4-06

「あらまあ、お久しぶりです和、アルリー様!」

「そちらもお元気そうで何よりです、サリーマ様」


 人目のない遠くより場内の観察に回っていたわたしの意識を背後からの急襲が現実に引き戻す。

 声の主が誰かは振り返らずとも分かる、「わ」の発音に独特のイントネーションを有する彼女の声は覚え易いのだ。ついでに言うと実に弾んだ口調、誰からも読み取れる喜びに満ちたトーンだ。これほど素直に喜びの波長を出されると邪険にし辛いというもの。


 ペインテル子爵令嬢サリーマ様。

 普段は手紙のやり取りが交流手段で、こうして直接顔を合わせるのは3度目。

 物腰穏やかで雰囲気は陽性、しかしどこか芸術家に見られる影の薄さ、病を患っているかのような色を併せ持っている。


 しかしその正体は、一言で言えばKY。

 空気を壊し、空気を読まないマイペース令嬢なのである。

 彼女の正体を知るわたしは密かに気を引き締めて応対する。空気ブレイカーの彼女相手に気を抜けば一瞬で和やかにされてしまうかもしれない故に。

 今回の社交界は緊張感を持って挑まなければならないのだ、絶対に和やかさに屈したりなんかしない!


「季節の変化で体調などは崩しておられませんか?」

「和たしは大丈夫です、こう見えても部屋に篭りっきりでしたから」

「見たままなんだよなァ」

「それに春は筆の進む季節ですから、何枚か満足いく絵が出来ましたの」


 令嬢の言葉に従い、控えていた執事が布で覆われたキャンバスを抱えて現れる。まさかここまで描いた絵を持ってきたと言いますか。

 大変だな執事さん、というか他家が開催した歓談の場に持ってこさせる物なのかそれは。恐るべきKYの行動力。


「本邦初公開、他の人にお見せするのはアルリー様がお初ですのよ!」

「そ、そうですか……それは光栄ですゥ……」


 他にどう答えれば正解だったというのか。

 あちらの執事さんからの「主人の道楽にお付き合いいただきありがとうございます」との目礼を受けつつ、サリーマ様渾身の新作お披露目に付き合わされるのであった。


******


 意気揚々と現れたサリーマ様の目的。

 なんでも絵の新作が出来たので見て欲しいとの事である、他人様の社交場で。

 現実世界なら出来のいいインスタ写真を見て欲しい的なノリだろうか、それが油絵なのはさすが貴族というべきか。会場を遠くから観察していたのが幸いしてか、せめて人目の無いことが救い。


「……ちなみに何枚くらい持ってこられたので?」

「ほんの4枚です和」

「そ、そう……」


 これが多いか少ないか、わざわざ他家の社交界で自作の絵を披露する前例があるかどうかも分からないわたしには判断しようも無かった。


「これが1枚目です和!」


 わたしの困惑などどこ吹く風で作品発表会が始まった。

 描かれていたのは庭の風景画。

 ウチの食用農園と違ってちゃんとした観賞用植物が配置され、他者に紹介できる手入れのされた庭。あくまで人の上に立つ者、優雅に暮らす貴族の生活空間と設計された庭園が微細に書き込まれていたのだけど。


