7-03
「サリーマ画爵といえば若き天才として知られるあの!?」
わたしには出て来た固有名詞に等しい名前の友人がいる。
ペインテル子爵令嬢サリーマ様。
同じセトライト伯爵閥の少女で、文通を経て幾度か顔を合わせたことのある格上の友人、趣味は絵描き。和やか系KYである彼女は気鋭の画家として個展を開いたりとの話は手紙のやり取りや風の噂で伝え聞いていた。
──いやいやいや、まだ彼女のことと判断するのは早い。
同名の別人かもしれないし? あのKY友が北方域の貴族にまで名を轟かせているなんて全国規模の才媛だったとはあまりにも現実味が無いし?
こと芸術の世界は厳しく、コネ無くして才能のみで頭角を現すなど一握りのさらに一欠が幸運の末に手に入れる栄冠であって
「いいですわよね、サリーマ画爵の絵。風景画も色使いに深みがありましたけど、あの妖精が描かれるようになってからは」
「橙髪の妖精ですわね、眉目なく描かれているのがまたこちらの想像力を掻き立てるのですわ」
「生々しくも浮世離れして、異質感が風景全体に力強い主張をしてくる筆遣いで描かれた妖精の存在は本当に素敵ですわ!」
そ れ わ た し だ !!
そしてあのサリーマ様のことだと確定した。
貴女たちの語った妖精とは多分わたしのことなのだ、以前マリエットのデビュタント会場で手ずから見せてもらった数枚の風景画を思い出した。
見事な色使いの中に差し込まれたオレンジ髪のドレス少女、全ての絵に違和感を生み出し妙に目を引く仕込みが足されていたのだけど、
『……これ、わたしでは?』
『はい、その通りです! 分かって貰えて嬉しいです和!』
とのやり取りは懐かしい。懐かしいけども!
わたしが描かれてる絵はそんなに多いのか!!
──いや、今気にすべきはのはそこではない。
こんな形でわたしの知る話題が降って湧くとは思わんだろうも!?!?
というか画爵って何? 画伯とは違うの?? そんな単語はゲームのロミロマ2にも出て来た覚えないんですが???
予想外の流れ弾に社交スキル「空気になりますよ」が破られたのか、なんとも驚きから立ち直る前
「そういえばサリーマ画爵はアルリー様と同じ伯爵領の」
「ええ、はい、そうでございます、ね」
貴族にとって問答は常に真剣勝負、ウィットの利いた返しや誠実虚実を交えた回答のスマートさが求められる昨今。
何より社交を磨いたわたしとて、日常非日常あらゆるをシミュレートしての質疑応答に備えた文言を脳内にストックしておいた。おいたのに。
「あなたは天才画伯のサリーマ様とお知り合い?」なんて問いは想定外だった。フワッとした肯定になったのもやむを得まいて。
──ただし肯定は肯定だ。
これがいけなかった。
「まあ! ならアルリー様もサリーマ画爵の絵画をご存知なのでは?」
サリーマ様トークが派生したのだ。
貴族庶民を問わず、趣味の話題は発展させ易い。自分が好きなものを他人も好きだと嬉しい気持ちは身分関係なく万国共通であるからして。釣りバカの平社員と社長とかあるある。
彼女達の興味を引いたのか気を遣われたのか同好の士と見込まれたのか、とにかく続行されてしまった。これまた予想外の方向。
「え、ええ、まあ何枚かは、ええ」
「それは素敵ですわね!」
「同じ南方なら個展なども足を運ばれたり?」
「羨ましいですわ」
(なんか凄くファンに思われてる!?)
空気を壊さないように心の中で留めておくわよ本音は。
でもご期待に沿えず申し訳ないけど正直サリーマ様の個展とか行った事ないよ! ペインテル領は遠いし気軽に行ける距離じゃないしわたしも将来に備えて忙しいし。
そもそもの話、彼女の絵を観るだけなら個展に行く必要があまりないのよわたしは。
──部屋を見回せばいつでも鑑賞できるんだからさ。
「それでそれで、アルリー様はサリーマ様のどの絵画がお好みです?」
「え、えー、あっと」
矢継ぎ早に放たれる美術アート問答。どの分野でも熱の入るヲタトークに圧される姿勢を戻せない。ここで「芸術あんまり興味ないんスよねアハハ」とでも答えれば呪縛から解放されそうな反面、知ったかぶりの追従を行った無教養女として留学期間の空気がピンチな予感がする。
派閥違いといえど侯爵家伯爵家の皆様方、『学園編』で顔を合わせる確率高く、またホーリエ・ブルハルトに関わる『大公』ルートにどう絡むとも知れない。
嫌われない程度、馬鹿にされない程度には好感度を減じない態度でありたいところ。
(でも無い袖は振れない、サリーマ様の絵の代表作とか全然知らんし!)
