第8話 MADサイエンス研究所・再び

 黒田と赤城の二人は、高速道路の出口に近づいていた。

「快適なドライブでしたね」黒田が赤城に同意を求めた。

「とんでもない! 赤色点滅灯のサイレン音は五月蠅うるさいし、それから黒田さんは速度の出し過ぎです!」赤城が不満げに抗議した。

 黒田は高速道路の出口付近でようやく車の速度を緩めると、赤色点滅灯を消して、高速の出口からMADサイエンス研究所へ向かう一般道に入った。ここからは速度の出せない曲がりくねった山道が続くので、黒田も慎重に車を運転した。カーブの多い山道のため多少時間がかかったが、二度目の訪問なので、二人は迷うことなくMADサイエンス研究所に到着した。

 前回と同じように駐車場に車を止めてエントランスに近づくと、今回は七十代くらいの白髪の老人が大型モニタに映し出された。

「マッドサイエンス研究所に、ようこそ。儂は所長の仙石じゃ。今後のことは青山君にすべて任せておる。安心して食堂に進みなされ。ふぁっふぁっふぁっ」モニタ内の長髪で白髪の老人がしゃべった。

「今回は本当に“仙人”みたいでしたね」と黒田が言った。

     ★

 まだ正午を少し過ぎた時間帯なので、一階の食堂にはサイエンス研究所のルールであるコアタイムで集まっていた多くの研究員がまだ残っていた。そのなかには、赤城と黒田が前回の訪問で世話になった青山や人見の姿を見ることができた。副所長の白鳥は、まだ日課の農作業から戻っていないのか、顔が見えなかった。赤城たちに気付いた青山は、「こっちですよ」と手招きして二人を呼び寄せた。

「人見さんが犯人の行動を分析して、今回の犯人像の統計的な傾向を心理プロファイリングしてくれました」青山が言った。

「この前は途中で眠ってしまってごめんなさい。今日は大丈夫だと思うけど・・・・・・。今回も心理サウンディングを実施したかったんだけど、そのためには少し情報が不足しているの」と人見が言った。

「早速、本題に入るわ。犯人はかなり頭が切れる人物ね。理路整然とした思考の持ち主で、しかも行動が大胆だわ。ただし、これまでの犯行すべてを一人で計画・準備・実行することは不可能に近い。単独犯には難しい犯行ね。複数犯による犯行の可能性が高いと思うわ」

「まずは犯人の人物像についてだけど、犯人の一人は生命科学に造詣(ぞうけい)が深い研究者、または技術者じゃないかしら。国立ワクチン研究所への大胆な侵入と、研究所内での違和感の無さを考えると、男性の可能性が高いと思うわ。ワクチン研究所の関係者が一番怪しいわね。もう一人の犯人は、コンピュータにかなり詳しいコモリン級のハッカーね。こちらの性別はわからないわ。それから、三人以上の犯行も考えられるけど、犯行計画の漏洩の危険性を考えれば、二人による犯行にまず間違いないわ」人見が流暢りゅうちょうな日本語で続けた。

「次に犯行動機だけど、ウイルス拡散による無差別なバイオテロを考えていることから、拡大自殺の心理状態に近いんじゃないかしら」

「拡大自殺とは何ですか?」黒田が聞いた。

「拡大自殺は、誰かを道ずれにして自分も自殺する、または自殺しようと考える殺人のことを指すわ。正確な定義はないけど、親子心中や介護心中もこの拡大自殺に含まれるわ。日本では、秋葉原の無差別殺人や、障害者を狙った相模原の殺傷事件もこのカテゴリ―に含まれるわ。ただし、この二つの事件については犯人が自殺する前に逮捕されているけど・・・・・・。これらの事件には様々な背景があると思うけど、閉塞感の強い現代社会では、絶望した人間を凶悪な犯罪に導く環境が次々と生み出されているのかもしれないわね」と人見が冷静に解説した。

「それから、ウイルスの身代金の金額が大きいけど、ちょっと現実的な金額ではないわ。何か別の目的があるはずよ。単純な金銭目的ではなさそうね。例えば日本政府への不満とか、福山所長への個人的な恨みとか」と人見が言った。

「ワクチン研究所の過去十年間の退職者リストなら、ここにあります」と赤城が言った。

「コモリン。これまでの説明を、もちろん聞いてたでしょ。ここからはあなたの出番よ。しっかり・・・・・・」と自分の役割が終わったことを示すかのように、サイエンス研究所の眠り姫がゆっくりと眠りについた。

