8-05

 思い立ったが吉日とばかりに足を運んだリンドゥーナの学生食堂。

 お貴族学校のそれは幾分お上品に仕上げられているにせよ、この場で提供されるのはゴルディロア王国人ナイズされたカレーではない、ごく普通にリンドゥーナ人の舌に合わせたカレーである。


「見せてもらおうか、カレー本場の味ごしらえとやらを」


 美しい光沢の木製スプーンを手に、三つの深皿へと向かい合う。この時点で日本風カレーとは異なる様相だ。

 平皿に盛られたライスにカレーをかけるでなく、カレーソースポットに並々注がれた一種類のルーでもない。言ってみれば小皿に複数のカレールーが提供された、ピザで言えばハーフ&ハーフやクォーターに近しい食べ比べが可能。

 さて、スプーンで掬い上げた一口サイズにライスを絡めていただきます。第一匙は大口で。


「……んッ、とろみの食感が違う」


 煮込んだ野菜と柔らか鶏肉がじゅわッと香辛料と舌の上で衝突する。辛さは左程ではない、ただカレー粉の味かと言われると微妙かもしれない酸味が踊っている。

 本来辛味とは味覚が感じ取るものではなく、痛覚に近いものがあると物の本で読んだことがある。ならばこのカレーは「辛さが基本」のそれよりも味覚に訴える要素が強目に仕立てられているかもしれない。

 そしてカレールー、否、カレーソースはペースト状に見えてとろみ成分が口の中で広がらない。噛き切れるとろみというか、全体に広がっていないというか、


「あ、これトロトロに煮込まれた野菜か」


 舌の上で転がして理解する。日本風カレーのとろみ成分はでんぷんやグルテンが主成分だと言う。それに比べてこちらのカレーはグズグズになるまで煮込んだ野菜と鶏肉の軟骨、溶けだした脂が混じり合った感じがする。


「カレーライスとスープカレーの中間って感じ? これはこれで」


 煮詰めた野菜で色合いやスープの重さが違っている。こっちは豆、こっちはカボチャかな?


「ってカボチャだとォ!?」


 基本的に煮物に使う野菜ではあるが、砂糖無しでも甘くなるので料理加減は限られるというのに、よりによって辛さが売りみたいなカレーに投入してくるとは意表を突かれた。

 いざ食べてみると甘辛い、そしてカボチャ特有の粘り気を生かしたのか他の2種類に比べてとろみが抜群に効いている。滑らか、喉ごし深く濃厚に。


 これは、これはカレーだけどちょっと違って、でもカレーだわ!

 味わい違う3種類が少量で分けられているがため、どれも舌が慣れる前に変則機構を用立てる波状攻撃となる。

 車懸りのカレー陣、ただでさえ美味なカレーが3倍回って美味しいではないか!!


「よもや本場の供出方法を甘く見ていたのかもしれない、カボチャだけに」


 戦争、平和、革命とエンドレスなワルツを踊るが如く淑女らしきスプーン捌きで完食する。下手に零せば衣装を殺す欠点もパーフェクトな食事マナーを通せば何ら痛痒足りえぬ。今のわたしなら跳ねる汁と汁を絡めた麺がダブル危険物なカレーうどんにすら完全勝利が叶うだろう。


「ふう、堪能した」


 実時間よりも短く感じる至福の刻は終わりを見せた。

 ごちそうさまでした、と心の中で手を合わせる。ロミロマ2世界のテーブルマナーには無い動作なので不審を煽りかねないと自重している庶民動作、ここは手と手を合わせて幸せなる文言は通じない厳しい世界なのだ。

