1-09

「ご苦労様、2人とも」

「……うん?」


 聞き覚えの無い声がわたしを淑女に押し留めた。どうにか淑女立ちを維持して首を超えの方に回してみる。

 見出したのは、クルハさんが連れていた微動だにせず控えていたメイドさん。

 その横で優雅に茶をすすっている少年がひとりいた。


「あの、どちら様でしょう?」

「すまない、すまない。君たち2人の熱戦に声をかけられなくてね。語り合いが終わるのを待たせてもらっていたんだ」


 やや不審が混ざるのを避け得ない問いに、少年はにこやかに笑って立ち上がる。

 年はわたし達と同じくらいだろうか。線の細い、パパンやヘラレス様を見た後では本当に細い体つきの少年だった。薄茶色の髪色は透き通り、第一印象では病弱にさえ見えてしまう。

 ただいたずらを楽しむような笑顔がひ弱そうな印象を否定してくる。ああ、見た目に反して悪ガキなのかもしれないな、と。


「まずは簡単な自己紹介を。僕は……うん、クルハの婚約者なんだ」

「…………なるほど、ォ?」


 名前よりも面白立場を紹介してきた彼に反応が遅れた。

 落ち着け、第一歩は冷静になって意味を噛み砕くのだ。

 婚約者。

 こんやくしゃ。

 つまり結婚を前提にお付き合いしている人間関係を指す言葉。貴族間では本人同士の同意より親のあれこれが作用して整えた関係になりがち。

 ──何故こんなに動揺しているかというと、このゲームでの婚約者って厄ネタしかないとの連想が先走ったからだ。


(そう、第2部は攻略対象の婚約者実家が暴れるんだから……ッ!)


 わたしの頭の中では婚約者は不吉な単語、婚約イコールこじれて一門蜂起との導線しか敷かれていないのだから仕方ないのである。


「あの……それはどこまで事実で……?」

「信じ難いかい? 無理もないけど本当だよ、なあクッパ」

「クッパ言うない」


 のろのろと反応したクルハさん。不機嫌そうな応対だが怒ってる風でもない。少なくとも軽口を交わす関係なのが窺える。

 竹を交えなくとも言葉でやり取り出来ているのだから尚更だ。


「でもざんねんながらホントーです、アルリーさま。これ こんやくしゃ らしい……」

「露骨に片言になるなクッパ」

「えー、だってあんた弱いもん……」

「頭の出来はお前の方が弱いだろうが!」


 困惑の来客を無視して始まる息の合ったトーク。これが仲良し男女の波動というものか、それにしては艶っぽさは皆無な子供トークだが。

 ただ双方ともに婚約の事実は否定していないのだから本当なのだろう。貴族間の縁故関係は上級下級を問わずして隅々まで行き届くことだなあ。


 こうしてわたしは男爵宅を訪れてようやくティータイムのひとときを得た。

 ──もはやお上品な社交性がどうこう問われる雰囲気はずっと前に破壊されてしまったが。

 運動後に汗と埃塗れなドレスの有様はメイドさんが『浄化』の魔術で綺麗に整えてくれたのはありがたい。いや、この魔術があればこそクルハさんの初手蛮行が黙認されているのかもしれない。

 多分やめた方がいい。


「あの、それで、お名前は……?」

「おっと、これは失礼した」


 楽し気に話し合う2人に割り込むのもどうかと思ったけれど、放置されるのも困りものと話しかける。途端に崩していた相好を正し、彼は丁寧に。


「リブラリン子爵家の3男、デクナと申します。こちらには昨日から逗留していてね、以後お見知りおきをアルリー嬢」

「リブラリン子爵……ひょっとして文官の、でしょうか?」


 その家名には聞き覚えがあった。こちらの知識でなく、ゲームの知識で。


「おや、ご存知でしたか。おっしゃる通り、リブラリン家は代々王宮に仕える文官を輩出する──」

「そう、だからひ弱なんだよねー、もっと鍛えなよデッキー」

「お断りです。あなた基準だと僕の体が持ちません」


 また楽しい口喧嘩を始めた2人を横目に思い出す。

 リブラリン子爵。

 第2部『戦争編』で何度もお世話になった文官キャラ。知力が高いので内政官に重宝しあちこちに転戦させたものだ。ちなみに家名でキャラ分けされていたので個人名は付いていなかった能力オンリー背景無しのモブ扱い。


