「……こういうのも奇縁と評するべきかしら?」


 ホーリエ・ブルハルトは予感として記憶する。

 妹の騎士となった男爵令嬢の名前を。


******


「これで筋は通したでしゅね」


 姉の前を辞して広い廊下を進む四女アリティエはひとりごちる。

 つい先程、少女は長姉にひとつの提案をした。大公家に属する男爵家の令嬢を傘下に迎え入れることは出来ないかと。

 一定以上の利は示し、次期当主も見当を口で約束はしてくれたが確定ではない。今後の情勢や大公家との関係でそれも反故にされることも充分に有り得る、それが政治であり家の舵取りを図る次期当主の責務でもある。

 しかしそれならそれでいい、アリティエは頷いていた。


(御家の利点は説明しましゅた。でしゅがわたち個人が全てねえさまに任せ、独自に動かないとは言ってましぇん)


 先に話は持ちかけた、しかし動く気配は無かったので自分の裁量で人材確保を行った。言い訳の材料には充分だろう。

 姉に話したのがプランAだとすれば、これから彼女が働きかけるのはプランB。御家ではなく彼女自身がアルリーを手元に迎えての未来。

 地位に驕り、競い合う精神を失った一族内部への痛烈な一打。


(全属性の血を入れての分家を作る、本家の座に胡坐をかいたみんなの、ねえさま方の頬を引っぱたいてやるでしゅよ)


 長女ホーリエはともかく二女三女の姉達は継承者の自覚薄く、『宝石眼』を持って生まれた長女に頼り切りで自身の才能を磨く義務を怠っていた。

 万一にもホーリエが病に斃れる、不慮の事故に合う──ここに暗殺者を送り込まれる可能性を身近に感じたアリティエである──なども考えられる情勢で、緊張感を失っているといっても良い。


(そもそもおかしいのでしゅよ、5代続けて長女が当主に就いている実情は。長子継承を言い訳に義務を怠ってるとしか思えないでしゅ)


 代々複数の姉妹を以って比較される継承者、続けて長女が最高峰の才能持ちになる確率にしては重なりすぎの現状、まともに競われていないだろうことの証。

 魔女の一族、魔術の才を以って身を立てる筆頭公爵家の緩みを正す方策は無いものかと頭の片隅に仕舞っていた思案が天啓を得た。

 人品に優れ、信用できる全属性の持ち主が現れたのだ。

 それも家の位低く引き抜き工作の許容範囲内であろう人材が。


(他人が欲しがる物の値は釣り上げられると相場は決まってるでしゅが、諦めるには惜しいでしゅよ)


 アルリー・チュートルの価値は信頼できる腹心、光闇属性の後付け実験が続行できるだけではない。全属性の彼女と基本四属性を得たアリティエの血筋が将来的に合わされば、子々孫々にどんな可能性を生み出すのか。

 危機を煽れば本家筋の人間たちも慌て本懐を思い出すだろう。才能は磨き上げてこそ才能、宝の持ち腐れは文字通り腐って果てるものだと。

 家の中で競い合う精神を忘れたならば家の外に危機感を生み出す。家を割る危険性を理解した上で結論出した、これがアリティエのノブリス・オブリージュ。

 貴族たらんとせざる者は貴族であるべきではない、一族に向けるにしてはドライすぎる視点である。


(それに、でしゅ)


 暗殺未遂事件の当事者で唯一の目撃者、彼女のみが知る不可思議がひとつ。

 アリティエは目の当たりにした、アルリーが暗殺者と交わした一連の攻防を。

 「目を瞑れ」と言われたものの、最後まで見届けるのが矜持だと目と耳を総動員した結末を。


 絶体絶命の最中、暗殺者が裂帛の殺意を発した後にアルリーは「何か」をして暗殺者の背後を取り一撃の下に敵を討ってみせた。

 魔力毒に身裡を冒されながらも大量の魔力を燃焼させての「何か」。

 確証はないため姉にも報告しなかった「何か」、魔術ともつかぬ「何か」だ。


(ひょっとして……との思いはあるでしゅが、気安く開示するカードではないでしゅからね)


 それこそ求める彼女の価値が飛躍的に高まりかねない。欲しい物は競争相手少なく静かに手に入れるのが最上。

 自慢ならば手に入れた後ですればいいのだ、自分が求めた人物はこのように素晴らしいのだと。


 独自に動くプランB、無論彼女の案にも問題はある。

 その最たるものは、


「彼女か、それともわたちか。どちらかが男ならもっと話は早かったのでしゅが」


 プランB最大の欠点は、次代で即の結果は出ない組み合わせであること。いずれかの子が互いの血を迎えて孫を為すのが最速になることだ。

 降って湧いた幸運も万全ではない、運の総量に文句を言っても仕方ないだろう。

 彼女は命を拾い、人材を目にした。これ以上を最初から得られる物と望むのは贅沢が過ぎる、不足は自分の手足で埋めるのが正しいやり方というもの。


「まずは分家設立の準備。功を為して他家に出すのは惜しいと思わせればいいでしゅね。後はアルリー・チュートルをどう口説くかを考えるべきでしゅか」


 姉が約束通りに人材確保に動けば全てが無駄になるプラン、アルリーが鞍替えを拒否しても同様だろう。しかし彼女は手を止めず、まるで生き急ぐかのように歩みを忘れない。

 打てる手は全て打ち、万策尽きればまた次なる案をイチから紡ぐ。


 アリティエ・ブルハルトは限界まで努力を怠らない、諦めない少女だった。


******


 ゴルディロア王国北方の地。

『大公』ルートの要、ブルハルト筆頭公爵家にて蝶ならぬ小鳥の羽ばたきが気流を乱す可能性をアルリー・チュートルは知らない。

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