2-05
着替えを終えたわたしはしばし身内とのおしゃべりで時間を潰していた。何しろ正装姿で気楽に散歩は差し障りがある。動き難いのもあるが、お披露目前に汚しでもすれば目も当てられないからだ。
待つこと数十分、ようやく伯爵家の使用人よりお呼びが掛かる。
「チュートル男爵アルリー様、お待たせ致しました。控え室に案内致します」
「よしなに」
気取った返事と共にわたしと介添えのエミリーは夜会が開かれるホールの控室に移動する。セバスティングとは暫しのお別れ、再会は夜会が始まってからだ。
夜会。
単純に言えば立食パーティだが、ここに社交界デビューの貴族令嬢がいる場合は挨拶用に一段高い舞台が用意される。
その裏には政経世界の海千山千が密談するスペースなども用意されているのかもだが、今のわたしには関係ない。とりあえず立場が背負った義務をもって壇上でペコリするのが最優先なのだ。
導かれるままに絨毯を踏み締めて歩く、すると。
「──!」
「────!」
「──ッ、──!!」
何やら騒がしい、との既視感を覚える。
ただ先程のイベントと異なる点は声の調子に悪意や害意の類を感じない。ただひたすら慌ただしさ、緊急事態に対する必死感を覚えるばかりである。
はて、何か運営上のトラブルがあったのだろうか?
「──失礼致しました。あちらは大丈夫でございます、お耳汚しを」
「いえ、それなら何も聞きませんわ」
「ありがとうございます」
場を仕切る側の人間がそう言うのだ、危険が無い限り追及は悪印象となる。
まるで何事も無かったように歩き続け、辿り着いた控え室もまた広い。
テレビで見た芸能人の詰める楽屋に似た空間、鏡台が立ち並ぶアイドルのオーディション控え室っぽい様相。中に詰めている少女たちもアイドルより優雅なドレスを着こなしているのだが、おそらく豪華さも芸能界よりもずっと上を行くだろう。
何しろ令嬢達が着飾る中で身に付ける宝石の類はおそらく全部本物だから。
「まぶしい」
小市民感から漏れた素直な感想である。
人数にしてひい、ふう、みい……11人、わたしを加えて12人。事前に確認したデビュタントリストの人数通り、全員が揃ったことになる。これが多いのか少ないのか、貴族社会の基準に乏しいわたしには判別し難い。
せいぜい知り得たのは、その中に親しい友人の姿がある事くらいだ。
「やっほー、クルハ」
「やっほっほーアルリー」
ストラング男爵家のクルハが立ち上がり、いつもの調子で挨拶してきた。
流石にこの日は片手に竹刀を下げたりはしておらず、周囲の令嬢たちと変わらぬイブニングドレスを着用している。当たり前なんだけど友の常ならざる着飾った姿に少々感動を覚えてしまう。
しかし。
「花冠はつけてないのね?」
「うん、あたしはいらないって」
ドレスに長手袋に花冠。
これがデビュタントのデフォルト衣装なのだが、ここの花冠が不要というのは、
「ああ、デクナがいるもんね」
デビュタント、貴族令嬢のお披露目は「ウチの家にはこんな娘がいますよ」と他家にアピール意味合いが強く、今後の政略結婚を一考させる判断材料な側面を持つ。
特に衣装のひとつ、花冠の意味するところを俗っぽくいえば「まだ売れてませんよ」となる。既に売約済みの子はこれを外して人前に出るわけだ。
「もう婚約者がいます」「その上で働きかけるなら覚悟を持ってしてください」とのサイン。流石に婚約者持ちに声をかける例は多くないはずだけど、婚姻政策で繋がる縁故の強固さを考慮すれば是が非でもとの例もあろう。
それに上級貴族の婚約を破棄させて恋愛成就に至るヒロインのようなケースもあるわけで全く油断はならない。
こわい。
「貴族社会って世知辛すぎるゥ」
「え、なにが?」
「クルハはそのままでいて」
ちなみにクルハのような予約済みの子が一応はデビュタントに参加するのは、半分以上は婚姻政策の資料扱いな会だけど、貴族の子供達が面識を持つ、交流を持たせる意味合いもあるからして決して無意味ではない。
(特に同年代は学園で机を並べる可能性が大きいし)
学園の入学資格は15歳以上。
お家の事情で入学時期をずらす生徒もいるのだが、だいたいの生徒は成人後すぐに入学するのでここにいるデビュタント令嬢たちは5年後の同級生になるだろう。
