第4話 祭り


 まだ日も完全に昇り切っていない、早朝。

 

 遥は冷んやりとした空気の中、風呂敷を背負いながら、村の集落から離れた場所を歩いていた。

 ザクザクと土を踏む音が辺りに響いている。


 遥は昨晩、老夫婦の提案をやんわりと断っていた。

 どことなく不穏な空気を感じたからというのも理由の一つだ。

 しかし、一番の理由は、明日が祭りだというのに何一つそれらしき物が準備されていない不気味さと、村にたどり着いた時にうっすらと見えた、それぞれの民家のドアに掛かっていた形容し難いお面のせいであった。


 三十代の婦人の忠告が頭に残っていたからかもしれない。


「良い人そうだったけど、あの忠告を聞いた後じゃ警戒してしまうなぁ。......でも、やっぱり、別れの挨拶くらいはしておくべきだったかもしれない」


 遥は、おばば様の言葉を思い出していた。


“礼儀は大事だよ、遥。相手の立場になって物事を考えてみてごらん。......ほら、見えてくる物があるだろう?”


「そうだよね、おばば様。......うん、戻ろう」


 遥は、森の中から食べられそうな木の実をいくつかもぎ取り、風呂敷の中に詰めた。

 コレを取りに家を出たという口実を作るためだった。

 遥は案外策士なのかもしれない。



****



 遥が戻ることを決意したころには、日はすっかり昇っており、静かだった生き物の気配も感じられるようになってきていた。


 しかし、集落への道を進んでいる内に、生き物の気配はどんどん薄くなっていった。

 遥はおかしいと思い始める。

 遥が集落にやって来たのは夕方で、集落を出たのは朝方。

 生き物も睡眠をとるため、集落で生き物の気配を感じないのも別段不思議なことでは無かった。


 だが、今は違う。

 婦人の忠告通り、変なことに巻き込まれる前に、遥はさっさと集落から離れるべきだったのだ。


 しかし、おばば様の言葉がそれをすることを邪魔をする。


“遥。下界は危険が多いから、軽い気持ちで行ってはいけないよ。ただ、何らかの事情で山を離れることになった時。その時に困っている人間に会ったら、迷わず助けなさい。優しさは決して無くしてはならない心だよ”


 遥は当然、軽い気持ちで下山した訳ではないので、おばば様の言付けに背いてはいない。

 遥が山に留まっていたのは、おばば様が居たからに過ぎなかった。

 だからこそ、おばば様が亡くなって自由になったと感じてしまったのだが。


 それはさておき。おばば様の言葉に従うとしたら、村の人間は困っているから、遥が助けなければならないのだ。



「......!」

 

 風にのって、かすかに血の匂いがしたのを遥は見逃さなかった。

 遥の前方に見える、集落。

 遥は、腰に付けていた短刀を握りしめ、風呂敷を足元に投げ捨てて走り出した。


 遥は山で、友だちを守るために狼や野犬を殺したことがある。人間相手に殺し合いをするのは初めてだが、遥は不安を感じてはいなかった。

 大切なのは、優先順位である。



 集落に近付くにつき、遥は困惑する。

 何故なら、集落の中心には張り付けにされた血塗れの人間がいて、村人はその周りで変テコな踊りを踊っていたからだ。

 張り付けにされた人は子どもで、「嫌だ、痛い、死にたくない」と泣き喚いている。


 遥はあまりの出来事に、その場に足が縫い付けられたかのようにピタリと止まってしまった。

 子どもを助けるには、周りに踊っている人間を殺す必要がある。


 おばば様の言葉が遥の頭に蘇る。

 あれは、遥が子どもの頃、山で出来たシカの友だちがオオカミに食い殺された時だった。


“遥。生き物の命は平等なのだよ。一つひとつの命に、それぞれの未来がある。遥が今殺したオオカミは、生きるためにシカを殺したんだ。ただ、今、遥は何のためにオオカミを殺したんだい?”


 生きるために遥の友だちを殺したオオカミを、遥は怒りの衝動で殺した。

 おばば様は遥を怒らなかったが、遥はそれから生き物を無闇に殺すことをやめた。

 ただ、野犬など、遥に襲いかかってきた生き物や、友だちを多く殺した生き物は容赦なく殺した。


 集落の人間は、生きるために子どもを殺そうとしているのではないか、と遥は考える。


 もしそうなら、遥は子どもを助けられない。

 そして、嫌なことに、それは当たっていたようだった。

 踊っていた人間が左右に分かれると、張り付けにされた子どもの前に、一人の老いた人間が歩いてきた。


 いや、人間というのは無理があった。

 彼は、化け物だ。


 白髪混じりのチリチリな髪をボサボサに伸ばし、しわくちゃな皮膚に枯れ枝のような手足を持っている。しかし、爪は鋭く、腰も真っ直ぐで老いを全く感じさせない雰囲気を纏っていた。

 枝や葉が引っかかったボサボサの髪は、生き物のようにウネウネと動き、それは、血塗れで泣き叫んでいる子どもにゆっくりと伸びていった。

 そして、化け物は、シワシワにすぼんだ口を開ける。その口はメキメキと耳まで裂け、黄ばんだ鋭利な歯を外気に晒した。


 集落の人間は、あの化け物から身を守るために子どもを生け贄として差し出しているのだろう。

 しかし、集落の人間は生け贄に完全に納得している訳ではないようだ。拳を握りしめ、今にも子どもを助けようとする人が何人かいた。

 が、化け物には敵わないと絶望に堕ちている。


 確かに、普通の人間は化け物に敵わない。

 でも。


「おばば様。お力をお貸しください」


 遥は短刀の鞘を投げ捨て、地面を力強く蹴った。

 こんな時に、何故かおばば様の言葉が頭を流れる。



 初めてオオカミを殺した時におばば様が遥に言った言葉だ。


“自分の気持ちに従って動くことは良いものだよ。友だちのために刀を振ることができる遥は、きっと良い子になれる”


“無理だと思っても、後悔しない道を選びなさい。遥が後悔しない道が、遥にとっての正義だよ”





 ザシュッ。


 遥は、子どもに巻き付きそうな化け物の髪を、短刀でぶった切った。

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