4-07

 姿を隠すには人ごみに紛れるのも一種の戦術である。


「ああ、恐ろしい目にあった……」


 絵を一通り披露して満足したのか、KY令嬢は一旦引き上げた。複数枚のキャンバスを抱えた執事さんは大変そうだったけど、わたしだって負けじと大変だったのだ。

 ああいう時、どんな顔をすればいいか分からないの。逃げればいいと思うけどそれはそれで後を引きそうで。

 結局最後まで付き合うことで芸術家サリーマ様はにこやかな笑顔で退場したのだけど、デビュタント前の社交場から去ったわけではあるまい。また会場で遭遇しないとも限らないので上手くやり過ごしたいところである。


 そんな意もあって遠巻きからの観察から群集に紛れる選択をしたわたしは参加者達の群れに潜んでいた。

 まだ身長も育成途上な未成熟ボディが大人の中に入れば埋もれて周囲からはなかなか見分けられまい。しかしながら視界の阻害はわたしからも友人を、例えばクルハ達を見つけることが困難になる諸刃でもある。

 今はまだ大人たちが子供を連れての挨拶回りタイム。懇親会が始まれば用済みで弾かれた子供たちが別のグループを作り始め見つけ易くもなるのだけど、デビュタント開催前ではそれも期待できないのだ。


「ウチはそもそもパパンが欠席だからねェ」


 招待状が届いたにせよ、当主が欠席している中で未成年の令嬢だけが出向いているのは割と珍事かもしれない。家名に力がなければ尚更だろう。

 チュートル男爵たるパパンはセバスティングをも引き連れた業務の忙しさに伯爵家主催の社交場に顔出す時間も無いのである。出世目当てのコネ作りを優先するなら出席して然るべきなのに。

 生真面目な人だなァと感心すると同時に、不肖の娘は薄汚くもコネ作りに奔走してばかりですみませんとも思う。これも王国のため、将来のためなのよ。

 ただ今日ばかりはコネ作りがメインの目的ではなかったのだけど。


「これ以上は効率悪いし、わたしも控え区画でのんびりしようかしら」


 思えば今回の社交界、隠密を以って行動するはずだったのにまるで上手くいってない。いや、既に最低限の成果は挙げた気もするけど想定と違いすぎた。

 往路の予想だにしない出会いで心削られ、偵察の意気を予想できようもない絵画展に挫かれ、流石に少し疲れを覚える。走り続けるには休息も必要だというものだ。

 給仕さんよりカクテルジュースの一杯を受け取り、そのまま控えスペースに戻ろうとした途端。


 ガシャーン!!

 派手にガラスの割れる音と少し甲高い怒声が轟く。

 唐突な騒ぎの勃発に驚く、驚いたけど、


「どこかの誰かが何か粗相でもしたのかしら」


 この時はそういう事もあるか、と単純に思っていた。

 人が集まりすぎ、詰め込みすぎの会場は伯爵家別邸のパーティスペース収納数を以ってしても余裕を失い気味だったのだから。取り急ぎ別家屋の開放ならびに人員の調整、緊急に対処すればトラブルだって発生するというもの。

 上を狙うお貴族様は大変だなァ、などとお気楽に考えていたのも束の間。


「──ッ! ──ッ!!」

「──ッ! ──ッ、──ッ!!」

「──てくれるんだ、リンドゥーナ野郎!」


 雑多な空間、雑音が響く空間でも自身に関与する言葉や単語は意識に引っ掛かり認知できる。これもいわゆるカクテルパーティ効果という奴だったのかもしれない。

 とある単語が耳に届いた瞬間、他人事ではなくなってしまったのだ。

 手にしたカクテルグラスの中身を一気飲みした後、小走りに声の方に近付いた。


******


 人の波をすり抜け、掻き分け、通り抜けた先にあったのは不思議に浮いた光景。

 少なくない人数が輪になって空けたスペースに、いつかどこかで似た構図を見た気がする情景が繰り広げられていた。

 

「お前のような奴が出入りするような場所じゃないだろうが!」

「本当ですよ、身分と道理を弁えないのは罪ですよ罪」

「僕君の服はな、お前らが一生かかっても着れないような仕立ての服なんだぞ、分かってるのかリンドゥーナ野郎! それをこんな汚しやがって!」


 立て続けに罵声を上げるのは3人組だ。

 一目の印象を述べるなら凸凹凸トリオ、特に真ん中の凹んだ少年が気勢を上げている──否、奇声を張り上げている。

 まだ変声期の途中なのか、少しだけ女の子トーンの罵詈雑言は悲しいかなあまり迫力を感じない。どこかで聞き覚えのある高い声は、例えるならデクナが竹刀を持った方がまだ強そうに思える。

 だからといって、耳に入る罵りが心楽しくなったりはしない。


「いいか、分かってんのか、お前の躾けの出来てなさはそのまま主人の顔に泥を塗ってんだぞ?」

「その通り、せめて額を地面にこすりつけてお詫びの気持ちでも表しては如何かな」

「わっかるわけないよな、こいつの体から育ちの悪さが滲みでてますぜ、ハハハ」

 

 詰問と罵声の内容は少女ボイスの少年に服を汚したとかそんな感じのみみっちい内容で、口走る言葉も皮肉のエッセンスからは遠く離れた子供じみた悪口に過ぎないのだけど、人前で貴族3人に責め立てられれば心苦しくもなろう。

 責められた相手は腰を折り、頭を下げたまま一言も抗弁しない。

 もはや唯の雑言、相手の人格を傷つけるためだけの無礼な発言、中傷の数々を忍従の姿勢で耐え、受け止め、事を大きくしないようひたすらに低姿勢を貫いていた。

 それだけなら難癖を付けられて気の毒に、早く伯爵家が収めてくれればいいのにで終わった話かもしれないのだけど。


 問題は。

 それを強いられているのがウチの従僕服を着せられた少年で。


「──失礼、ウチの従僕が何かご無礼を?」


 気がつけばわたしの舌は考え無しのノータイムで割り込み、わたしの足は人の輪が囲む隔絶空間に踏み込んでいた。


 後にして思えば、少々冷静さを欠いていた気がする。

 伯爵家が主催するパーティでの揉め事にすぐ給仕が割って入らず、後始末にも駆けつけないことに「おかしいぞ?」と疑問のひとつも感じなかったり、そこに政治的力学の存在を予想しなかったり、後に起こる面倒ごとの可能性と損得勘定を測れなかったりと頭の回らなさを恥じるべき点が多々あった。

 第一歩は冷静にと心がけるわたしにしては迂闊だった。頭に血が上った状態で行動してもいい事は無い、そうも分析するのだけど。


 あの時あの場所においては最善に行動したと自分を褒めてもいい、そうも思えたのだ。

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