 次の瞬間、近くのモニタの電源が入り、モニタ画面に小森の映像が現れた。

「ワクチン研究所の退職者リストなら、サーバをハッキングしてダウンロード済みだよ。すべての退職者について次の職場を調べて現住所を確認したけど、住所が不明な人はいなかった。それから、僕なりにその人たちの経歴を調べたけど、人見さんの犯人像に該当するような人物はいなかった」と小森が言った。

「福山所長への個人的な恨みでなければ、日本政府への不満でしょうか?」黒田が赤城に聞いた。

「私には心理分析はできないけど、これまでの犯人たちの行動や脅迫文から判断すると、犯行を実行しようとする明確な意思は感じられるけど、偏った思想や信条は感じられないわ」と赤城が答えた。

「ちょっと待って。まだ続きがあるんだ。福山の経歴を詳しく調べると、所長になる前は北関東医科大学の教授を兼任していたことがわかったんだ。そこで、北関東医科大学のサーバから人事情報をのぞくと、ひとりだけ未だに定職についていない住所不定の元・助教を見つけたんだ」

「その該当者の名前は山根公典やまねきみのりで、年齢は現在三十歳。退職後は予備校の非常勤講師で食いつないでいたようだけど、その予備校も三週間前に辞めてるみたい。北関東医科大学ではゲノム配列、要するに遺伝子の研究をしていて医学の博士号も取ってるよ。でも、論文に使おうとした研究データの捏造ねつぞうが発覚して、大学をクビになったみたいだね」と小森が訥々とつとつと説明した。

「その山根が所属していたのが、福山の研究グループだったの?」と赤城が聞いた。

「その通りだよ。山根は共同研究の関係で、ワクチン研究所を何度も訪れているから、犯行現場の土地勘も十分あると思うよ」と小森が言った。

「自分の解雇を根に持って、福山所長を逆恨みしているんでしょうか?」と黒田が赤城に聞いた。

「犯行動機については、まだ何とも言えないわね」赤城が答えた。

     ★

「話は変わりますが、赤城さん。昨日の夜、複数の暴漢たちに襲われたでしょ? そして、犯人からの警告があったでしょ?」と小森が突然聞いてきた。

「そのことについては、まだ一言も話していないのに、どうしてわかったの?」と赤城が聞き返した。

「悪いけど、仙石さんに頼まれて赤城さんと黒田さんの情報端末の位置情報を追跡していたんだ。そうしたら、マンションの手前でしばらく留まったり、マンションからホテルへ移動したり、おかしな動きをしてたから、少しだけ警察のサーバにお邪魔して調べたんだ」と小森が悪気なさそうに言った。

「まったく、ハイテクなストーカーじゃないの。仕方がないわねぇ。ところで、ウイルス誘拐犯からの警告の情報はどこで知ったの。それもハッキング?」と赤城が聞いた。

「仙石さんの話では、毛利首相から直接メールが届いたそうだよ」と小森が答えた。

「これには続きがあるんだ」と小森が続けた。

「そのせいで徹夜したんだけど、暴行未遂事件が起きた現場周辺の防犯カメラの映像データを調べたんだ。僕の顔認証ソフトで解析した結果、二十八人の男女が映っていた」

「この二十八人の中には、赤城さん、黒田さん、暴行犯の四人が含まれている。この六人を除いた人物について詳しく調べたら、カップルらしき二人組の一人が、九十%の確率で山根公典に一致することがわかったんだ」と小森が説明した。

「それじゃ、犯人の一人は山根で決まりですね。でも、もう一人は誰なんですか?」と黒田が聞いた。

「あの時のカップル・・・・・・。それじゃ、もう一人の犯人は女性なのかしら?」赤城がさらに聞いた。

「――隠してても、いずれ仙石さんが突き止めるだろうから、僕から言うね。もう一人は、林田秋菜はやしだあきな、僕の実の姉さんだ」小森が声を絞り出すように説明した。

「えぇ」赤城と黒田はのけ反って驚いた。

「コンピュータスキルのレベルの高さから、薄々、姉さんじゃないかと思っていたんだけど、防犯カメラの映像を見て確信したよ。念のために、犯人が改竄したコンピュータのログを調べたら、そのログの中に僕たち二人にしかわからない、固有の暗号が埋め込まれてあったよ」と小森が言った。

「小森君は、本当は林田君なんだね」と頓珍漢とんちんかんな感想を黒田が言った。

「お姉さんと山根の接点は?」赤城が矢継ぎ早に質問した。

「僕が高校を中退してマッドに来てからは、姉さんとは連絡をほとんどとってないから良くわからない。お互いに連絡しなくなって三年くらいになるかなぁ」と小森が言った。

「僕が高校一年生で引きこもりになった時、家でコンピュータの楽しさを教えてくれたのが姉さんなんだ。姉さんは、家庭の事情で自宅近くの女子大の文学部に通っていたけど、僕よりすごいコンピュータの天才なんだ。僕は姉さんにあこがれて、コンピュータのスキルを磨いたんだ。いまだにハッキングが趣味なのは、その名残なごりさ」と小森が自身の過去を語った。

「姉さんは女子大を卒業した後、コンピュータスキルを封印して銀行の窓口係に勤めていたはずなんだけど・・・・・・」と小森が言った。

     ★

 青山が連絡したのか、日課の農作業を切り上げて副所長の白鳥が研究所に戻ってきた。重苦しい沈黙を破るように、これまで黙って聞いていた青山が話し始めた。

「仙石所長から、メールが来ました。たぶん、毛利首相からの情報でしょう」

 青山の言葉が終わると同時に、赤城と黒田の情報端末にも、鬼塚からのメールが届いた。鬼塚からのメールは、犯人から送られてきたメールを転送したものだった。三度目のメールは今までのような単語の羅列ではなく、次のような文章だった。

《悪代官を誘拐した。我々の警告を無視したので身代金を値上げする。ウイルスと悪代官の身代金は合わせて百憶円。ネットコインの相当額を今日の十五時までに送金しろ。時間までに送金が確認できない場合は、こちらで培養した鳥インフルエンザウイルスを注射した鳩を空に放つ》

 メールの後半には、二つの動画の場所を示すURLアドレスが書かれていた。URLアドレスが示すウェブサイトは、海外のサーバを拠点にした如何いかがわしいアダルトサイトで、犯人がこのサイトを改変して二つの動画が置かれていた。一つは鳥インフルエンザウイルスの培養の様子を克明に記録した映像で、もう一つは福山所長を監禁している映像だった。ウイルス培養の映像には音声はなく、鶏の有精卵(発育鶏卵)を使ってウイルスを培養している様子や、培養液精製の様子、最後には鳩に精製した培養液を注射する様子が、テロップによる解説付きで映されていた。また、福山所長の映像には、目隠しと口にマスクをされて手足を縛られ、椅子に拘束された所長が、広い部屋の中央に置かれている様子が映っていた。福山所長の映像は音声付きで、「ここはどこだ」と言っているようなマスク越しの福山のこもった音声が入っていた。

 最先端のサイエンス研究所には不釣り合いな、食堂の大きなアナログ時計の針は、十四時ちょうどを指していた。

「白鳥先生、ウイルス培養の映像で何か気が付いたことはありませんか?」と赤城が聞いた。

「――ウイルス培養の手順は正確だし、テロップの解説も間違っていない。やはり、かなり高度な専門知識があると思って間違いない。この点からも犯人の一人は先程の山根君だろう。それから、鶏卵の発育のために最新型の孵卵器を使っているな。映像からははっきりとはわからないが、孵卵器の後ろにはウイルス保管用の冷凍庫のようなものも見える。たぶん中には液体窒素が使われているだろう。この映像を見る限り、正しい手順でウイルスを培養・精製していることがわかる。また、ウイルスの盗難から二週間ちょっとだが、ウイルスが培養できる期間ともほぼ合致する。最初は、ウイルスの拡散が犯人のハッタリかとも思ったが、満更まんざらそうでもなさそうだ」と白鳥が言った。

「映像には出ていないが、盗んだ鳥インフルエンザウイルスをワクチン研究所から運ぶための保冷ボックスもあったはずだ」と白鳥が付け加えた。

「ちょっといいですか。私、小学生の時に生き物係をしていたことがあるんですよ」と黒田が話し始めた。

「今はウイルスの話をしているんですよ!」と赤城がたしなめた。

「わかっています。ただ、鳩の映像の時に少しだけ映った鳩のおりが、小学校にあった鶏舎と似ていたような気がします。それから、福山所長が監禁されている広い部屋は、薄暗くてよく見えませんでしたが、床が板張りで学校の教室のような気がしました。縛られている椅子も、学校でよく使われている椅子のように見えました。ひょっとしたら、監禁場所は廃校になった小学校ではないでしょうか?」と黒田が言った。

「よく気付いたわね」と赤城が感心して言った。

「脳味噌は主任には及びませんが、動体視力だけはいいですから」と黒田が黒縁眼鏡を持ち上げながら自慢げに言った。

「小森君。至急、ワクチン研究所から半径三十キロ以内にある廃校になった小学校を全て調べてくれないか」と青山が言った。

「昨日からの徹夜明けだけど、もう少しだけ頑張ってみるよ」と小森が応えた。

「仙石所長には、孵卵器、冷凍庫、保冷ボックス、液体窒素などの購入履歴を調べてもらおう。所長には私から連絡します」と青山が言って、忙しそうにタブレット端末を操作し始めた。

 赤城たちの周辺では、食堂に残っている研究所のメンバーたちが、固唾(かたず)をのんで緊迫した状況を見守っていた。

     ★

「あんたたち、まだお昼を食べてないっちゃない?」と“食堂のおばちゃん”こと、肝付珠子きもつきたまこが、緊張で張り詰めた赤城たちに博多弁でしゃべりかけてきた。

「お腹がすいたら、いい考えも浮かばんトヨ。腹が減ってはいくさはできんバイ! 少しでいいケン、食べんシャイ」と言いながら、珠子は大皿にのせた大量のおにぎりと、山盛りにした胡瓜と人参のぬか漬けを運んできた。珠子は割烹着かっぽうぎを着ていて、ややポッチャリした体形をしていたが、『おばちゃん』というより『お姉さん』の呼び方がふさわしい若々しい印象の顔をしていた。珠子の突然の登場に、緊張していた場が一瞬和んだ感じがした。

「今日はまだコーヒーしか飲んでないので、大助かりです」と黒田が言って、塩むすびを一口かじった。

「うまい! お米の旨さがストレートに伝わってきます。こんなおいしい、おむすびは初めてです!」と黒田が言った。

「当たり前っタイ。星久保村のきれいな水と空気で育った『ホシユタカ』を、愛情込めて炊き上げたご飯が、まずいわけがナカ!」と、おばちゃんが言った。

「おいしそうな漬物。私、東北出身なので漬物には目がないんですよ。急にお腹がすいてきたわ」と赤城が言って、胡瓜の漬物をつまんだ。

「小森君。徹夜明けで大変と思うバッテン、みんなのために気合を入れて調べんシャイ。後(あと)でおにぎりバ、持って行ってあげるケン」珠子が小森にげきを飛ばしながら、皆に暖かいほうじ茶を運んできた。

「わかってるよ。いつもお世話になってるおばちゃんに言われたら、頑張るしかないじゃないか。でも色々と面倒なんだ。もう少しだけ待って!」と小森が物凄い速さでキーボードを叩きながら言った。

「早速、仙石所長から連絡が来ました」青山がタブレットを操作しながら言った。

「液体窒素の購入履歴から、不審な購入が一件見つかったそうです。北関東医科大学の実在の研究室名で購入されていますが、購入者の氏名は偽名です。その研究室には購入者のような名前の研究者はいません」

「それから、新型の孵卵器と特殊な冷凍庫は正規のルートでは購入していないようです。裏ルートの情報のようですが、孵卵器と冷凍庫は同時に購入され、ある場所へ運ばれています」と青山が解説した。

「裏ルート?」と黒田が非難するように言った。

「仙石所長は、インターネットの情報以外にも、多彩な人脈による独自の情報網をお持ちのようです」と青山が言った。

「やっとわかったよ」小森が会話に割り込んできた。

「半径三十キロ圏内にある廃校になった小学校は七校。そのうち四校は、校舎が取り壊されて更地になっているので犯人のアジトに該当しない。残りの三校のうち一校は廃校になったのが最近で、一年前から校舎の教室を陶芸家や芸術家に格安でレンタルしているみたい。どんな人が借りているのか調べたら、鳩を題材にした絵を描く女性画家が借りていたよ。おそらく、姉さんが借りたんだろう。もちろん、偽名だけれど・・・・・・」と小森が一気に言った。

「説明は良くわかったけど、肝心の場所はどこなんですか?」と赤城が聞いた。

「そんなに焦らないで。場所は山田山小学校だよ。国立ワクチン研究所から北東に約二十キロ行ったところにあるよ」と小森が言った。

「今わかりましたが、裏ルート情報によれば、購入した孵卵器と冷凍庫が山田山小学校跡地に運ばれています」と青山が情報を付け加えた。

「それから、絵に描くための鳩を飼いたいからと言って、元々小学校にあった鶏舎の使用許可も取っているみたいだね」と小森がさらに付け加えた。

「犯人たちのアジトは、山田山小学校跡に間違いなさそうですね。鬼塚局長に連絡します」と赤城が言った。食堂の時計の針は十四時半の少し手前を指していた。

「鬼塚局長から連絡が入りました。ウイルス回収のため、現地に厚生労働省出身の危機管理官二名を派遣するそうです」

「それから、我々二人にも現地に急いで行くように指示が出ました」と赤城が言った。

 山の天気は変わりやすく、先ほどまでの天気が嘘のように空は雲に覆われ、MADサイエンス研究所の外では、少し前から雪が降りだしていた。

「ここからだと、いくら急いでも二時間以上はかかります。それに雪も降りだしたようですし・・・・・・。身代金の期限の午後三時にはとても間に合いません」と運転担当の黒田が赤城に言った。

「わかったわ。とにかく急ぎましょう。時間が勿体ない・・・・・・」赤城が言いかけたが、その返事を待たずに青木が言った。

「直線で進めば、それほど時間はかかりませんよ」

     ★

 青山は、手元のタブレット端末を見ながら続けた。

「仙石所長からの許可が、いま出ました。それではヘリコプターを使って空から現地へ向かいましょう。おやっさん、久しぶりの出動です。ヘリポートのドームを開けてください」と青山が『おやっさん』こと、大矢大作おおやだいさくに声をかけた。

 大矢はサイエンス研究所の技術職員で、通常はサイエンス研究所での実験に使う測定機器や工作機械の保守と点検を担当している。また、研究員の依頼があれば、研究用の様々な電子基板や機械部品を製作する。ほかのメンバー同様、仙石所長からスカウトされた古株のメンバーである。大矢は、研究所の開設当初は名前通りに『おおやさん』と呼ばれていたが、いつの間にか、おおやさんがなまって『おやっさん』と親しみを込めて皆から呼ばれるようになった。

「青ちゃん、任せとけ。こいつを飛ばすのは久しぶりだが、いつものようにメンテナンスはバッチシだ。燃料も満タンにしてある」と大矢が応えた。

「あまり無茶をしちゃいけませんよ」白鳥が微笑みながら青木に向かって言った。

「心得ています」と青木が応えた。

「ヘリコプターは研究所の最上階から発進します。お二人は私の後から付いて来てください」青山が赤城と黒田の二人に指示をした。

「あなたがヘリコプターを操縦するんですか?」赤城が聞いた。

「心配いりません。ヘリコプターのライセンスは持っています」青山がいつものように平然と答えた。

 大矢を含む四人が、エレベータを使って研究所の最上階に到着した。すでに屋上のドームは解放されて、鉛色の雪雲が天井を覆っていた。外の空気は肌を刺すように冷たく、少し前から降り始めた雪が、屋上のドーム内にも降りこんできた。そのヘリポートの中央には、赤城がこれまでに見たことがないような細長い形をしたヘリコプターが置かれていた。そのヘリコプターは、高級外車のように黒く塗装され、ワックスでピカピカに磨き上げられていた。

「ヘリコプターって、こんな形でしたっけ? 表現が難しいのですが、私はもっと丸い形を想像していました」赤城が思わず声を上げた。

「――これはアメリカ軍の攻撃ヘリコプター・アパッチじゃないですか? なんでこんなモノがここにあるんですか?」と黒田が驚いて聞いた。

「私は詳しい経緯を知りませんが、所長の仙石がアメリカ合衆国大統領から中古の機体を譲り受けたそうです。その中古機体を、大矢さんが時間をかけてコツコツと修理・改造しました。このヘリの二基のターボシャフトエンジンは、おやっさんが念入りに分解掃除しているので新品同様です。それから、米軍の正式な機体番号も取得していますので、飛行にも問題はありません」と青山が平然と答えた。

「もう色んなことが起こり過ぎて、驚く感覚が麻痺してきたわ」赤城があきれ顔で言った。

「さあ、急ぎましょう」とサングラスをしてヘルメットを被った青山が言い、二人に迷彩色のヘルメットを手渡した。青山は手慣れた手付きでアパッチを操作し、三人は、おやっさんこと大矢に見送られながら、爆音とともに研究所のヘリポートから飛び立った。

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