5-11

 教会を訪れてから1ヶ月が過ぎ。

 背負った厄介事、抱えた問題が増えようとも日常は続く。

 家に戻ってからすぐ、自室に伯爵領の方向へと盛り塩をしておいた。何かとイベントに遭遇する災いの方角、これで多少は効果があって欲しいと心から願う。


 それはさておき、今日も今日とて自分磨きの訓練は怠らない。教会を訪れて以降、明確な鍛えるべき項目と課題が出来たのだから当然だ。


「はいお嬢様、今日は『浄化』の魔術で洗濯の汚水を綺麗にする訓練でございます」

「訓練と実利を兼ねた素晴らしいチョイス……ッ!」


 中庭、食堂に続く新たな第3ステージの名は洗濯場。

 洗い物の聖地で行われるのは魔術の実践。洗剤の匂いも芳しい世界は上級貴族の皆様ならあまり馴染みの無い光景だろう。

 しかし魔術とは人間が魔力を行使することで魔導器無しでも「便利道具」を扱える術。こういった使い方をしている下級貴族は少なくないのだと聞いていた。

 すすぎ、攪拌、洗い。貴族の家庭においては全て魔導洗濯機の働きあっての清潔さが保たれているのだけど、魔術を駆使すればさらなる効率化を図ることも可能なのだ。


「お邪魔するわよエミリー」

「はい、今日も頑張って『浄化』してくださいませ、お嬢様」


 例えば『浄化』の魔術はその筆頭。

 熟練すれば服を着たままの対象に用いることで衣装どころか対象の人間すらキレイキレイに仕上げる破格の便利魔術である。

 多分この魔術の存在でロミロマ2世界からは匂いを誤魔化す香水文化は消滅し、純粋なお洒落方面で発達したと思う。


「現にストラング家もメイドさんが剣術訓練後の汚れを消してくれてたっけ」

「生活に還元する魔術は使用人の基本ですからな」

「そうだねって頷いてから思ったんだけどわたしって令嬢なのでは?」

「では始めましょう。Cランクへの道は1日にしてならず、ですぞ」

「お、おう」


 そう、Cランクだ。

 魔術資質がオールDランクのわたしが目指す到達点はオールCランク。これでもせいぜいが凡人の域だというのに目標は遙かに遠い。

 魔術関連がひたすら成長が遅いのは『魔力』ステータス上げの時にも体感した。そしてゲームでの魔術資質上げでもっとも効率よかったのは魔術を使い続けること。

 生活排水を前に両手を構える、文章にすると全然格好良くないけれど。


「『浄化』! 『浄化』! 『浄化』!」

「ほらほらお嬢様、広く隙間無く浄化できなければすぐ汚水に塗れますぞ」

「『浄化』! 『浄化』!! 『浄化』!!!」

「古人いわく『ワインに一滴の泥水を混ぜたものは泥水に過ぎない』のです、それを念頭にムラなく綺麗に、範囲広く水深深く」

「じょ、『浄化』、『浄化』、『浄化』……」

「息切れしてきましたな、しかし辛い時こそ笑うのが貴族でございますぞ」

「ジョーカー!!」


 聞いたことのある理論だけど根性で魔力は回復しない。ロミロマ2にそういう精神コマンドは実装されていないのだ。

 呼気の乱れか魔力の消耗か、双方の影響か。哀れパワーダウンした令嬢は糸の切れた人形めいて無残に倒れ込み、洗濯物の山に埋もれるのであった。

 ──洗剤の香りは心地いいけどまったくもって絵にならない。


「あ、お嬢様のバカ! せっかく洗ったのにやり直しじゃないですかバカ!」


 メイドに叱られた。本当に、まったくもって、絵に、ならない……。


******


 魔力の回復には休憩が大事とされる。

 魔術の行使は肉体と精神の双方を疲弊させるので、特殊な薬剤を飲む以外に回復手段は少ない。その特殊薬剤MPポーションも『戦争編』で登場した代物、とても平時で使うアイテムではなかった。戦時中にのみ使用される薬剤、偏見だけど多分体に悪い。

 『学園編』では魔力を使い切って倒れるようなイベントは無かったのでお世話になる機会などはなかったはずだ。


「それが倒れるほど消耗するとは、このわたしの目を以ってしても……」

「魔力を極端に消耗したからこそ、心身は限界値を上回るべく回復しようとする。筋肉の超回復と同じ理屈ですな」

「同じかなァ?」


 ベンチに座るのではなく横たわり、顔に冷たいタオルなどを乗せての休憩タイム。見る者が見ればフルマラソンを終えたランナーが休んでいるような構図。

 魔力を使い果たした者の疲労感が実に分かり易い絵面だろう。全身が熱を持ちながら虚脱感に見舞われて立つのもしんどい、そういう疲れ方なのだ、魔力切れという奴は。


(ああ、本当にしんどいィ)


 魔法適正の検査を行ったあの日。

 測定器に魔力を吸われすぎてこの状態に近くなったわたしに礼儀知らずのトークを仕掛けてきたミギー。寛容さを発揮させる余裕も無いわたしがイラついて無礼討ちしたのも仕方ないというものである。


「氷レモン水のおかわりでございます」

「ありがとーセバスティングー」


 ただ脱力した怠惰令嬢と化したわたし。冷やしたドリンク片手に寝転がるといえばセレブな感じに聞こえなくもない、訓練を終えた後の気だるい午後。

 春の日差しは麗らかに、疲れきった体を眠りにいざなうのだ。


(ちょっとだけ、ひと寝入りしようかしら……)


 時間経過で魔力の自然回復を待つしかない身だ、午睡くらいは許されよう。

 思考を放棄し、目と閉じて頭を空っぽにする。そうすれば自意識が自然とシャットダウンされて心地よい眠りに。


 ──人間、心身が疲れた時は弱音が漏れるものである。

 新たな生を受けた地で将来の悲劇的バッドエンドを避けるべく走り続けるわたしとて、所詮中身は学生だ。

 弱った時には心が癒しを求める、そんなことがあっても責められまい。


 夢に見たのは日常の光景。

 不思議と前世の夢はなく、この世界で出会った友人たちの夢。

 クルハとの竹刀を交えた出会い。

 それを止めもせず笑っていたデクナとの出会い。

 バカボン達の仕打ちに耐えていたランディとの出会いと再会。

 雪の行軍と肩の力が抜けたサリーマ様の招待劇。

 ──ああ、バカ友と遊んで癒されたいなァ。


 これは多分寝言だ。寝ていながら自分の耳に届いた、わたしの呟き。

 ただし自分が何を口にしたのか、覚えていられない類の呟き。


「……あ、何か閃いた」


 心に浮かんだのはクルハの家の庭と、サリーマ様の自室。他にも浮かんだ情景はあったと思うけど覚えてはいない。

 夢見心地の頭に「何故」「どうして」の理性的判断は働かず、ただそういうものだと認識していた。

 よく遊んだのはクルハの方かな、と反射的に決定し。


 ──気がつけば、わたしはクルハの家の中庭に倒れていた。

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