第7話 国立ワクチン研究所

 国立ワクチン研究所は、令和の初期につくられた北関東学研都市の北部に位置している。二十一世紀の生理学・医学・薬学の発展を目的に作られた北関東学研都市には、中核となる北関東医科大学のほか、生命科学に関する国立研究所が数多く存在する。国立ワクチン研究所もこれらの研究所の一つで、ウイルス性の感染症を治療するためのワクチンの研究と開発を行なっている。

 赤城と黒田は約束の五分前にワクチン研究所一階の受付に到着し、受付係に十時からの福山所長との面会の約束を告げた。

「面会の件は所長からうけたまわっています。まずは面会者リストに、代表者の氏名と所属をご記入ください。それから備考欄には、”他一名”と記入して下さい」と受付係の担当者が事務的な口調で言った。

「来訪者用の入構証をお渡ししますので、首から下げてください。先程、電話で所長にお二人の来訪をお伝えしたところ、急な用件が入ったとのことですので、十分ほどお待ち頂けますか。これから応接室へご案内しますので、そこでお待ち下さい」と担当者が続けて言い、赤い首紐につながった二人分の臨時入構証を赤城に手渡した。受け取った入構証を使ってセキュリティゲートを通過し、研究所内に入った赤城と黒田は、応接室に通され、そこで福山所長を待った。

 二人が福山所長を待つこと、十分、そして二十分が過ぎた。

「なかなか来ませんねぇ」黒田が退屈そうに言った。

 応接室に通されて三十分が過ぎようとした頃、しかりつけるような怒号が応接室の外から聞こえてきた。

「何度言えばわかるんだ。こんな結果は、論文には使えん。やり直しだ!」

「何度やっても結果は同じです。論文に都合のいいような実験データの改竄かいざんはできません」

「貴様、生意気なことを言うな!」

「・・・・・・」

 怒号が収まって程なくして、ぎこちなく笑いながら福山所長と思われる人物が応接室に現れた。

「お待たせしてすみません。所長の福山です。今年の五月に日本で開催される国際ワクチン会議のことで急な国際電話が入り、時間を取られてしまった。私が今回の国際会議の議長を務めることになっているので、何かと忙しくて・・・・・・」福山が自慢げに言い訳をした。

 危機管理局の参考資料によれば、福山は還暦を少し過ぎた年齢である。しかし、黒々とした豊かな頭髪が若々しい印象を与えている。また、太い眉と角張った顎(あご)が印象的で、意志が強そうな顔立ちをしていた。さらに福山は、その鋭い眼光から、研究者というより政治家といったほうが良いような、威圧的な雰囲気を醸し出している。

「内閣府危機管理局から来ました赤城と黒田です」赤城が代表して、福山に挨拶をした。赤城と黒田は、おもむろに名刺を取り出し、福山にアイコンタクトした後に、ゆっくりと名刺を裏側にして福山に渡した。赤城と黒田の名刺の裏側には、それぞれ次のように書かれていた。

『この部屋は盗聴されています』

『別の部屋に移りましょう』

 福山は名刺を受け取り、名刺に書かれたこれらの文章を目で追って黙読した。少しだけ驚いた表情をした福山だが、すぐに落ち着きを取り戻してこう言った。

「わざわざお越し頂き、ありがとうございます」

「危機管理局局長の鬼塚からお聞き及びでしょうが、今日は例の件で伺いました」と言いながら、赤城が黒田に目配めくばせした。

「赤城主任、待ちくたびれて喉が渇きませんか?」黒田が無遠慮を装って言った。

「三十分も待たせてしまって、大変申し訳ない。お待たせしたお詫びに、最上階でコーヒーでもいかがかな。最上階のレストランには個室もあるし、カフェテリアでは結構うまいコーヒーを飲ませると評判らしい。私はまだ飲んだことはないが、女性に人気のタピオカミルクティとやらも置いてあるらしい」福山が話を合わせた。

