8-15

 後に知ったことだけど、わたしが昏睡状態から回復したのは2日後。


「知らない天井、これで3回目だったかしら」


 寝すぎた人間特有の、逆に疲れてしまった感が脳を不活性にさせる心境。

 とりあえず転生後の自室ベッドが初回、転移魔法を使ってストラング家庭先でぶっ倒れた時が知らない天井を見上げた2回目と指折り数えたのはぼんやりと頭の悪い状態だったからだと己に言い訳しておく。

 何がどうして3度目以降を迎えたのか、そこまで記憶を辿って正気に戻る。


「わたし、生きてた」


 室内の調度品や清潔なシーツ、明るい色彩の壁紙に敷居代わりのカーテン、極めつけに消毒液の匂いと来ればここは医務室っぽいと察するに充分。

 左手を見れば含み針で穿たれた傷も傷跡もなく包帯すら巻かれていない完治ぶり。魔力毒の蝕む感触が無いのも併せて高度な魔術医療が行われた証。

 留学一団の中には四女様付きの医療魔術師が何名か付いていた、おそらくは彼らの手によるものだと予想する。だとすれば、


「……わたしが生きてるってことは、なんとか勝てたってことでいいのかな」


 暗殺者に仕掛けた究極のズル戦法、無敵回避で敵の硬直を狙う初見殺しは成功し

たと思う。それでも最後の最後まで見届けてはいない、邪魔なわたしは放置して四女様がどうにかされた可能性もある──物事を悪い方に考えるのは不安の表れか。


「問題はどこの医務室かってことだけど……あ」


 独り言で考察するまでもなく疑問に終止符が打たれる。ちょうどカーテンが開いて白衣の女性が姿を現したのだ。

 こちらが何かを問う前に彼女は開口一番、


「お目覚めですか、アルリー様」

「えっと、ここは」

「ブルハルト家所有の陸上船、医務室です」


 極めて友好的な態度でわたしが知りたかったことを真っ先に教えてくれた。

 なんと、まだ船の中だったとは。とすればわたしが倒れてから左程の時間は経過していないのか。それとも緩やかな移動中、終点前の目覚めなのか。


「では私はアルリー様のお目覚めを四女様方にお伝えしてきます」


 白衣の女性、おそらく医務官は詳しい状況を聞く合間も無く、忙しそうにそそくさと退出していった。

 成立したのはあまりにも短い会話だったが、それでも得られた情報は大きい。

 僅かに拾えたキーワードから察するに、どうやら四女様は無事らしいことが判明した。わたしのように医務室にも転がされずに別室で待機しているなら五体も満足なのだろう。

 それはよかった、一息安堵すれば頭が冷える。わたしは戦って暗殺者は退けた、どうにか撃退できたようだ。

 だとすれば、


「……ひと、殺しちゃったかァ……」


 胃の腑に重さが圧し掛かる。

 自分の身を守るためとはいえ、理不尽な暴力に抗った結果とはいえ。


 前世世界に比べロミロマ2世界が殺伐としているのは承知していた。一度戦争が始まれば百千の単位で兵が死傷する様は『戦争編』でユニットを操作しながら何度もプレイしていたし、敵も味方もモブの命は軽かった。

 そんな世界に転生した以上切った張ったは覚悟していた、とは言い難い。


 例えば戦闘能力。

 クルハとの日々鍛錬でワイヤーアクション顔負けのリアルファイトが可能な実力はついたが、それはあくまでステータスを伸ばす目的でやっていた面が強い。

 得た戦闘能力で具体的に誰を討つか等を考慮した行動ではなかった。


 わたしの方針は『戦争編』の阻止、ヒロインと攻略対象のハッピーエンドでも幾多の犠牲積み上げた果てのカップリングエンディング、それすら達成が難しくタイムアップの隣国進撃バッドエンド打率が高すぎるゆえのノーマルエンド狙い。

 ルートに入らないよう介入を目論んでいたのであって、ルート上に立ちふさがる誰かが居れば排除する、そんな手法は想定の外。


 どこまでも荒事を避ける方針だったのに、自覚的に人を殺めた。

 そう理解し心に痛みを覚える。


(ショックは受けた、受けてるけど、一番ショックなのは……)

(あんまり動揺してない自分の心境に対してかな)


 物の本で読んだことがある。

 返り血を浴びない殺人行為は実行者に痛みを与えず、自覚を阻害されるがゆえに究極の犯罪であるはずの殺人ですら罪悪感は距離や手段で低減されるのだと。

 一例とされた銃の乱射による大量殺人は、これが原因で人を殺めている自覚、どれほど罪深い行為に及んでいるかの実感が薄いからではないか──等々の論。


 嘘はつけても自分の心は偽れない。

 わたしは切り札で暗殺者を仕留めて生き残ったのだろうけど、斃した敵の遺体を目にしておらず、返り血を浴びた痕跡なく、浴びたとしても既に身を清められ、刺した感触すら毒の影響下で朦朧としていた意識で覚えが無かった。


