第3話 村の集落


「ああ、遥ちゃん。素敵な神楽を舞ってくれたお礼に、一つ、忠告をするさね」


 遥が一家の元を去ろうとした時、三十代の婦人が憂いを帯びた眼差しで遥を見ながら、声を潜めてそう囁いた。

 少年二人は田んぼに遊びに行き、夫はおそらく畑仕事に向かっている。

 ここにいるのは、家を守る女性と遥だけだった。


「この田舎は、昔から鬼が出るさ。命が惜しいなら、悪いことは言わない。山に戻るべきさね」


 遥は戸惑った。

 鬼が実在するという話は、初めて聞いたからだ。おばば様の本にも載っていなかった。童話で悪者として少し出てくるくらいである。


 しかし、遥には目の前の女性が嘘を吐いているようには思えなかった。

 遥は少しだけ逡巡した様子を見せた後、ゆっくりと口を開いた。


「いえ、山には戻りません。あそこは、おばば様の山ですから」


 遥は山に戻るつもりがなかった。

 おばば様は遥が下山することを嫌がったが、だからこそ余計に下界が気になるのは人間の性なのか。


 遥は、不安そうな婦人を安心させるように微笑んで言った。


「私は今まで一度も鬼に会ったことはありません。この家も、私が神を降ろしたのでしばらくの間は危険なことは無いと思います。こう見えて私、巫女ですから」


 婦人は遥が舞ってから、清らかに澄んだ空気を肌で感じていた。そしてそれは、夫も、少年二人も感じていたことだった。

 いつも感じる嫌な空気が払拭されたこの空間は、婦人の不安をいとも簡単に吹き飛ばしてくれる。

 婦人を納得させるには十分なものだった。


「そうかい。遥ちゃんなら、大丈夫そうさねえ。......無事でいるんだよ」


 婦人は、遥の頭を優しく撫でる。

 遥は、その優しさにおばば様を少しだけ思い出した。

 婦人は遥の悲しそうな目に驚いたものの、そのまま撫でながら話を続ける。


「この道を行けば、日が落ちる前に村の集落につくさ。ただし、一晩泊まったらすぐに村を出るさね。引き留められても出るさね」


 頭上から降りかかってくる婦人の忠告を聞きながら、遥は神妙な顔で頷いた。


「はい。ありがとうございました」


 遥は、お世話になった民家を後にする。

 遥が集落を目指して歩く途中で、遥に気付いた少年二人が、元気良く手を振って見送ってくれた。




****




 しばらく歩くと、婦人の言う通り、日が暮れる前に村の集落に着くことができた。

 ちょうど畑仕事から帰る途中だったのか、人を探すのは簡単で、優しそうな老夫婦のいる民家に泊めてもらうことになった。


「へえ、山から来たさね」

「神さまもオラたちを見捨てて無かったさね」


 村の集落と言っても、昨日お世話になった三十代の夫婦の家と違って、電気がちゃんと通っている。

 文明を感じる暮らしだった。


 すっかり暗くなった部屋を、薄暗い豆電球が頼りなく照らす。

 遥は、老夫婦と食卓を囲んで世間話をしていた。

 遥はおばば様を思い出して和やかな気持ちに浸っていたが、それも、老婦人がある話を切り出すまでだった。


「ちょうど良い時期に来たさね、遥ちゃん。この村は明日、祭りがあるんさ。昔からずーっと続く、祭りさ。ちょっと見ていかないさね?」


 薄暗い明かりに照らされた老夫婦の柔和な笑顔が、この時ばかりは、遥には恐ろしく感じた。

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