2-03

 やってきました社交会場。

 会場はセトライト伯爵が提供してくれた別邸とのこと。

 別邸、仕事で地方回りする際の拠点のひとつ。いわゆる仮の宿、当然本宅より小さな規模のお屋敷のはずだけど。


「ウチより広い!」

「流石は一帯を仕切る伯爵様の別宅ですな、仮宿にも威容を誇る佇まい」


 ついでに言えば庭の植物は別に食用に統一されれおらず、要塞化は考慮しないお屋敷な作りだ。

 門から邸宅前に続く道も綺麗に舗装された石畳。思えばここまでの街並みも洗練された建物ばかりだったように思える。


 わたし達が住む男爵領、国境沿いに配置された下級貴族で形成された防衛層が第1陣だとすれば、ここ伯爵別邸は第2陣というべき深さの地域。

 国境から内地に一歩踏み入れた程度の距離、それなりの危険を想定された地域のはずだけど。


「爵位の差って大きいね」

「王都ともなると町中全体が石畳ですぞ」

「贅沢か!」

「国家の要所は皆そのようなものでございます」


 国家の貫禄、体面、威厳。

 なんでもいいが「我が国は立派でしょ? 凄そうでしょ?」とのアピールは自身を強国に見せ、弱者を狙う隣人に隙を見せないための重要な防壁なのだと学んだ。


「さて、そろそろ到着致します。アルリー様、ご準備を。エミリーは口を閉ざすように」

「うん、分かった」

「……」


 有能執事の言葉に従い、ここで余所行きの雰囲気に着替える。

 あくまで心構えの話だが、お披露目時のドレスはまた別の物に着替えもする。伝統と格式の世界は外も中も面倒なのだ。

 馬車は止まり、舞台は花開く。


「お嬢様、お手を」


 執事に引かれて善光寺参り、もとい私的空間から公的会場に降り立つ。

 館の扉前に並ぶ執事服にメイド服の縦列。

 流石は伯爵家、人員も潤沢だなあとの感心は社交の仮面で封殺する。平然として絨毯を踏み締め館内に案内を受ける。


「ようこそいらっしゃいました、チュートル男爵御一行様」

「こちらこそ。このような素敵な場所をデビュタントにお貸しいただき、感謝に堪えませんわ」

「過分のお言葉、我が主も安堵することでしょう。では控えにご案内致します」


 執事のひとりが進み出て一礼し、決まった文句で返礼申し上げる。

 既に幾人かの同輩、今日この日にデビュタントする歴々は先んじて到着しているのだろうが、そこは格式ばって勿体付ける貴族世界。

 お披露目の時間が来るまでは別室でお色直しを、という仕儀だ。しかし社交デビューする令嬢が今日の主役だとして、わたしのような貴族最下層の小娘にも例外なく個室を用意してくれるとは。


(羽振りがいいんだねえ)


 とても口に出来ない感想を優雅に胸に秘め、しゃなりしゃなりと案内を受ける。派手さのない上品な廊下を通り与えられた個室にて少々気を抜いた。


「エミリー、着替えを手伝って。流石にあれは一人で着るの難しい」

「……」


 もはや絶対の無言を貫くと決めたのか、ただ頷いて準備に取り掛かるメイド。そこまで怒らんでもと言いたいが、ここでバカを連呼されるのは避けたいので止めておいた。

 デビュタントを飾る令嬢が着こなす礼装は決まっており、イブニングドレスに白いオペラグローブ──二の腕から肘上までも包む長い手袋──、そして花冠。これが伝統あるスタイルである。

 奇抜さは必要ない、学校行事には制服を着ていけば間違いない程度の認識だと考えれば現代にも通用しそうだ。


「お嬢様、その前にお手洗いを済ませておいた方がよろしいかと」

「ぬう、確かに」


 貴族令嬢は花を摘むのも一苦労だ。何しろ現代のラフな格好に比べると実に面倒な衣服を装着しているからして。

 現実問題では貴族令嬢の着ているドレスのスカートが異常に膨らんでいたのは、直立不動姿勢で用を足せるためだったという話も小耳にはさんだことがある。香水が流行した経緯も……。