 おそらくは人を殺めた、これ以上の自覚が出来ない状態が今の心境を形作っているのだと思う。

 事実を列挙すれば他者を手にかけながら左程動揺していない、この客観的事実に半ば恐怖を覚える。前世の価値観では到底看過しえない行為に及びながらわたしは──


「目が覚めたって本当でしゅか!」


 淑女らしい慎みはどこへやら、四女様がけたたましく現れたのは思考の沼に嵌りかけた時だった。

 ひとりでは沈み続ける自らの考察、他者を害した罪悪感の薄さにこそ忌避感を覚える悪循環は小生意気な幼女の姿を見た途端に流転を止める。


(ああ、この子は助かったんだ、良かった)


 ただそれだけの認識で頭から自身の異質さを受け入れ難い気持ちは和らいだ。

 暴力に頼るのは褒められず、人の命を奪うのもそれ以上に認め難いもの。

 それでも力を揮ったことでこの幼女は守れた、まごうことなき真実に心は軽くなるとまではいかずとも、持て余した感情の塊が収まるべき箱に収まった気がした。


 ──でも。

 わたしがわたしでいるためにはこの感覚に慣れてはいけないと思っている。

 時折この箱を開けて中身を見るべきだと、手を尽くさず自分や他人を守るためとの言い訳を安易な理由としないために。


 ゲーム知識で将来起こり得るイベントを知るとの大義名分で。

 『学園編』開始前の段階でまだ何も為していないヒロインマリエットを暗殺すればいい──などと力づくの解決を考えないように。


「おはようございます」

「随分眠っていたものでしゅね」

「あ、ベッドの上で失礼を。改めまして──」


 目上には隙を見せずに礼儀正しく、数年で厳しく叩き込んだ社交スキルが懊悩を終えたメンタルをして反射的に頭を下げた後、姿勢が礼儀を失しているなとベッドから腰を上げようとしたわたしを小さな手が押し留める。


「そのままでいいでしゅよ、功労者には労いを与えるのが上位者の務めでしゅ」


 それは理由こそ違えど、ちょうど護衛官に扮した暗殺者に付いていこうとした四女様を抑えた時の構図に似ていてちょっと面白い。


「……何か笑いどころがあったでしゅか」

「いえ、なんでもありません」

「ふん、笑える元気がある程回復したなら良しと見逃してやるでしゅ」

「アリティエ様こそご無事で何よりです」

「お前の働きによるものでしゅ、もっと胸を張って貰いたいものでしゅね」

「そんな注文の付け方ってあります?」


 偉そうに、上から目線で、それでも四女様の言葉尻には気遣いがちらほら見え隠れしている。尊大で優しさに満ちている、うん、境目がツンデレよりも見分けが難しくて意味が分からない。


「でも、まあアリティエ様がご無事で何よりです」

「無事じゃなかったのはお前の方でしゅけどね」

「はい?」

「魔力毒の影響下で戦い続けたせいでしゅか、魔力経路が相当痛んでたと聞きましゅた。そっち治すのが大変だったと医務官が嘆いていたでしゅよ」


 さもありなん。

 毒で魔力がゴリゴリ削られてる中、自分から体内魔力の半分を消費する転移魔法を使った反動なのだろう。普段の魔力切れは指一本動かすのにも疲れる状態で済むものが、ブレーカーの落ちた電化製品めいて意識が闇に落ちた。

