8-06

「貴方様に留学事業で下働きを務めるよう命じられたセトライト伯爵のお言葉を」

「全うできるよう心を砕き」

「仕事を与えてくださった配慮を喜び」

「敬い慕う心を捧げ」

「命令に従い黙って雑用をこなしてくださいな」


 彼は甲高くも声を大に主張する。

 格下の者は格高き者に敬意を払い、絶対的な階級差にひれ伏し、身分差に従い分相応な振る舞いで唯々諾々と従属すべきだと。

 ──ならば。

 彼自身もその仕組みに従うのが筋ではないだろうか。


「……な、なに?」

「ですから、愚痴ひとつ零さず主命に従ってキリキリ働いてください」


 バカボンは目と口で三つの大きな丸を作って固まる。

 あのように逆三角形の三点図形を人間の脳は人の顔だと認識してしまうのをシミュラクラ現象と言うらしい。幽霊目撃談の多くがこの誤認、逆三角形の節穴を人間の顔らしく見てしまったで説明が付くと兄は語っていた。


 では問題です、目の前の節穴は人間だろうか。

 おそらくは人間だろう、色々足りてないにせよ。


「お、お前、何を言う!?」

「ソルガンス様の主張ではそのようになるではありませんか。貴方がたを留学の雑務に送り出したのはセトライト伯爵から通達されたとか。であれば伯爵家の意向、伯爵から見て格下の貴方に命じられたわけです、庶民と肩を並べて土に塗れろと」


 権力を笠に着る悪役の大半がそうであるように。

 彼らは彼ら自身が標榜するほど、自分より偉い立場の人間を敬っているようには見えないのだ。

 せいぜいが盾にするか威を借るか、権威付けの根幹程度にしか思っていないからこその小悪党と言うべきだろうか。そのために当人の思案、思考、主義主張には上役がどのように判断するかが組み込まれておらず、また己の失策や悪行が発覚した際、より上位の管理者が監督責任を問われることにも留意していない。

 己が欲のみを追及し、権威の根拠をないがしろにしている証。


「ですからソルガンス様、貴方様の信念に従い、伯爵から授かった任務に喜びのみを感じて自動機械のように滅私奉公を続けてくださいな」


 ちなみにわたし自身は、元が世界観の異なる土壌で育った一本杉が根を下ろしているので貴族的思考が知識以上のものに成りきらないし成り切れない。

 横暴に振る舞うのが水に合わないので如才なく、大過なく、問題なくがポリシーである。男爵令嬢の立場を接ぎ木しようが根っこが小市民にはこれが限界なのだ、とても大きな声で言い触れることではないが。


