8-X1
ブルハルト家四女暗殺未遂事件。
この一件が関係者の内外にもたらした衝撃は決して小さなものではなかった。
決して良好とは言い難い隣国リンドゥーナとの関係の中で執り行われた交換留学事業。筆頭公爵家の継承権4位という至高ならずとも軽視も出来ない地位の少女が赴き、帰途の最中に襲撃されたのは如何なる理由か。
関係者各位は思ったことだろう、心当たりはありすぎる程にあると。
古より未だ安定ならざる大陸の歴史。
大国の重鎮を占める魔女の一族も存分に力を揮ったからこその地位。王国の発展に多大なる寄与をし、または他者を蹴落とし続けた名家はその結果、国の内外に怨恨を向ける輩が潜んでいるのは珍しいことではない。
ちょうど筆頭公爵家が大公家の地位を窺う野望を捨てきってはいないように。
「例の流浪の民、陸上船の行く手を塞いだ放牧民は買収された輩だったようです」
そのブルハルト家は向けられた悪意の憂いを払うべく、四女暗殺未遂事件の調査を進めていたものの成果は芳しいとは言い難かった。
「あの時間、あの場所を塞ぐように依頼されたとなると帰国のスケジュールが把握されていたことになるな」
「内通者がいると断じるのも難しいかと。大まかな予定は公式に発表されていたのです、後は陸上船の運用を見張れば見当がつけられる」
「買収者の人相聞き取りは済んでおりますが、フードを被ったリンドゥーナ人らしき男としか判明しておりません」
「そこから辿るのは不可能に近いか」
「アリティエ様と件の男爵令嬢からの聴き取りで暗殺者の風貌は北央系、南印系リンドゥーナ人と思しき買収者とは別人なのが判明しております」
「協力者はいる、しかし買収した男すら流民の雇われの可能性もあるか」
大人たちが密室空間で顔を突き合わせて論議する。
ブルハルト家の抱える諜報機関「魔女の梟」、王国に所属せず御家が個々に揃えた表沙汰に出来ないあれこれを取り扱う部署の人間たちだ。彼らは可能な限り迅速に、虎の子の軍事技術である通信を使えない中で人を馬を走らせての情報収集と分析に当たっていたものの、
「仕込みの痕跡が少ないのも追跡を困難にしているかと」
「そうだな、進路妨害の他は暗殺者の単身潜入。腕に自信があったのか警備の油断を計算したのか」
「後詰の不在も気になります。どうにも狙いが見えずにちぐはぐな対応だと」
「まるで失敗しても問題ないようだ、かね」
件の暗殺者が為した手際は見事なものだった。
扉前の護衛を排除して進入退路は一時的に確保、他の巡回も王国の領内に立ち戻れ船内に入った気の緩みからか対応は遅れに遅れ、四女アリティエの懐はがら空きだったはずだ。
偶然その場に居合わせた男爵令嬢も刺客と半ば相討ちに倒れた。他に補佐する要員がひとりでも居れば暗殺や拉致を阻む要素は無く。
にもかかわらず、見事な奇襲は後が続かなかった。それがまた直接アリティエに害を為すのが目的だったかを曖昧にしている。
「警告、何らかのメッセージを発するのが目的だったと?」
「それにしては攻めすぎではないかね。帰国の途の最中、下手すればリンドゥーナの顔にも泥を塗りかねない」
「しかし王国の領地に入った途端の仕掛けです、リンドゥーナ側の仕掛けも考慮すべきかと」
「自国内で手出しは宣戦布告に等しい故か。理屈は通るが」
まだ調査は始まったばかり、時間経過でより集まる証拠証言で意見は集約され一定の方向性を見出せるかもしれないが、現段階はあらゆる可能性を論じる場として機能し、それ以上でも以下でもない。
それでもやはり敵は国内の勢力かリンドゥーナか、この二点に偏っていた。
「一言よいでしゅか」
多くの他者が見解を戦わせ、決着を見ないままに調査続行の結論に至る前。
堅気ならざる大人たちの競演の場にはまるで似つかわしくない、しかし彼らを統べる側の当事者が小鳥めいた可憐な声を上げた。
アリティエ・ブルハルト。
此度の暗殺未遂で狙われた本人、そして暗殺者の死に様を見届けた唯一の証言者でもあった。彼女は被害者の立場からこの暗部の会合に自ら出席していたのだ。
ここまで一言も発せず議論の方針を見守っていた少女がついに口を開いた。
「は、アリティエ様。何かございましょうか」
「まずはこれから話すこと、見聞きしたことはあくまでわたちの所感、と前置きをしておくでしゅ。この情報に全て囚われて捜査方針に『こうだ』との決めつけは挟まないように」
いわゆる予断、先入観や思い込みで見当違いの捜査は避けるべき。アリティエはそう念押しして自らの持つ情報を開示する。
それは当事者外が検討した角度には抜け落ちた要素。
国内勢力でも、南方の雄リンドゥーナでもない第三の可能性。
「暗殺者は無駄口を利かない男だったでしゅ。男の発した僅かな言葉からはほとんど得るものはなかったでしゅが」
あの時の少女には何もできることはなかった。
屹然と刃の前に立ち、抗い奮戦して勝利をもぎ取った男爵令嬢に比べ、あの場の彼女はただプライドが先走るだけの無力な存在でしかなかった。
だから目を見開き、耳をそばだてた──あの背中に恥じないように。
あらゆるものを観察し、聴き届け、最後まで何ひとつ見落とさないように。
「最後の最後でアルリー・チュートルの頑迷な抵抗を受けた男は誘いの隙に乗り、気勢を吐いたのでしゅ」
「その言葉は『
アリティエがもたらした情報は最後まで説明されるまでもなく、意味を理解したものはざわめき驚きを表す。