 実に興味深い検証実験が出来た、機会あればデクナに報告しておこう。学術的方面での考察をしてくれるに違いない。


「それでアリティエ様、わたしが倒れた後は何がどうなって今はどの辺りを航行中なのでしょう?」

「医務官からは何も聞いてないでしゅか」

「すぐアリティエ様たちに報告しますと飛び出していったので……」

「仕方ないでしゅね、褒美にわたち自らがその後を説明してやるでしゅよ」


 実に勿体付け、舌足らずの様子を交えつつも四女様は解説役を務めてくれた。


 暗殺者との激闘から2日経過していること。

 わたしの一撃で斃れた暗殺者の体は泡になって溶けてしまったこと。

 その後で現れる刺客などは居らず、厳戒態勢のまま待ち伏せを警戒し船は停泊していること。

 万一の次なる襲撃に備え近隣領の騎士団に増援を頼み到着を待っている最中なこと等をつらつらと聞き入った。

 四女様の綺麗な声は小鳥の囀りにも似て、とても耳に優しく。


「……聞いているでしゅか、アルリー・チュートル」

「…………」

「まったく、わたちの親切を子守歌にするとはいい度胸でしゅね」


 2日ほどもぶっ続けで眠ったにもかかわらず、わたしの意識は止まった陸上船の代わりに錨を揚げて夢の国へと船出を始めていた。

 呆れたように何か言われたかもしれないが、既にわたしの可聴領域には届かない呟きだったのである。


******


 ──なんだか胸が苦しく目が覚める。いや、いつの間に寝ていたのかも定かではないが眠っていたのは間違いない。

 少し前に目覚めた時に比べると意識もハッキリスッキリしている気がする。いわゆる目覚まし時計に起こされた感じよりも自然と太陽光で目が覚めて無理なく起床できた時の感覚。


 それでも流石に寝すぎのせいか、どうにも体が重いというか動かし辛いというか。これが長期間入院生活を送った後でリハビリが必要な理由か……などと想像の上で物を考えて。


 間近に愛らしい四女様の寝顔を目撃する。

 すわ何事かを気を回し首と目線を回して状態を把握する。


 四女様が何故かわたしに覆いかぶさり、手を回して寝ておられる。その両腕の奇妙に回された形といえば


(こ、これは横四方固め……ッ!?)


 流石に足は固められていないが、四女様がわたしの肩から首に組み敷くようにしがみついて眠っている姿勢はギッチリと体を極めており、寝技めいた手管で下手な身動きが取れない状態だった。

 本国を出立する前、この留学でわたし達お供に求められる役割は引っ越し先の使い慣れた枕、慰め役の抱き枕だと自嘲したものだけど。


(これは抱き枕ですらない、柔道の組み手練習人形っぽいィ!)


 魔力が充分回復した今、力づくで拘束を解くことは適うかもしれない。だけど変に抵抗して怪我など負わせては暗殺者からお守りした後で本末転倒すぎる。

 こここれはどどどどうすれば、と左右を目線だけで見回せば、ちょうど医務官の女性と目が合った。


「ヘルプ、ヘルプミー!」


 可能な限り小声を遠くに飛ばして援軍を求めるも医務官さんはコケティッシュに微笑んで、口元に指を立てて「静かに」のポーズを送って来た。


「そのまま寝かせて差し上げてください」

「なんですと!?」

「四女様、ここ2日ほどはちゃんと眠れてなかったようですので」


 小声が四女様の頭上を往復する間、ブルハルト家の姫付き、体調管理を命じられたひとりとして女性は囁いた。


「おそらく、ご自身を守って死にかけたあなたの身を案じておられたのかと」

「はあ」

「魔術治療は完璧で、問題なく完治したとの報告申し上げた後でも『あやつが目覚めたら即報告を挙げるように』と命じられましたから。気にかけていましたよ、あなたの体調を」

「はあ」


 マヌケな回答しか出来てないのは分かっている。それでも魔女の矜持で心身を固めた四女様がわたし程度を心配する様子を外に漏らしていたところが想像できずに脳内でイメージが結像しない。


「護衛官にも3名の犠牲が出ましたし、あなたが助かるのは彼らの分の慰めになる、そんな感情もおありだったかもしれませんが」

「それなら分かります」


 暗殺者は潜入の際にそれだけの人間を工作のために殺したということらしい。おそらくは隊服を奪われた騎士と四女様の部屋前を守っていた隊員たちと──わたしにとっては全員が顔見知りなのが辛い。


「アリティエ様は聡明な方ですがまだお若い。理屈で分かっていることでも現実に直面すれば怖れを覚えることも沢山おありでしょう。せめて今の一時ひとときはアリティエ様の羽を休める枝になっておいてください」

「外見は小鳥のような御方だけに?」

「そのうち猛禽と成長なさるんでしょうけどね」


 医務官さんは再びいたずらっ子のように笑ってカーテンを暗幕の如き引き始めた。これで話は終わり、そのまま三度眠れってことなんだろうけどさ、


「眠れる気がしないんですけどォ」

「注射一本いっておきますか?」

「そういうのは結構ですゥ……」


 かくして幼女もとい四女様の温かみを身近に感じながら、わたし自身も二度目の覚醒を果たした意識を遠くに投げて遠泳を再会することにした。

 多少の間を置きながら、3日目の長期睡眠に挑み始めたのだ。


 ──人間、やれば眠れるものである。

 これがわたしのお供した短期留学が迎えた終わり、旅の締めは余韻なく睡眠時間が大半を占めるのだった。

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