もとより大人には通じないわたしの社交性、彼女達と交流持つのが個人的な目的だったのだけど。
「デクナは会場に来てるの?」
「うん、いっしょにきた」
「ご馳走様」
「え、なにもたべものないよ?」
クルハと2人続ける雑談が室内に響き渡る。
というか他が静かすぎるのだ。声ひとつ、物音ひとつ、布ずれの音すら立てない勢いで静寂に満ちている。
理由はなんとなく見当がつく。
(デビュタント前で緊張してるんだろうなあ)
社交界デビューの大切さは貴族なら誰もが認めるところ。今後の社交生活を左右する第一歩、とても失敗など許されない。
──と、わたしも思っていた。分かるよ、その気持ち。
デビューとの文言はいかにも重く、やり直しが利かなそうな響きを持っていて、お家付きの執事や教育係も「あんなのたいした事ないッスよ」とか言うわけがないからだ。
そこがウチのセバスティングの異なる点。
彼ははっきりと「あんなのはカーテシーが出来ればいいだけの挨拶です」と言い切ったのだから凄いのやら凄くないのやら。ただのお披露目に成功も失敗も大差ない、そう知れば気持ちも楽になろうというものである。
わたしは飾り気ない真実を知るが故、クルハはただの天然で自然体を保っている。他の子たちはガチガチだ。
──ならば少し、未来の友人たちに緊張緩和のお裾分け。
「クルハは花冠無しで気楽なんだろうけど、わたしも割りとリラックスしてるのよね」
「え、なにが?」
「ウチの執事が言うには、実はわたし達自身はそんなに注目されてないって言ってたの」
場の空気が変わった。
張り詰めた風船めいたそれが一点に、わたし達の会話に向かって風が流れて着たような感触に変化する。
沈黙は守っている、けれど無心になって周囲の全てを無視していたわけではなかったのだ。それがデビュタントの話題であれば尚更。
聞き耳立てられているのに心の中で頷きつつ、
「デビュタントはお披露目の順が回ってきた時にカーテシーが出来れば上出来なんだって。あとは父母同士の挨拶がメインで、付録のわたし達はお行儀よくしてればいいだけだって」
ざわわと室内で雰囲気の揺れを感じた。
一生に一度、貴族社会の入り口を潜る試練の日。そう思って臨んだ門の入り口で「実はたいして重要じゃないんだよ」と聞き知れば動揺も走るだろう。
「あ、あの、失礼?」
やがて食い気味で隣の少女が話しかけてきた。
緊張に顔を青く、そして興奮に頬を赤くと器用な真似を発揮していた。
「今のお話は、どういう……?」
「はい、ウチの執事に社交心得を習っていた時に教わった事ですの」
「アルリー、はなしかたが気持ち悪い」
「そんな真顔で突っ込まなくても」
余所行きの言葉遣いをしただけなのに酷い言われようである。
「まあ、それは本当ですの?」
「おそらく。わたしがデビュタントに合わせて厳しい鍛錬をしている時に聞いた事ですので」
すっと立ち上がり、ビシッとカーテシーを披露して見せた。
百聞は一見にしかず、魅力ステータス12と知識10に支えたれた社交スキルはセバスティングも太鼓判、子供標準なら充分に秀でた値。
これ程までに躾けた執事が語った言葉だ、と一定の納得はさせられる証明にはなるだろう。
「うそ、ホントに!? うちの教育係は凄く厳しく言ってたのに」
「それはまあ緊張を持って挑んで欲しかったのかと」
「でもやりすぎは毒よねえ、逆にぎこちなくなったらどうするの」
「晴れ舞台だもの。ガチガチに緊張したままよりも適度に力を抜いて立ちたいわよね」
効果はあった。
張り詰めた空気が若干穏やかに、和やかなものに入れ替わったのだから。
口を噤んでいた令嬢たちが堰を切ったように話し始める、語りだす。同じ境遇同士色々言い合いたい事も抱えていた反動か。
「あ、今更ですけどチュートル家のアルリーと申します。デビュタント後にまた改めてご挨拶申し上げますけど念のため」
災い転じて福と為す。
これは人助けをしたご褒美、善行を積んだお返しなのだろう。
華やかなるデビュタント前の控え室で、わたしは学園で再会するだろう未来の友人候補たちに名前と顔を売ることが出来たのだった。
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