あまりにも身近すぎて特別なものだと認識していなかったのがこの窮地を呼んだ。
それでも不自然に黙り込むのは誤魔化しを疑われる、ゆえに即答できるものを脳内からチョイスするしかなく。
わたしの口から滑り出したのは、よく知ってる絵の名前。
「え、えーと、『緑の湖畔に映る』や『太陽の畑』などが、はい」
「……そんな名前の絵はありましたか?」
「ええ、あたくしも存じませんけど……?」
イスメリラ嬢とパナシルテ嬢に怪訝な顔をされた。それもやむを得ないだろう、嘘はついてない、ついてないけど世の中に知られた絵ではないはずだ。
何しろ、それらは──
「アルリー様」
「……ヴェロニカ様?」
不意にドスの利いた声がわたしの耳に突き刺さる。
ただならぬ情念の籠ったそれを例えるなら「怨」の一文字、或いは飢餓の唸り。
飢えたる者が肉を求めるが如く、白い指がわたしのドレスの襟を掴む。
「『緑の湖畔に映る』、『太陽の畑』……それらの絵をご存知なのですか?」
「え、え?」
「ご存知かと申し上げました」
問う声よりも掴まれた布地の悲鳴がギリギリと強く耳を打つ。
いやいやどんだけ握力あるんですかヴェロニカお嬢様! もはや引き絞ってるってレベルじゃないわ、ドレスの寿命が危ない!!
「先程アルリー様が列挙されたのは『ロストナンバーズ』」
「は?」
「サリーマ画爵の作品レジュメに名前が載りながらも一般公開されたことのない、ファンの間では幻の作品と呼ばれてるものじゃないですか!!」
「えッ」
「かくいうわたくしもリストに掲載されたサムネイルでしか拝見したことのない作品ですのに!」
「そ、それはまあ」
当然だろう、名前を挙げた絵はわたしの部屋の壁にかかっているのだから展覧会や個展で公開されることはない。いや、でもそういう季節毎に贈られる絵ってそんな大げさな代物だったのか。てっきりプライベートで描いた手慰みの品だとばかり思っていたのに。
侯爵令嬢が掴みかかって来る程にファン垂涎の逸品だったとは予想だにしなかったわアハハハ苦しい離して。
「観たことあるんですの? まさかもしやどこかでロストナンバーズの本物をご覧になった、そうおっしゃるのですかアルリー様???」
「ちょ、まッ」
「ならば一言、一言おっしゃってくださいませ、何処其処で観た、と」
「すッ、わッ」
「なんです? たった一言でよろしいのですよ? 難しく考えずとも」
「ギブ、ギブギブゥゥゥゥ!!!」
ヴェロニカ様の腕をタップする。力づくで引き剥がして怪我でもさせると危ないし、わたしの脳に届く酸素量はもっと危なくなってきていた。というかもう締め技に近しい引き絞りで声なんて出せるわけないでしょ!!
「……ああ、死ぬかと思いました」
「で、わたくしの疑問に答えてくれるのかしら?」
恐るべき握力からは解放されたものの、結局根本の追及からは逃れられないのだ。
再びわきわきと迫る白い指に観念し、白状を強いられるのである。
「………………わたしの家で」
「はい? それってどういう意味ですの?」
「そのままの意味です。サリーマ様とは、その、親しくさせていただいてまして」
「まあ!」
「何枚か絵を貰ったことがありまして、その中のタイトルからチョイスしました」
「まあまあ!!」
実際は「何枚か」どころか季節毎に何枚も贈られているのだけど、そこまで細かく説明すると面倒そうなので遠回しに説明しておいた。
だって「わたしの部屋の壁を埋め尽くして屋敷内にも飾る程あります」なんて正直に答えた日には、
「アルリー様、招待してください」
「……はい?」
「アルリー様のお家に招待してください。是非とも観たいです、是非とも」
迂遠な回答でも結果は変わらなかった。活動的なファンの指針などはいつも同じ、世界が違っても差異はないのだと思い知る。
実に直線的で迷いがない、例えるなら聖地巡礼が如し。
「いやでもウチは男爵位なのでとても侯爵家のヴェロニカ様をご招待だなんて」
「わたくしは気にしません」
「それに派閥が違いますしあれこれ邪推する輩が」
「わたくしは気にしません」
「気にした方がいいかと」
「気にしませんから」
「あッやめて襟は掴まないで」
柔道の締め技、着衣でもって首を絞める送襟絞を彷彿とさせる食い込みに危機感を覚えてギブアップアゲイン。面倒事に発展しそうな要求を承諾せざるを得なくなってしまった。
この縁はプラスになるのかマイナスのなるのか。まさかが原因で発生した想定外の関わりなので収まる先が見当つかない。
「絵を拝見すれば帰りますから。万一逗留することになっても諸経費はわたくしが用立てしますのでご心配なく」
「……ちなみに個展などはどの程度の鑑賞時間を割かれますか?」
「小さな個展でもじっくり観て回るので半日は費やすかしら。それが?」
不思議そうな顔をしたヴェロニカ様に曖昧な返事をしておく。
彼女は知らないのだ、我が家にサリーマ様謹製の油絵が何枚飾られているかを。ひょっとするとロストナンバーズとやらの大半は我が家に鎮座しているかもしれない。
……多分逗留なさるんだろうなァ……。
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