 また次に機会があれば別のカレーを堪能したいものだと席を立ち、


「お、おいィ待てよお前!!」

「……なんですか、食後の余韻を壊す無粋な輩ですこと」


 わたしの対面席から投げつけられた甲高い声で座り直す羽目になる。

 学生食堂の隅っこで隠れる気があるのか無いのか分からない姿勢でモソモソ食事を摂っていた彼の名はソルガンス・イルツハブ。

 心身から怠惰が零れそうな体型をした絶賛家出中の筆頭子爵家嫡男である。


「な、なんだはこっちの台詞だ! 突然僕君の前に座ったと思ったらカレー食べ始めて! 食べ終わったらそのまま居なくなろうとしたじゃないか!」

「はあ」

「何か話があって来たんだろ!? 聞きたいことが、言いたいことがあって来たんじゃないのか!? どうなんだ!?」

「はあ」


 突然興奮する患者、という医療ドキュメントのナレーションが脳裏を過ぎる。素知らぬフリで対処していたがレディの食事風景を観察する不躾な視線を送り続けた挙句に激昂。

 対するわたしはひたすらの生返事で頷くことすらしない。言動からするに、バカボンはわたしが出奔中の彼を探しに来たのだと当て推量しているらしい。

 裏を返せばミギーヒダリーから事情が通達されているとの予想を立てていることになるわけで。

 ……どんだけ他人に知って欲しかったのか自身の遁走ぶりを。

 しきりにアドレナリンを分泌させてまくし立てるソルガンス様に指ひとつ立て、


「簡単に主張をまとめると愚痴を言うから聞けってことでよろしいですか?」

「な、なんだとッ!?」

「答えはノー。嫌ですよ、御付きのミギーヒダリーじゃあるまいしわたしにそんな義務はありません」

「ぶ、無礼な!」

「ではここに座っていてくださいな、ミギーかヒダリーを連れて来れば解決です」


 逃げる体裁も碌に整えられない怠惰ぶりには呆れる他ないが、無為な捜索活動があっさり終わった点は評価すべきだろう。

 わたしにも役目がある、いつ何時四女様からの呼び出しや急な予定変更で外出やお茶の供を務めなければならないか──これだけ挙げると楽に聞こえる。実際は対人関係に気を払い気を遣う、風詠みと座礁避けをこなす航海士並の重責だ。


「──おかしいだろ!」

「…………は?」


 念のために確認しておく。

 ここまでわたしはバカボンに何も聞いていない、尋ねていない。凡その事情はヒダリーから知らされ呆れ果て、それ以上の深掘りを放棄していたのだから本人を前にしても尋問などするつもりが毛頭なかった。


「だっておかしいだろ!? 僕君はイルツハブ家の嫡男だぞ!? みんなそれを分かっているのか!? 分かってないだろ絶対!!」


 さしずめ期待外れ、「どうされたのですかソルガンス様、何か事情がおありなんですよね?」との優しい言葉でも待ち望んでいたのだろう。しかし悲しいかな、同情を引く誘い受けの不発で我慢の限界を突破したらしい。


「おかしい、おかしい、おかしいんだ! 僕君は将来、人の上に立つ人間だぞ! 庶民に命令する立場なんだぞ!? それがどうして奴らと同じ扱いなんだ!!」


 うん、まあ分かっていたことではあるが。

 ここまで綺麗に典型的な傲慢貴族子息をやってくれると感心できる。


 人の上に立つと言いながら人を人として見ない、見ていない発言を傲然と行う矛盾。人間を数で処理するのは為政者の宿命とても口に出してしまうのは悪印象を稼ぎ放題、フィクションでは珍しくない悪役権力者の基本形といっても良いだろう。

 ──或いは人権意識などの概念がない時代では普通だったのかもだけど。


(そしてテンプレ過ぎるキャラ造形は隠しルートの疑惑をまた深めるゥ……)


 頭痛の果樹園が実り放題、永遠の秋を誇っている。果たして木々が枯れる日は来るのだろうか。

 彼のああいった言動がバカボンを宮廷劇には欠かせない、分かり易い小物キャラとして投入された可能性を否定できなくするのだ。それ程に単純明快な性格なら首から「隠しキャラの脇役でございます」と看板くらい提げて欲しい。それなら許して差し上げるのに。


「聞いてるのか、聞いてるのかお前!?」

「ええ、はい、いい天気ですね」

「聞け、聞けよお前!!」


 まだ朝早く食堂の利用者もまばらとはいえ、彼の高音域シャウトは室内に響いて悪目立ちしてしまう。高周波が音声認識のし辛い波長とはいえ、このままでは身内間の醜聞が王国の恥にレベルアップしかねない。


 この問題、元を辿れば子爵家の教育方針か教育係の性根か、どちらかが悪いのだろう。肥大したプライド、心の病を代々抱えた家系が伯爵家に取り立てられるとは考え辛いので一時的なもの、つまるところ疎まれる覚悟無く権力に媚び、蝶よ花よと育て上げた教育係の責任が大きいと睨む。


 古人いわく「良薬は口に苦し」「忠言耳に逆らう」。諫めの進言とは相手の不興を買う決心無くして成り立たない。セバスティングのように容赦なく令嬢を竹尺で抉って責めを負う覚悟が問われる姿勢。

 しかしバカボンの場合は既に過去、起きてしまった大本の原因に対してわたしが出来ることはない。


 そして今、煩わしくも国家の体面に泥を塗る不利益を発生させそうなのは目の前の彼である。ロミロマ2世界にSNSがあれば即時に撮影されて「あの国の貴族ってこんなにクズなんだぜ!」と動画が拡散の憂き目を見るくらいに。


 黙ってミギーヒダリーに通報するだけで済ませるつもりだったバカボンの家出劇。

 しかし何度もこんな寸劇を繰り返されては王国にもわたしにも迷惑なので。


 以前、腕の関節を極めたことはあったけれど。


「つまりソルガンス様は偉い人に下々は心を砕き、配慮し敬い、命令に従うのが筋だとおっしゃるわけですね」

「そ、そうだ! それが当たり前のことだろ!!」

「であればソルガンス様」


 今日はちゃんと折っておこうと思う。


「貴方様に留学事業で下働きを務めるよう命じられたセトライト伯爵のお言葉を」

「全うできるよう心を砕き」

「仕事を与えてくださった配慮を喜び」

「敬い慕う心を捧げ」

「命令に従い黙って雑用をこなしてくださいな」


 曲がって育った心を一度。

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