「親近感……!」

「え、何か?」

「それはさておき」


 こほんと咳払いして状況を整理する。

 本日、お父様にくっついてストラング家にお邪魔したのは友人を作るためだった。それも出来れば男女取り揃えてがベストだと考えていた先にこの結果だ。

 これは天佑か、それとも転生者特典なのか。いずれにせよ掴まなくてどうするこのビッグチャンス。


「ひとつお聞きしたいのですが、デクナ様は竹刀派ですか木刀派ですか」

「ぶっふ!? そんな派閥の概念はストラング家にしか無いだろ」

「アルリーさま、デッキーはナンジャク派だから。素振りの100回も出来ないしさ」

「僕は脳を鍛えてるの! クッパのように筋肉に全振りするわけにいかないの!」

「それではどうやってデクナ様と初対面を済まされたのです?」

「一発ハタいたら倒れた」

「いきなり竹刀で脳天打ちする奴がいるか! 天国が見えかけたわ!」


 それで婚約破談になってないのだから両者の関係が如何に良好かが窺える。婚約者との文言に反射的な忌避を覚えたわたしだが、こういうやり取りを見ると流石に受け取り方が変わって来る。


 いいなあいいなあ、友人いいなあ──素直な羨望だ。


 思えば転生を果たして二か月近く、やがて来る学園編と戦争編の影に怯えてステータスアップのことだけを考えていた。

 バカ話に興じたり、無意味にスポーツを楽しんだり、無邪気に遊びまわったりの生活とはとんと無縁に過ごしていた気がする。そこには人生よりもタスク、己に課したスケジュールのみが横たわり、新たな生を得た充足があったかどうか。

 ……いや、セバスティングとは割とバカトークを交わしていたような記憶もひとつやふたつでは無かったようにも思えるが。

 とにかく。

 将来への備えだとか、打算の上の関係性だとか。そういうのを置いて、この面白人間たちと友達になりたくなった。

 頭からっぽで楽しい事に泣き笑いしたくなった。


「お二人の仲睦まじいところに申し訳ないのですが」

「失礼ながら君の目と耳は節穴かな? アルリー嬢」

「ミミはアナあいてるのあったりまえじゃんデッキー」

「その脊椎反射で回答するの止めろォ!」

「デクナ様、クルハ様」

「「?」」

「わたし、同世代に友達がいないので友達になってくださいませ」


 割と真剣な顔をしてお願いしたつもりなのだけど。

 何故かデクナ様は立ち上がり、ヨロヨロとショックを受けた風によろめいてテーブルに手を付いた。

 はて、何か社交上で無礼極まりない問題行動を起こしてしまっただろうか。やや不安な心境が胸を襲った。 


「アルリー嬢」

「は、はい」

「ま、まさかこれと関わって、あれだけ気に入られて尚、未だ友人とならずに済む領域に逃げられるとでも……?」

「どーいうイミかなデッキー?」

「もう空気とか間合いとかしきたりとか、そんなの踏み越えて友人になりに来るから」

「だってトモダチに親はカンケーないでしょ?」

「これだから。今のうちに身分の上下関係が縛る面倒な慣習風習を教え込むのが大変だよ」

「弱いんだからベンキョーがんばれよ」

「お前が頑張るんだよ!」

「あっはっは、お腹痛い!」


 穏やかなひととき。

 紳士淑女の卵とも思えぬ気の抜けたやり取りに心からの安らぎを覚えた。

 この時ばかりは、あくせくした転生事情や未来の脅威について忘れることが出来ていたのである。


 こうしてわたしには友人が出来た。


******


 帰りの馬車も変わらぬ揺れ具合。

 ガタンゴトンと脳や胃袋をシェイクしてくるが、チュートル家の辞書に乗り物酔いの文字は無かった。


「お嬢様、他家のご令嬢やご子息との会合は如何でしたか?」

「うん~、楽しかった~」

「ハッハッハ、それは良かったなマイドーター!」

「クルハさんもデクナ君もいい人達だったし~」


 あれが貴族社会の子息子女で標準かは判別できないが、いや、多分違うのだろうけど、格式ばらない関係を築ける相手とは貴重だと思う。

 だからこそ、全てを焼き払うバッドエンドなどは許されるべきではない。あんな面白い彼らを他人の痴話喧嘩の果て生じる戦争編に巻き込ませ、明るい未来と表情を曇らせていいのだろうか?

 いいわけがない(反語)。


「……守らねばならぬ~」

「お嬢様?」

「あ、そうだセバスティング~。2人と文通する事になったから郵送の用事がある時は教えてね~」

「承知いたしました」

「あ、あとあと、剣の振り方も教えて欲しい~! クルハさんとは真剣に向き合わないと~」


 わたしは新たなモチベーションを得た。

 漠然とした「戦争編を阻止」との思いが「こういうバカをやれる相手との日々が大切だから」との前提を得たのだ。

 この世界で暮らす以上もっと楽しそうな事、生きる活力、生き甲斐を発見するかもしれないが、どんとこい。それら全てをやる気に変えて。


(待ってなさいマリエット・ラノワール、あなたも平凡な暮らしが楽しいんだエンドに引きずり込んでやるわ……!)


 馬車は揺れる。

 しかしわたしの目標は揺るがず、むしろ補強されていくのだ。

 この世界で生きている実感と共に。

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