四女と男爵令嬢の証言によれば刺客の外見は北央系、王国やユグドラシア諸王国、シヴェルタ大皇国に多く住まう人種である。
だというのに、
「この耳が保証するでしゅ」
「あの暗殺者が裂帛と共に吐き出したのは『
東方の龍、
当事者アリティエの思わぬ指摘に会議は騒然となった。思わぬ国名の登場に揺れる議場に対し、ひとり静けさを保つ令嬢は変わらぬトーンで話を締める。
「もう一度念を押すでしゅ。これすらも欺瞞工作、わたちを引っかけるための仕込みだったかもしれましぇん。国内、リンドゥーナや華漢のみならず、全く盤面に姿を現していないユグドラシアやシヴェルタの関与も否定できるものではありましぇん。それらを頭に先入観を捨てて調査してくだしゃい」
はたして仕掛け人は誰なのか、目的は何処にあったのか。表立った世界では見えない戦争に従事する彼らの戦いは始まったばかりである。
******
チュートル男爵家の令嬢がそうだったように、筆頭公爵家ブルハルトの第四令嬢も帰国後の挨拶回りや後始末にそれ以上の過密さで忙殺されること数日。
彼女が己の姉、長女ホーリエに個人的な事情で接触できたのは帰国して5日が経過した後のことだった。
「ホーリエねえさま、今時間ありましゅか?」
「あらアリティエ、あなたを前に閉ざす門などありませんわよ?」
私室を訪ねた妹に対して魔女ホーリエは家族以外に許さない笑顔で応じる。彼女の近親者のみが知る素顔、体面の仮面を取り外した成人前の少女がそこにいた。
そんな姉を前にしてアリティエは少々申し訳なく思う。何しろ彼女が持ち込んだ話は少しばかり家族サービスから外れた内容だったから。
「公の場では言ったけど改めて。無事に戻ってきてくれて嬉しいわ、アリティエ」
「ねえさまの付けてくれたお供のお陰でしゅ」
「チュートル家のご令嬢ね。家から正式な礼状は出しておいたけど、アリティエ個人の名前でも出しておく?」
「そうするつもりでしゅ」
ありがたくも他派閥の長から直筆の御礼状が届き「これどうすれば!?」「大公家に報告とか要るの!?」とアルリー・チュートルが扱いに困るのは別の話。
教会の推薦で魔術の特異な偏った才能を買ってつけた人事が思わぬ結果と跳ね返った。これにはホーリエも驚き、同時に感謝もしている。護衛官3名を苦も無く始末してみせた暗殺者を敵にして立ち回り、大事な妹を守りきってくれたのだから。
同じ派閥でもないのに──と考えるのは門閥貴族特有の悪い癖かもしれない。
「流石は上がり盾のご令嬢といったところかしら」
「魔術主体のうちでは出来ない所業でしゅ」
「それで肝心の事件の方ですけど、調査は難航しそうですわね」
次期当主筆頭の彼女も当然ながら追跡調査の経過は把握していた。まだ5日、しかし初動捜査の重要性を知る者ならば痕跡が時間で消えていく代物なのも理解しており、掴める手がかりの大半は初期に得られるものだと分かっていた。
その集まりが現時点で思わしくないのだ、これは単純な解決を見込める事件でないこともまた読み取れるというもの。
「周辺国や国内の動きを把握しての推察が決着になりそう。業腹ですわ」
「実行犯は死んでしまいましゅたからね」
実行犯はアルリー・チュートルに討たれた後、死体は不自然に溶け着衣ごと泡となって消え失せる一部始終をアリティエはひとり目撃。
水と地属性の複合魔術『腐敗』。
廃物処理などで使われるこれを己に掛けたのか、誰かに掛けられていたのか。証拠隠滅として最適解の前に痕跡は残らず、敵にしては天晴と。
国家かそれに類する犯罪は大本が責任を認めない限り、たとえ証拠証言を揃えたとても責任の所在を曖昧に決着するのがほとんどであることを上位貴族の彼女達は承知していた。カルアーナ神が去り力のみを残したこの世界には国の上に君臨し裁きを与える存在は居ないのだから。
「『正義』の神でも存命なら叶ったかしらね」
「居ないものを論じてもしょうがないでしゅ」
現実を踏み締める彼女達はドライに心の決着を定める。おそらく分かり易い形での事件解決は有り得ないと。
それはそれでブルハルト家を敵に回した何者かにいずれ目にもの見せるとの腹積もりに置き換え本題に入る。
「それでねえさま、これはねえさま──というか、次期当主になるだろう人に相談なのでしゅが」
「あら、もう鍛錬は諦めるの?」
「流石に手詰まりでしゅからね」
姉の微笑みに対してアリティエは両手を挙げてシャッポを脱ぐ、言動に反し顔に悔しさを欠片も浮かべずに笑って降参宣言を口にした。
常に先を行くホーリエも四女のたゆまぬ努力、正式な裁定前に次期当主の座は決まりとの下馬評を前に走り続けた不屈の精神は評価していた。
肉親への情愛とは別に、魔術の至高を目指す同志にしてライバル、その視点でも彼女は他の姉妹よりアリティエを贔屓し愛を注いだともいえる。
そのため声に些か残念さが滲んだが、当の四女は曇らぬ表情のままに続けた。
「さらなる飛躍は今後の課題として、エレメントマスターの資質有りでひとまず矛を収めるでしゅよ」
「期待していますわよ」
「それで本題なのでしゅが」
咳払いで仕切り直し、すました顔でアリティエは要件を告げた。
「アルリー・チュートル。彼女をブルハルト家に引き込めましぇんか?」
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