 この世界は幸いにも一部技術以外は転生前の世界と変わらない。トイレ事情も水洗完備、貴族階級なら魔導ウォシュレットだって夢ではない。下着だってリーズナブル設計で開発されているし、立ったままドレス着たまま花を摘む文化など開花していない。

 そのため余程の正装でも着込んでなければ多少の工夫で小用を達することも適う。逆に言えばこれから着込む3点セットはその「余程」に該当するのだ。

 お披露目会の途中で催すと命が危ない、社会的に。


「じゃあ先にフラワーをテイクアウトしてくるね」

「ごゆっくりどうぞ」

「言い方ァ」


 邪推を招かぬよう即座に戻るか、誰かを見つけて話し込むことにしようと思った。


******


 立派な伯爵別邸の廊下を彷徨う。

 流石に別邸の個室ひとつひとつにトイレを設置するのは無駄だと思われたか、共同トイレスペースを求めて歩く。

 往路にそれらしき場所は目にしなかったのでもう少し奥まった箇所だと推測する。


(流石に現代のデパートめいた標識や案内板は無いわね)


 とはいえトイレなどは景観の都合上、入り口付近と奥まった場所に設置されているのが鉄板だ。今から入り口に戻るのは伯爵家使用人一同の視線が気になるので奥側を選択する。

 個室並ぶ廊下を進めばすぐに目的地を見出すことが出来た。


「こういう時、異世界ギャップのない世界設定はありがたい」


 それがたとえ独自の文化構築が面倒だったからとの世知辛い理由だとしても。

 転生なんて事態に巻き込まれた身には実に、実に。


「……よし、これで後顧の憂いは無くなったわ」


 手洗いを済ませて部屋に帰還すべし。

 肩に入った余計な力は抜けて、気分よくドレスの武装に移行できるというものだ。

 ──耳障りな音声が聞こえたりしなければ。


「──ッ!!」

「──ッ! ──ッ!!」

「──ッ!!」

「……なんだなんだ」


 紳士淑女室のさらに奥まった方向、屋敷の裏手に回りそうな場所で如何にも口論めいた雑音ともくれば、おおよその見当がつくのがサブカルチャーに慣れた現代人の感覚というものだろうか。


「カツアゲかイジメか。カツアゲは無いか、貴族の子息子女様だし」


 黒ずくめの男達の取引現場というのは無いだろう、と冗談交じりに溜息を噛み殺す。

 貴族社会は縦割り構造。悪く言えば権力や身分を笠に横暴が許されがちな世界でもある。上の者が下の者に狼藉を働く、エミリーにはジョークの名目で話したことだが決して無い話でもない。

 身分と良識は比例しない、強権を振りかざす輩はどこにでもいるのだ。


「まったく、どこのバカが……」


 口では勇ましく、行動では足音立てないようソロリソロリと音の方へとにじり寄る。何しろ爵位底辺貴族の娘だ、格好悪いイジメ貴族達の方が格上だと色々面倒な羽目になる。

 一番楽な選択は聞かなかった事にする、なのだが少々思うところがあって野次馬精神に身を任せることにした。

 コソコソと曲がり角の向こう側をヒョイと覗き込む。


「ったく、下賤の輩が目障りなんだよ!」

「ほらほら、ワンと鳴いて見せろよワンと」


 そこには予想通り、仕立てのよさそうな服に身を固めた同世代な少年達の背中。

 彼らの隙間から見えたのは、


(ああ、なるほどォ)


 廊下に尻もちをついた状態で蹴られたり小突かれている少年の姿が垣間見えた。

 着ているのは貴族服ならぬ作業着。時折ウチの庭を整えてくれるジェイクさんと似たような恰好なので庭師か徒弟、見習いかもしれない。

 貴族でないもの、市井の人間が何か目についた、気を引いた、気に障った。成程、これだけで一部の驕った貴族なら殴る蹴るの狼藉に及ぶこともあろう。

 ──ただし、目の前の光景はさらにもうひとつの要素が加わっていた。


 一方的にいたぶられている少年の肌は褐色、髪は暗青色に染まっている。この特徴はわたし達の住むゴルディロア王国人のものではなく、


(リンドゥーナ人の子か……これは絡まれるよねェ)

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