社交デビュー編
2-01
社交界。
簡単に説明するなら王侯や貴族、外交官や大使などの集い。偉い人が何かと集まって食事したりダンスを踊ったり、おしゃべりしたり。おおむねそんな感じのイベントだ。
──ただしこれは社交界の一部、夜会と呼ばれるパーティに該当するイメージに過ぎない。
表向きの煌びやかさとは対照的に国内外の冠婚葬祭から政治や経済、領土問題に至るまでを話し合われる重要な国策会合の場こそが本質なのだが、贅沢な部分のみ取り上げられて無駄の象徴のように言われるのは歴史の常かもしれない。
そんな前置きの知識を経て。
齢10歳に至り、わたしことアルリー・チュートルは社交界デビューの年を迎えた。時代や場所によって達成年齢に差こそあれど意義は変わらない。即ち貴族の子供から貴族の令息令嬢と認められるための儀式。
転生してから1年以上、この新たな人生が充実していたと回想できるかはまだまだ先の話。
「わたしの社交界デビューもあと半月後かー」
「お嬢様、正式な形で社交界でお披露目する事を貴族用語では『デビュタント』と申します」
貴族令嬢のみを対象にした儀式呼称ですが、とセバスティングによる社交界うんちくは続く。
有能執事いわく、ある意味では国の、世界の、歴史の行き先を決定し得る社交界も大別すれば3種類に分けられる。
ひとつは王家主催の大規模社交界。
国内の貴族全てに動員がかかり、国を挙げての行事の一環に行われるもの。王族の婚礼や誕生、大掛かりな祝いの日に為される傾向が高い。
ひとつは派閥の結束を高める社交界。
同じ派閥、同じ盟主を仰ぐ貴族が集まり、縦割りの貴族社会が派閥内で互いの立場を認識し合う場。上は下の能力を、下は上の資質を推し量る機会でもある。
この結果で派閥人員の異動があるとかないとか。
最後のひとつは同程度の地位をした貴族が集う場。
身分制度の締め付けが厳しい故に、派閥を抜きにすれば上流貴族は上流同士、下級貴族は下級同士での付き合いを密にする傾向がある。
特に下級貴族、国の政策を左右し得ない下っ端の集う社交界は『クラブ』と呼ばれ、文字通りに子息子女のお披露目と会食目的の夜会だ。
「わたしの社交界デビューは下級貴族の『クラブ』ってことでいいのよね、セバスティング?」
「幸か不幸かその通りでございます」
「え、不幸な要素あるの?」
「お嬢様次第ではありますが、クラブには伯爵家より格上の子息子女はまず来られないかと」
「なるほどォ」
そう来たか、と納得する。
ここ1年、わたしが社交の関する知識や礼儀作法を中心に学んでいたのは協力者のセバスティングも理解している。なれば社交場で披露し、その先に何を求めていたかの推測はつけ易かっただろう。
ただしわたしの真なる目的を知らない身なら、常識的な範囲で誤解するのは無理もない話。
セバスティングはこう考えたのだろう、わたしはお家のために少しでも良い血筋の男子を惹きつけようとしている、と。
「わたしは別に玉の輿狙ってないんだけど」
「お嬢様は現状ダンケル様唯一の跡継ぎでいらっしゃいますし、入り婿を探す形になるかと存じますが何事にも例外はございましょう」
例外と言われて思いつくのはヒロイン、マリエット・ラノワールだろう。
彼女はラノワール男爵家に養女として引き取られた身で、学園編でも嫡男が居る云々の話題は出たことが無い。なので彼女も本来なら入り婿、他所の家から貴族の子息を迎えて跡継ぎを産む役割を担っていたはずなのだ。
時代錯誤と言うなかれ、血統主義が主だった時代は当たり前の慣習。これで上手く回る時代もあったのだと歴史が証明している。
とはいうものの、
「彼女の場合はノーマルエンド以外あれだからなあ」
「お嬢様?」
「とにかくセバスティング、わたしの目的はコネ作りだから。今のところ将来を賭けた大物釣りは考えてないから」
「左様でございましたか」
「だから出席する貴族の一覧をリスト化するのを手伝って」
「はて、目録化とは」
「両親と子息子女を覚えればオッケーだと思うけど、親族縁者の婚姻で結ばれた血縁ラインや冠婚葬祭事情も抑えておく方がいいかなって」
「本当にコネ作りだけでございますかな?」
話題は多く用意しておいた方がいい、それだけなのに再び執事から暗躍を疑われた。それほど陰謀を巡らせる幼女に見えるのだろうか。
「ふんふん、男爵家はリルケー、アンダルト、ノルマルド……ラノワールの名前は無いわよね?」
「そうでございますね。ご令嬢は今年で9歳と聞き及んでおりますし。それが?」
「気にしないで、それより子爵家の一覧を」