「滅私奉公!? 庶民どもじゃあるまいに! 無礼だぞお前!!」

「上位者たる貴方様は他人にこうせよと求めるのに、より上位者の求めは聞く耳を持たないとおっしゃる?」

「う、うるさい、うるさいぞお前! まさか僕君と下々が同じだとでも言うつもりか! 奴らは使われる者、僕君は使う側の選ばれた人間だぞ、お前バカか!!」

「まだ分かりませんか、イルツハブ子爵令息ソルガンス様」


 そろそろトドメを刺しにいく。

 ちょうどきつく固めた関節を逆側に捻じり上げるように、既にバカボン自身が何度も口にしている言葉をそのまま使って。

 無意識か否か、目を逸らしている事実の矛先を突き刺すように。


「要するにセトライト伯爵からすれば」

「貴方も庶民も左程変わらぬ『使』ってことです」


 少年が呆ける。

 まるで意識が飛んだように、魂が抜けたが如く、二の句告げず。

 自尊心、彼の幹を支える柱が揺れて、軋んで、ひび割れたせいで。


「──ばッ、バカだなお前! この、このイルツハブ家の嫡男、家督を相続する僕君が、僕君が伯爵家から、そんな」

「『廃嫡』との言葉をご存知ですか」

「な……は!?」

「本来は家を継ぐはずだった嫡子が有する家督の相続権を廃すること」

「ば、ばッ!!」

「言葉として存在する点から分かるように、時々起こり得るからこそ定義され一般化された単語ですね」

「そ、そんなの、ぼぼ僕君には関係──」

「絶対に無いと思われますか、貴方様の言われる下々と同じ役目を仰せつかった今でも?」

「ぐッ、そ、それ、は、ふぅ……」


 呼吸すら危なげなソルガンスに追い打つ。

 血縁が後を継ぐことが望ましい社会では嫡子、多くの場合は長男が家督を相続するのが習いとされるが、絶対だと保証されるほど甘くもない。時には長子を廃してより優れた血族に座を譲らせる、養子を設けてまで遠縁、時には優秀な部下の子を後継を据える例すらも無いではない。


 ちなみに廃嫡の理由は健康的事情か素行不良、能力不足が大半を占める。肉体的精神的能力的、いずれの理由にせよ現当主が「次期当主に据えるには大きく足りない」と認めざるを得ない原因があればこそ、ただ血の繋がりよりも家の繁栄を選ぶが故。


(宰相家の貴公子アティガも健康的理由で廃嫡されたのよねェ)


 長子が家を継げない云々の説明がすらすらと口を付いたのは『大公』ルートの攻略対象が似た事情だったから。

 宰相家の『銀の貴公子』アティガ・シルビエントは幼少期に魔術でも容易に根治されない黒呪疫に冒され、家督相続権を弟に委譲し魔女ホーリエに婿入りする形で婚約していた設定があったのだ。

 この厄介な病を完全無欠全属性ヒロインが快癒させてしまうことでふたりの距離と政治的立ち位置が──脱線した頭を切り替える、これらはまだ関係ない先の話、『学園編』の中盤展開である。


 今気にするべきは、コース料理の締め。

 最後のデザートをそっと添えて。


「派閥のナンバー2、筆頭子爵家の嫡男様を遥か南方の地に飛ばし、下々と同様に過ごすことを命じられた。セトライト伯爵のお考えはわたしなどに遠く理解の及ばぬ話でございますが」

「はッ、ぐひッ」

「貴方様が流刑のように感じておられる地で、またぞろさらなる不祥事を起こされ国外で体面に傷つけたとなると、さてはて現当主様やそれ以上の御方がどう思われるか、考え巡らせてみるのもよろしいかと」


 彼は愚かしいが貴族社会の構造に無知ではない。

 故にわたしの言葉に妥当性を感じれば。

 

「庶民平民の中で暮らす。成程、廃嫡の先を見据えたの機会をくださったのだとすれば流石は伯爵様」

「下々の将来今後にまで目を配られる、中々に親切な配慮でございますわね」


 きちんと折れるだろう。


******


 暫くして胃腸が落ち着いた頃。

 わたしに案内されたミギーヒダリーの従属者コンビは意気消沈して項垂れ、目に力無くふさぎ込んだ己が主人の変り果てた姿を目の当たりにする。肉体は丸々しいが精神は幾らか痩せたかもしれない。