「お言葉に甘えてコーヒーを頂きませんか、赤城主任」と黒田が言った。

「黒田さん、ちょっと厚かましいですよ」と赤城がたしなめた。

「そう堅苦しいことを言わずに・・・・・・」と福山が重ねて言った。

「それでは、お言葉に甘えて最上階のラウンジに行きましょう。タピオカミルクティは、ちょっと気になるわね」赤城が根負けしたふりをした。

     ★

 最上階へ向かうエレベータの中で、福山が質問した。

「応接室に盗聴器が仕掛けられているとは驚いた。どうして気が付いたんだ?」

「応接室で福山所長を待っている間に、こちらの黒田が高感度検知機を使って見つけました。詳しいことはお話できませんが、危機管理局側でも色々ありましたので、聞き取り調査には、こちらも細心の注意を払っています。私共の下手へたな小芝居に付き合って頂いて感謝いたします」と赤城が答えた。

「レストランの個室にも盗聴器が仕掛けられているかもしれませんので、念のため最初に私が入って調べます。問題があれば、話の冒頭で私が『コーヒーが苦い』と言いますので、その時は適当なタイミングで個室を出ましょう」と黒田がこれからの段取りを指示した。

 エレベータはゆっくりと上昇し、盗聴器の話が一段落したタイミングで最上階に到着した。国立ワクチン研究所の最上階にはレストランとカフェテリアが併設されており、北関東学研都市内の研究所の職員や訪問研究者が利用できる。ワクチン研究所の最上階は、ここから見える遠くの山々の景色とレストランの料理の味の良さから、近隣の研究所からわざわざ訪れるほどに人気がある。福山はレストランの店長に個室を使えるように話を付け、カフェテリアのスペシャルコーヒー二杯とタピオカミルクティを注文した。

     ★

 エレベータ内での話の通り、黒田が先行して個室内を調べたが、盗聴器は発見されなかった。黒田が赤城と福山を個室に呼び入れ、赤城と黒田が福山と向き合うように席に着いた。着席するのとほぼ同じタイミングで、深みのある芳醇な香りを周囲に振りまきながらコーヒーが運ばれてきた。コーヒーとタピオカミルクティが給仕されて、ウェイターが個室から』離れたことを確認してから赤城が話を切り出した。

「ご存じとは思いますが、今回、貴研究所を訪問したのは、鳥インフルエンザウイルス盗難までの詳しい経緯を説明して頂くためです。これからのウイルス盗難対策のためにも、是非とも必要です。福山所長、よろしくお願いいたします」

「もちろん承知している。今回の件は、問題が問題だけに、研究所でも鳥インフルエンザ研究部門のトップと私、それからセキュリティ部門の限られたものしか詳しいことは知らない」と福山が言った。

「少し長くなるかもしれんが、ウイルス盗難の経緯を説明しよう。質問は、話が終わった後にしてくれ」と福山が続けた。

「知っての通り、国立ワクチン研究所では、病気の原因となるウイルスとそのワクチンに関する幅広い研究をしている。特に人間に強い感染力があるウイルスに関しては、力を入れて研究している。2000年の史上最大のエボラ出血熱の猛威、2003年の重症急性呼吸器症候群(SARS)の世界流行など、感染症による人類への脅威は枚挙の暇がない。我々はそのような感染性ウイルスの研究に研究者一丸となって取り組んでいる」福山は国立ワクチン研究所の意義と必要性を力説した。

「また、2003年ごろから散見される鳥インフルエンザウイルスに備えて、最近では鳥インフルエンザの研究にも力を入れている。現状では鳥インフルエンザは人間には感染せんが、一部では人間に感染した疑いも完全には否定できん。また今後、鳥型ウイルスが人型ウイルスに変異して人間に感染する可能性も充分ある」

「ワクチン研では研究のため、感染して死亡した鳥から採取した鳥インフルエンザウイルスを単離して、厳重に保管していた。言い訳に聞こえるかもしれんが、二重三重のセキュリティが施されておったので、外部からの侵入、ましてや盗難などは想定外だった」

「鳥インフルエンザウイルスの盗難に最初に気付いたのは、鳥インフルエンザ研究グループのグループ長だった。実験のためウイルスを保管庫から出す際は、サンプルの数をその都度確認しているが、その際に一つだけ数が少なくなっていることに気が付いた。なお、保管庫からウイルスのサンプルを取り出す権限を持っているものは、グループ長を含めて三人しかおらん」

