3-12
今なお魔導照明の灯された夜会、クラブの会場から少し離れた場所。
参加者のひとりでしかない男爵令嬢その壱であるわたしは今、子爵家本宅の一室、令嬢サリーマ様の自室に案内されていた。
この場にはわたし達ふたりだけ。
互いの執事はおらず、頼れる者は自分のみ。
「お待たせして申し訳ありません和、アルリー様」
「いいえ、此度の主催を務められた子爵様のご令嬢ですもの、お忙しいのは当然ですサリーマ様」
ホストの役目は単に場を提供するに限らない。
文字通りにゲスト達をもてなす役割と、招いた客人に何らかのアクションを取るための目的を秘めている。なのでこうして自室に招待される、普通に考えれば別格の歓迎ぶりなのだけど、問題は理由が皆目見当つかない点。
一言でいえば「何が目的だ?」という奴である。
その秘めた何かを見通せるほど、今のわたしに眼力も読心術も備わっていない。
「それにいつか我が家でも社交界を開く時の参考になりました」
「そう言っていただけると嬉しいです和」
「こういった社交界の主催を執り行うのは、それなりに頻度を重ねるものなのでしょうか?」
「基本的には持ち回りになるかと。うちは子爵家ですから率いる立場として男爵家の皆様よりは──」
まずは如才ない挨拶と会の主催関係者をねぎらう言葉から入る。独創的な内容は一切無いが儀礼や前例にこだわる貴族らしい導入とも言える。
あくまで社交界、社交場に関する話題で気を落ち着かせる。第一歩は冷静に、実にクレバーな選択肢。
そうすることで頭を冷やし、次なるベターな話題を探るべく
「──あら?」
独特の油の匂いが鼻先をくすぐる。
あまり馴染みの無い匂いだけど、わたしには前世の記憶から閃くもの、察することの出来る匂いだった。学校で、美術室で嗅いだことのある匂い。
当たりをつけて視線を彷徨わせれば、目的のブツを発見することが出来た。適切な話題を探していたわたしにはちょうどいい物体。
2歩ほど壁際に歩み寄り、
「こちらがサリーマ様の描かれた絵ですか?」
「はい。そこの窓から見た今秋の風景を描いてみたのですが」
「いえ、見事なお手前かと。特に色合いが」
壁にかけられたのは暖色を中心に窓下を飾り立てた一枚の油絵だ。冬の寒さに抗するような赤と黄色、茶色の混ぜ合わせたコントラストが温かい。
サリーマ様が絵画を趣味にしているのは手紙のやり取りで把握していた。それも集めるより自身が描く方向で。
貴族たるもの、何かしら芸術方面で一言ある趣味に手を染めている者が少なくない。社交ダンスは基本技能とも言うべきスキルなので除外して、他にもだ。
音楽、歌劇、絵画、彫刻、書道、茶道、華道、香道、造園などなど。
ここで指す茶道や華道は東方由来の伝統文化だったり茶葉のブレンド配合やフラワーアレンジメントな西洋風味なものだったりと多用に存在するのだけど、とにかく貴族が優雅たらんと日常生活からかけ離れた時間を取るもの。
「あらまあ、そんなに褒められるとお恥ずかしいです和」
穏やかに微笑み頬に手を当てたサリーマ様は単純に喜んでいるように見える。
彼女が数ある芸術分野から選んだのはオーソドックスな油絵で、『知力』『巧力』を掛け合わせた芸術スキルから見てもなかなかに堂の入った絵画だと思えた。
繊細な絵柄と大胆な筆圧をした色の置きに独特のセンスを感じ取れる。彼女にとって世界とはこう見えているのかとの興味がそこに加わって、切り取られた風景の全体像を想像したくなる、そんな絵だ。
結論、わたしの感想は必ずしも追従によるお世辞ではない。
何しろ、
「わたしも線画までは出来るのですけど、色彩についてはセンスが壊滅的だと言われて諦めていたので羨ましいです」
「まあ、そうなんですの?」
嘘は言ってない、転生前の話だ。
世界を原色だけで塗り潰すな、とはわたしの絵を見た兄の評価である。言われてみれば絵の具を混ぜて作り出す混合色を使う努力は早々に放棄した覚えがあった。だって混ぜる度に色が違って安定しないし、大量に作っても次回までに固まっちゃうんだもん。
ならチューブに入ったままの色を使うしかないよね!
──この完璧な回答にイエスをくれた批評家は居なかった。兄さんとか先生とか。
懐かしい過去の屈辱を思い出し、ゲーム的に能力を上げた今ならリベンジできるか、それとも所詮はセンスの問題だと似た惨状をキャンバス上に築き上げるのか。いずれ機会があれば再挑戦してみるのも悪くないかもしれない。
「絵の色合いに決まりなんてありません和。心の思うまま、気の向くまま、置きたいところに置きたい色を、置きたいだけの量を筆に乗せればいいと思います」
「そういうものですか?」
「ええ、そういうものです和」
お互いに笑う、笑顔が浮かぶ。何の引っ掛かりもなく。
──気がつけば、最初の緊張と警戒を解いていた。
否、溶かされて会話していた自分に驚きを隠せない。
(な、なんだこの人、凄く、すごく和まされる……ッ!)