社交界クラブに参加するわたしの最大懸念事項、ヒロイン男爵家の出席無しを確認できたのは僥倖である。わたしの方針としてヒロインとは特別仲良くも、仲悪くもなりたくない、さりとて無視も出来ない。実に微妙な加減を強いられるのだ。
下手に接触したくない、なるべくなら学園編まで。
心が決まるまで。
「あとセバスティング、エミリーの調子はどう?」
「はあ、相変わらずですな」
珍しく敏腕執事が溜息をつく。
デビュタント、令嬢お披露目の場でエスコートを務める役は母親が定番である。主役を引き立てる地味なドレスを着て引率するのが凡その慣習なのだが、生憎わたしの母は既に亡くなっていた設定。
ならばと代わりの女性はと探すものの、そもそも家中の女性との条件に該当するのはメイド兼料理担当のエミリーしかいないのだ。
「わたしからも背中をせっついてみようかな」
そこそこ広い屋敷内をうろつけば、程なく真面目に掃除に勤しむ女性の後ろ姿を見出すことが出来た。
エミリーは20代のチュートル家付きメイド。前任者エマリーの娘で先代からチュートル家に仕えてくれている2代目という事になる。先代のエマリーが腰を壊したので娘が代わりにメイドを引き受けてくれたのだ。
能力には過不足ない。知識は充分、経験はこれから積んでくれればいい。
ただひとつ問題を挙げるとすれば、
「エミリー、ちょっといい?」
「ひゃ!? は、はい、なな何事ですかお嬢様」
別に足音を殺すこともなく、普通に近づいて普通に声をかけただけでこの反応。
そう、エミリーはとんでもなくあがり症だったのだ。
「いや、用事というか例のエスコート役の話なんだけど」
「バカ言わないでくださいいいいいいいい! ああああたしがおおおお嬢様をえええエスコートするなんてしししし心臓が止まってしまいます!!」
「あくまで注目されるのはわたしなんだから、そんな気を張らなくても」
「バカな事言わないでくださいいいいいいい! あたしがお嬢様のああああああああ足を引っ張るかもとおおおおおおお思うと、もうハートがぶぶぶぶブブブブレイクしそうですし!!」
ずっとこの調子である。
手にしていたモップを取り落とし、全身で震えながら無理だと訴える。雨に打たれたウサギめいた様子は殿方の庇護欲を刺激するかもしれないが、
「主人の娘を馬鹿呼ばわりできる度胸はあるのに、何故この程度に委縮するのか解せない」
「どどどうしてわかってくれないんででですか!?」
「無理を言う」
言葉は交わせるが会話が成立しない恐怖とはこういうのを指すのだろうか。
尊敬されないのはまだ分かるのだ。
所詮は10歳に成り立ての子供、威厳や威圧感など出しようもなく他人に無条件で頭を下げさせる後光も差さないだろう。
とはいえここまで無造作に罵倒を投げられる理由が見当つかない。取り立てて悪意も感じないのだから尚更どんな感情を込めた罵りなのか分からない。
こわい。
「お嬢様、エミリーは語彙が少ないのです」
「は?」
「語彙が少ないが故、強い否定の表現が極めて限定されているのでございます」
「教育現場の歪みを見た」
エミリーの母がメイドを引退したのは急だったとの話は聞いた。だからエミリーが後継となりウチに仕えてくれているのは色々突然だったのは想像がつくのだけれど。
「とりあえずイエス・ノーで返事すればいいのでは?」
「バババババカ言わないでください! そそそそんなの偉そうじゃないですか!!」
「矛盾を体現しないで」
代々受け継がれた知識はメイドの仕事に関することのみで、どうやら基本的な会話スキルが欠落しているらしい。
この人大丈夫だろうか、いや、大丈夫じゃない(反語)。
コミュニケーション能力が死んでいるといっても過言ではあるまい。
「セバスティング、作法礼法を勉強する時間にエミリーも指導してあげて」
「流石に時間が短うございますが」
「もしくは一切言葉を発しない教育を」
「承知致しました」
治るのならこれで改善されるはずである。
無理なら今は棚上げしよう。
「それにしてもお父様にもあの調子で返事してるのかしら。無礼打ちされたりしない?」
「いえ、ダンケル様にはあがり症を発症しつつも普通に接しておりますが」
「セバスティングは罵声を浴びせられてないわよね」
「そういえばそうですな」
「何故にわたしだけ、解せぬ」
世の中は不条理に満ちている。
隙間産業な立ち位置に転生を果たしたわたしなどがその代表かもしれない。
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