「……これはいったい、何があったのか聞いてもいいかね、君?」

「まさかお前、また暴力に訴えたのか!」

「失礼な、前の時は反撃だったでしょ」


 それに今回は指一本触れていない。交わしたのは武力ではなく社交スキル、ちょっとした心温まらない会話のみだ。

 まるで信じてない、淑女を見る時には使わなそうな濁った視線を向けてくる凸凹コンビにもう少しだけ情報を開示しておいた。


「ただ心の拠り所をボッキリ折っただけよ」

「なんだと!?」


 自身の権力が盤石で永遠である、そんな妄信を破って差し上げた。直截に答えても取り立てて難しい内容ではないが、


「何だと聞かれたら単純骨折って感じだと伝えるべきかしら」

「……複雑骨折じゃないだけ感謝の意を伝えるべきかね、君?」

「もう恩には着せたから要らないわよ、それで本人は見つかったんだからもう付き合わなくてもいいわよね?」

「あ、ああ。改めて礼を言わせてもらうよ、君」

「フン、いい気になるなよ」

「何をどう受け取ればそんな言葉が出てくるのか」


 優しく介護するように仕える主人を誘導する二人の背中を見送り、浪費した精神エネルギーを補給すべくお茶の一杯をいただくことにする。

 前世世界がそうであったようにインドモチーフのリンドゥーナでもミルクティーことチャイは美味しく飲める環境なのだ。


「うーんマスカットフレーバー」


 学生食堂で飲める味じゃないと思いつつ舌つづみを打つ。多分男爵家の普段使い茶葉よりお高いんじゃなかろうか? と悲哀をも楽しめる。


(これでバカボン側は留学中に大過なく、かつミギーが攻略キャラだった場合の接点は確保できたって思っていいかしら)


 あれだけ消沈させたからには暫く復活してこないと思いたい。

 そして留学中に不満たらたらだったご主人を詭弁で限りなくおとなしくさせたのだ。この借りは大きく感じて貰わないと割に合わないと思わずにはいられない。


(そう、言ってみれば詭弁なのよね先の論は)


 バカボンの鼻っ柱ブレイクを狙ってああは言ったが、実際は伯爵にしても庶民と筆頭子爵家の人間とを同一視はしていないだろう。最初から個々の顔を見ずに数で管理するか、期待をかけて使えるか捨てるかを判別する個で認識しているかの差はあるはずだ。


 それに嫡男を取り立てないのはお家として色々禍根を残す。

 廃嫡などはお家騒動とセット販売といっても過言ではない、やらずに済めばそれに越したことは無い路線変更。家を残すために家を割るのか、移譲が上手く進んでも無傷ではいられない、そんな難しい舵取りを強いられる行為らしいのだ。

 わたしは知識のみで実感に乏しいが血統主義が当たり前な世界観、貴族社会を形作るロミロマ2世界では尚更重要視されていることだろう。


(そもそも罰則ってのは「悔い改めろ」ってことなんだからさ)


 仮にわたしが彼を励ます側であったなら付け足した一言。

 まだ見捨ててないからこそのペナルティ、やり直し性根を入れ替える機会だったと彼が気付ければ、多少は折れたところが骨太になって再起が叶うかもしれないし、そのまま壊疽するかもしれない。

 ──ただし、ただし。


(でも裏事情を知っちゃうと罰則すら隠れ蓑の側面があるからどうかな……?)


 わたしは彼ら自身が理解してない留学事業編入の裏事情を知っていたりする。

 レドヴェニア大公家がリンドゥーナの没落名家に接触するため、ニンジャを使用人に仕込ませる囮。ちょうどいいデコイに選ばれたのが本命だったとすると罰則とやらにもどれ程の効果を期待したのかが怪しく見えてくる。

 やはり物事は色々知り過ぎると素直な受け取り方が出来なくなる害悪をも孕んでいる──知らないであげておいた方が良かった。


 彼らが立派にお勤めを果たしたところで未来が保証されていると断言できない。逆に囮を演じ終われば不真面目な勤務態度で通しても何ら加点減点の対象にすらならないのかもしれない。

 ただし。

 どちらにせよ無為に騒動を起こすよりは採点結果が悪くなることはないだろう、過剰なれど見事に鎮火してみせたわたしの手腕、嗚呼あっぱれだと感謝してもらいたいものである──自画自賛の味はミルクがフレッシュで甘かった。


******


 かくしてわたしの一手、人を憎まず驕り高ぶる増上慢を断つメンタルブレイクが功を奏したのか、以降留学中にバカボン一党から迷惑をかけられるも悪評を聞くことも目撃することも面倒一切起きなかったのである。めでたきことなり。


 彼らと再び接点を持つのは学園入学後となるが、それはまた先の話。

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