そう、いわば全身から柔らかい空気を放っている。その和みオーラでこちらの纏う緊張感すら緩和してくる、しまくってくる。
最初の警戒は既に雪のように溶かされている。彼女の真意は何も分かっていないのに、ただ探り探り会話をしていただけのはずなのに。
そんなわたしに隙を見出したのか、サリーマ様は。
「やっぱり見込んだとおり、アルリー様は楽しい方。ですから直接お会いして言いたいことがありましたの」
何も前触れもなく、いきなり本題らしき言葉で切り込んできたのだ。
駄目である、上手く切り返せる心境になかった。完全に油断、いや、この状態は何と言えばいいのか適切な言葉さえ見つけられない。
なので凝った言い回しは出来ず、ただ相手の要求を聞く以外に出来なかった。
「は、はい、それは?」
「実は、和たし……」
ここに来てようやくサリーマ様の親和性をわたしの危機感が上回る。しかし手遅れだ、もはやどうすることも──
「和たし、あまりお友達がおりませんの。それで、その──お友達になっていただけませんか? アルリー様」
「………………うん?」
どこかで聞いたことのある請願の言葉に、わたしの脳みそはちょっとばかりフリーズしたのであった。
******
自分自身が友人を欲した姿もクルハ達からはあのように見えたのだろうか。
巡り巡って自分の鏡像を覗き見する羽目になった、そう思うと赤面しそうになるのを精神力と社交力でどうにか封じ込めつつ、目の前で機嫌よくお茶の準備をしているサリーマ様改めサリーマを見つめる。
(うん、まあ、うん。サリーマはいいひとなのかもしれないけど)
子爵家令嬢との立場では格下になる男爵家の令息令嬢は相手が気兼ねして友人になり難く、伯爵家はその逆。噂に聞いた中間管理職の悲哀を思わせる。
オマケに絵の才能が「孤高の人」イメージを作り、同格の令嬢たちからは婚姻政策上で最大のライバルと見られて悪循環だった、とは後にセバスティングから聞いたサリーマの評判である。
しかし。
そういうご用件なら何かの機会にご一緒した時でも良かったのに、と思わざるを得ない。
数日をかけての長旅をしなきゃならない環境で。
春になればまだ交通の便も改善されるというのに。
わざわざ冬に呼ばんでも。
(色々抜けてるお人でもある……)
思い込んだら一直線。決めた事を後回しに出来ない、ある意味一本気な性格と言える。自身の欲望と呼ぶには可愛らしい、純朴な令嬢らしい好意の表し方と捉えても的外れではないだろう
──しかし、しかしだ。
普通は他人の都合や相手への配慮というものも加味して行動を決める。
移動手段の厳しい世界、遠方から冬の最中に訪ねてきてね♪ とはならないはずなのだ、普通は。
(つまり、致命的に空気が読めない人──ッ!?)
芸術家タイプのあるあるな、浮世離れした特性。
環境のせいもあろうが、他人の警戒を壊す程に和やかな空気を放つサリーマは、同時に人付き合いの無さから他人の空気をも読めないKYにも成り得ているのだ。
デビュタントの日に出会った時には程よく緊張していてそんな事は無かったのに、或いは緊張こそが彼女の空気弛緩能力を封ずる鍵なのか。
(気を引き締めて、引き締めまくって対応しないとねッッッ)
ペインテル子爵家のサリーマ、もとい、やはり心の中でもサリーマ様と呼ばせていただく。そうしないとこちらの気が抜ける。恐ろしい子!
同性で格上の友人が増えたことは非常に喜ばしい出来事ではあるのだけど。
「それでアルリー様に是非とも受け取っていただきたいものがあるのです和」
「はあ、何でしょう?」
「これです和」
彼女が部屋の奥から持ってきたのは布をかけられた木枠。今までの流れからしてサリーマ様の描いた絵なのだろう。貴族の贈答品といえば美術品、これはゲームでも忠誠度を高めるのに利用したアイテムであった。
まさかわたしに賄賂というわけでもあるまい、ただ親愛の情を示すための、
「どうでしょう、和たしなりに頑張ってみたのですけど」
絵を覆う布が取り外され、全容が明らかになる。
暗がりの中に差す一条の光の絵。闇の部分は濃く深く、光明を覆いつくそうとする真黒を幾重にも塗り固めたおどろおどろしいタッチで描かれ、逆説で光の中に立つ塔の姿を美しく際立たせる。
塔、そう、塔──
「ぐふッ!?」
「人物画はあまり自信が無くて……どうでしょう?」
輝く光の中で雄々しく屹立するのは。
ちょっと待ってちょっと待って。
それはあまりにも無慈悲な不意打ちではあるまいかサリーマ様?
不意打ちで急所を抉るとは血も涙も空気読む能力もない仕打ちじゃないですかねェ!
「あ、あの」
「はい、申し訳ございません和。でもデビュタントのあの日、目の前に降りて来た神々しい光景を表現せずにはいられませんでしたの! アルカーナ二十二神もかくやとの眩さでした和!」
「いや、あのね」
「ただでさえ和たし達の緊張を払い、勇気をくださったアルリー様。そんなアルリー様が舞台の上で披露された雄姿、これはもう後世に伝えるしかないと思いましたの確信したのです和!」
「思わないで」
「勿論理解はしているのです、この絵一枚であの時の感動を表すのはまるで足りないと。これはあくまで決意の習作、完成への階段の登る一歩目ですの。これを是非アルリー様にもらっていただきたく」
「いらない」
「受け取ってくださるのですね、これを励みに致します和!」
「いらない」
気を強く持っていたはずだ。何者にも負けぬ抗弁を続けたつもりだったのに。
──芸術特化KYの猛攻により、わたしはある意味において断罪に処された。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます