幼少編

1-01

 転生を果たしてから数日が経過した。

 今のわたしはアルリー・チュートル、9歳。

 ゲーム世界に転生して決めた最初にして最難関の大目標は『戦争編』の阻止。手段はヒロイン『マリエット・ラノワール』のフラグブレイクによるノーマルエンド達成だ。


 これを為すための真なる戦場は第1部『学園編』。入学が認められるのは基本的に15歳以上、さらにヒロインはわたしより1学年下のタイミングになるのでまだまだ先の話。

 さらに言えばヒロインは攻略対象やライバルヒロインに比べても一か月遅く入学してくるのだ。これは主要キャラが学園内での前評判を確立させ、案内チュートリアルでヒロインに彼ら彼女らのキャラ紹介をスムーズにするための措置だろう。


 しかし、それまでに何もせず待っていられる程の余裕はなく。

 わたしはわたしで将来の備え、出来る事をやっておく必要があるのは言うまでもない。


「おはようございます、お嬢様」

「うん、おはようセバスティング」


 初老の男性がノックの後に音もたてず室内に足を入れる。

 わたしが転生した先、チュートル男爵家に仕える執事の名前はちょっとかっこいい響きだ。定番の名前を少しひねっているのは他家の執事と違いが分かり易くて実にいい。


「既にお食事の用意は出来ております故」

「お父様は?」

「月末には戻られるかと」

「そっか、分かった。支度したら降りるね」


 執事が静音の足捌きで退出する。ここで大貴族のお家なら複数人数のメイドが集まってわたしを着せ替え人形にするのだろうけど、チュートル家は下級貴族の男爵家なので執事ひとり、メイドひとりの労働力ゆえに身支度は自分で行う。

 ああいうのは着付けにひとつのミスも許されない意匠を凝らしたドレスでなければ不必要なのだ。下級貴族にそこまでのドレスを着る機会はほぼ無い。


「うちは特に騎士長からの『上がり盾』だから尚更なのよねえ」


 着替えながらしみじみと王国内におけるチュートル家の立ち位置を再確認する。

 ゴルディロア王国の爵位制度、貴族のランク付けは『大公』『公爵』『侯爵』『伯爵』『子爵』『男爵』に分けられる。上位3つを上級貴族、下位3つを下級貴族と呼び、身分制度上で明確なラインを敷かれている。

 同じ『貴族』の扱いでも大きな差があるのだ。

 そして同じランクにも差が存在し、それぞれの爵位には1等級から5等級のピラミッド構造がある。我が家は5等級、下の下との表現がしっくる来る立場。


「その上で、チュートル男爵家は騎士長で武勲を認められて昇格された『上がり盾』の新興男爵家」


 『上がり盾』との俗称は『騎士階級を男爵に引き上げてやったんだから国境警備をしっかりな』との意味を含むとロミロマ2用語集に説明があった。

 与えられた領地は狭くとも辺境で隣国に接する場所。平時は中央よりも比率的に多くを占める農地の存在と国内外を往復する商人の往来で経済的にも小さくない役割を果たす反面、戦争状態になれば進んで戦う事を求められる地位というわけ。ゲームでも戦争編で激戦区の被害は相当なものだった。


「名ばかりの男爵で、お父様も大忙し。連れ合いがいれば多少は負担が減ったかもだけど、死別してる設定だし」


 多忙な理由は隣り合う領土を収めるお仲間や商会への挨拶回り。

 貴族社会は縦横共に強固な世界。目上目下の関係性を守らないとどんな仕打ちを受けるのかが恐怖であり、同じランクの貴族同士や商売人は頻繁に交流して互いの有益無益を推し量る目を求められる。

 こわい。


「再婚できればいいけど子供があれこれ言うことでなし。わたしはわたしの心配事をどうにかしないと」


 食堂に出向き、温かな朝ごはんを食する。将来的にお客様を迎える予定の食堂はかなりの広さ、学校の教室よりも縦長に広いだろう。

 卓球台よりもずっと大きなテーブルにひとりで食事。いじめかな?


「セバスティングやエミリーも一緒に食事してくれればいいのに」

「駄目でございます」

「ですよねえ」


 子供らしく口を尖らせて抗議しておく。宮廷作法、貴族作法という奴のしきたりはあれこれと人の言動を縛って来るのだ。

 最下級でも貴族は貴族、戦時はともかく平時に庶民と食を共にするなど以ての外との教えが当たり前に蔓延している。貴族社会は実に厳しい。


「厳しいといえば……やれることが少ないのも厳しい」


 異世界転生の立場向上で手を付け易い事柄といえば現代技術チート。

 転生先に無い技術を持ち込んでの優位性確保、経済的に大発展は鉄板だが、あいにくロミロマ2世界では不可能に近い。

 理由は単純、


「お嬢様、デザートのプリン・アラモードでございます。冷蔵庫で冷え冷えでございますよ」

「……ありがと」


 ロミロマ2は人間関係の諍いを見せ場の中心に作られたゲーム。

 なので服装や建物以外のその他項目、風俗文化技術などはファンタジーな作りにこだわりを見せず、かなり現代技術そのままが取り入れられている。

 例えばセバスティングが口にしたように魔導冷蔵庫、魔導洗濯機、魔導掃除機、魔導空調機なんてものがある家電改め魔導製品完備の世界。

 料理にしても和洋折衷現代風デザートもござれ、味のギャップに苦しむ事も無い。

 科学でなく魔導技術の産物ゆえに値段は張るが、凡そ現代技術の恩恵をそのまま受けられる世界観なのだ。一介の高校生が口出し出来るレベルの技術は差し込む隙間がなかった。

 足りないのは飛行機や車両といった乗り物と通信技術、メディア関係。兄が言うには「戦争編で便利すぎるものはカットしたんだろう」との事。


(分かり易いといえば分かり易いけど、転生した立場だと損した気分だわ……)


 甘味を舌で楽しみながら思案を続ける。

 中身が現代社会の茶碗と箸使いだったわたしでも体はこの世界生まれ。ナイフとフォークは標準に扱えるが華麗なる手捌きかと言われればノー。

 ひとえに貴族的マナーと社交レベルが低い故の事態。

 ──まず鍛えるべきはここだろう。


「セバスティング」

「は、何か御用ですかお嬢様」

「わたしも9歳、来年には社交場に顔を出す資格が得られる年になります」

「その通りにございます。亡きアリス様もご健勝なお嬢様の姿を草葉の陰で喜んでおられる事でしょう」

「そう、その亡きお母様にもっと喜んでもらうために協力して欲しいの」

「は、何でございましょう」

「わたしの社交スキル上げ」


 ロミロマ2にはロールプレイングゲームのようなステータス制がある。

 並べて『武力』『知力』『魔力』『巧力』『速力』『体力』『魅力』の7種類。全てのステータスは最低値が2で最高値が18。さらに加護やアイテムで増減するのだが、今は考慮せずともいいだろう。

 『学園編』ではこの特定ステータスが一定値以上でないと未発生に終わるイベントが数多く存在し、また『戦争編』でも戦局や政情を左右する重要要素だった。

 これらステータスを複合的に掛け合わせたものを『スキル』と呼称する。例えば騎士スキルなら『武力』『体力』、魔導師スキルなら『知力』『魔力』が重要視されるといった具合に。

 ちなみにわたしのステータスはオール5。大人の一般平均値は7とされるので見事に子供子供した値だ。


「社交界デビューした時、誰にも恥ずかしくない立派なレディに見られたいの! きっとお父様も、お母様もお喜びになるわ!」


 と表向きの主張を力説してみた。

 ──本当のところ、社交スキルはゲームの会話全般で役立つスキル。

 ゲームの途中で解説されるのだが、貴族社会では目下の者が目上の存在に話しかけることは非常に無礼な行為だとされている。

 そのため、最下級の男爵令嬢でしかないわたしが公爵以上ばかりが揃う攻略対象の動静に関わるには『向こうから話しかけられるのを待つ』しかない。現にわたしと同じ男爵令嬢なゲームヒロインも授業やクラブ活動でステータスを上げることでファーストイベント『あの子は誰だ?』が解放されるのだ。

 そしてイベント解放が成っても、以降のイベントに要求される社交レベルはもっと高くなる。


「第2王子ルートなんか知力と魅力が最大値じゃないと無理だもんねえ……」

「は?」

「いえ、なんでもないわ。とにかく執事一筋50年、社交の酸いも甘いも噛み分けたセバスティングの力を見込んだお願いよ。わたしを一人前以上のレディに仕立て上げて!」


 ノーマルエンドのために、その1。社交スキルを上げるべし。

 現代チートを封じられたゲーム世界では、信じられるのも伸ばせるのも自分の力しかないのだ。

 協力を求めたわたしに対し、セバスティングはじっと見つめ返して。

 頷いてくれた。


「──その決意、本物のご様子。分かりました。このセバスティングでよろしければ」

「ありがとうセバスティング!」


 理由はともかく必死さを込めた決意なのは事実だ。


「しかしお嬢様、随分と難しい言葉をご存知ですな」

「あ、うん、いや、ほら、自分なりに独学をね?」

「ご立派です。その志に報いるべく、このセバスティングは斬力、もとい全力を以ってお嬢様をお育て致しますぞ」

「待って、今聞き捨てならないパワーを小耳にはさんだんだけど!?」

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