 そこにポツンと描かれた違和感。

 小さく、全体からすれば非常に小さく、だけど絵の中心当たりに。

 オレンジ色の髪をした顔の無い少女が空を仰ぎ見る姿が白い布を汚す一点の染み、或いは砂場に置かれた宝石のような存在感で目を引く何かとして描かれている。

 全体の調和を崩す、それだけに絵が切り取ったのは完璧ならざる生きた世界だと主張するような何か。

 ……そう、『何か』だ。何か見た事あるような、少女の着てるドレスとか。


「……これ、わたしでは?」

「はい、その通りです! 分かって貰えて嬉しいです和!」

「なんで?」

「1枚目で気付いてくださるなんて、流石はアルリー様です和!」


 戸惑いが具体性を欠き過ぎて質問が端的になってしまった。

 去年の冬、子爵家を訪れた時に着ていたドレスそのままなんだもの、気付かざるを得ないというか。


「でも他の絵を披露する前に見抜かれてしまって、少し残念でもあります和」


 わたしの疑問を置き去りに、サリーマ様は残りの絵も次々と紹介してくる。

 桜の絵、躍動溢れる小鳥の絵、花畑で蜜を集める蜂の集いを描いた絵。

 いずれも見事な風景画、精密なタッチに大胆な色塗りは以前見せてもらった絵と遜色ない出来映えだと『知力』『巧力』『魅力』を掛け合わせた芸術スキルが裁定を下す。

 そして彼女の言った通り、全ての絵に共通する違和感がポツリ。

 成程、他の風景画にも無貌のオレンジ少女が画面中央寄りに描かれ、桜を楽しみ、小鳥に餌を蒔き、花畑の縁に佇みながら、絵を一望すればまず視界に入るポジションを確保している。

 この描き方は視線を意識し、必ず目を引くよう計算されたものだと芸術スキルが看破するが故に疑問は増大する。


「だからなんで???」

「芸術とは『ひらめき』です和、アルリー様」

「うん、うん?」

「描きたかったから。それが全てですけど、無人の風景に一点、居ないはずのヒトを描き込むことで違った見え方がするかも、そんな思いの結実でもあります和」

「……分かったような分からないような」


 つまりアクセント、甘さを引き立てる塩のようなものという事だろうか。

 言われてみれば確かに、ただ自然を描いた作品に入るノイズが逆に周囲の美しさを強調させている。

 この絵においてヒトは不協和音、正しさを阻む唯一の邪魔な要素なのだ──邪魔者役に抜擢された立場としてはどうかと思うけど印象的な絵になっていると感じる。

 まあ創作に理屈を問うても意味がないのかもしれないけれど。


「それで、この4枚にはタイトルとかあるの?」

「はい。最初の絵のタイトルは『アルリー様と我が家の庭』と付けましたの」

「……うん?」

「そしてこちらが『アルリー様と乱れ桜』で」

「あの、ちょっと」

「こちらが『アルリー様と舞い踊るスズメ達』」

「ねえ、ねえ」

「こちらが会心の一作、『アルリー様と花畑で飛び交う蜜蜂のダンス』です和!」

「なんで風景よりわたしの名前が強調されてるのかなァ!?」


 そっちがメインじゃない、これ風景がメインの絵じゃないのかな普通。わたしは刺身のツマ、ワサビ、風景画の中のワンポイントアクセントなのでは?

 名画「ひまわり」に対して「花瓶とひまわり」とか名付けないでしょ普通!?

 花瓶はどうでもいいんだよ花瓶は!!


「えー、だって……」

「せめてわたしを名指しするのはやめて。なんというか悪目立ちしてるっていうかわたしの名前が魔法学園ものの主人公みたくなってて辛い、辛すぎる」


 「アルリー・チュートルと兄者あにじゃの意思」みたいな、なんでや。

 或いはテレビの街頭インタビューの後ろでひたすら目立とうと奇怪な動きをする通行人の格好悪さに匹敵する。自ら黒歴史を生み出す勇気には敬服するけれど、視聴者からすれば目障りなだけで君は全然偉くないからね?


「風景がメインだからね? 特定個人の固有名詞とか付けちゃ駄目ェ」

「そうですか、自信ありましたのに残念です和……」

「絵の出来が悪いとは言ってないから。問題はそこじゃないからお願い分かって」


 わたしの抗議を受けてサリーマ様はタイトル変更を容れてくれたようでひとまず安心したのであった。

 ──その後、改名された作品タイトル群が「大親友と我が家の庭」から始まる括りで連作シリーズ化される事をこの時のわたしはまだ知らない。

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