「保管庫の電子記録から、実際のウイルス盗難は、盗難に気付いた二週間前の深夜に行なわれたことがわかった。最初は、内部の者による犯行を疑ったが、内部の研究者にはそんなことをするメリットはないし、そもそも不可能だ。また、保管庫の権限を持つ三人には、犯行当日に確かなアリバイがあった」

「しかし、セキュリティ部門の協力を得て調べたところ、保管庫の周辺にある監視カメラのデータに改竄かいざんの跡が見つかった。セキュリティ部門の話では、犯行が行なわれた時間帯の映像データが、別の日の同じ時間帯のデータで上書きされていたそうだ。それから、入退出記録のデータにも改竄の跡が見つかった。セキュリティ部門の話では、保管庫を扱う権限を持つ誰かのIDカードが偽造されて使用されたようだ。以上が、ウイルス盗難の経緯だ。さらに詳しいことが知りたい場合は、セキュリティ部門トップの山本を紹介するので、あとで聞いてくれ」と福山がこれまでの経緯を一気に説明した。

「最初にお聞きします。鬼塚局長からの問い合わせの前に、鳥インフルエンザウイルスの盗難を知っていたのに、警察や厚生労働省に届け出なかったのはどうしてですか? 盗難を隠蔽いんぺいしようとしたんじゃありませんか?」赤城が福山を問い詰めた。

「何を馬鹿な事を言うんだ! そんな意図は全くない。ふざけたことを言うな」福山が声を荒げて怒りながら答えた。

「盗難の隠蔽は全く考えていなかった。この件の重大性を考えて盗難の有無とその経緯を何度も調べていただけだ。確認に手間取ったのはそのためだ」少し冷静になった福山が補足した。

「犯行時間は深夜ということですが、深夜の不審者が疑われずにウイルスを盗むことが可能でしょうか?」黒田が質問した。

「犯行が可能かどうかは私にはわからん。ただし、研究所内では夜遅くまで研究をするグループもいるので、白衣を着てマスクを着用していれば、怪しまれることはほとんどないと思う。残念なことだが・・・・・・」福山が険しい表情で答えた。

「話を変えますが、福山所長ご自身のことをお尋ねします。詳しいことはお伝えできませんが、犯人の要求項目のなかに福山所長の辞任が含まれています」と赤城が言った。

「――私の辞任?」何か思い当たる節があるのか、福山は腕を組みながら、ゆっくりと天井を見上げた。

「福山所長には、人から恨みを買うような心当たりはありませんか?」赤城が恐る恐る尋ねた。

「私はワクチン研究所の所長だ。また、日本のワクチン研究の第一人者でもあると自負しておる。この地位に登るまでに、他者との軋轢あつれきが少なからずあったことは認めよう。また、研究所長として、部下の研究員たちに厳しい言葉を浴びせたこともあったのも事実だ。最近では、パワーハラスメントやアカデミックハラスメントと言われるかもしれんが、それも研究所員のことを思ってのことだ」福山が憮然ぶぜんとして答えた。

「私はウイルスを盗まれた被害者のはずだが、まるで盗んだ犯人のような扱いだな」福山は赤城をにらみつけた。

「話をワクチン研究所のことに戻しますが、最近研究所を退職された方はいますか?」黒田が切り口を変えた質問をした。

「定年や大学・企業への転職などの理由で退職した職員は何人かいたとは思うが、いちいち全てを覚えてはおらん。事務部の人事係に行けばわかると思うので、私から連絡しておこう。この後で二階の人事係を訪ねてくれ」と福山が答えた。

「ご協力、ありがとうございました。この後、人事係とセキュリティ担当者に少しだけお話を伺います。よろしいでしょうか?」赤城が聞いた。

「もちろんだ。やましいことは何もない」と、福山はこれ以上の質問は受け付けないぞ、という雰囲気を全身にまとっていた。

 赤城は、福山が何か重要な情報を隠しているのではないかという印象を持ったが、そろそろ潮時だと感じて面談を打ち切る決心をした。

「長い時間、面談に協力頂いてありがとうございました。我々はこれで失礼します」と赤城が言った。

「コーヒー、ごちそうさまでした。大変おいしかったです」と黒田が礼を言った。

「タピオカミルクティもおいしかったです」と赤城も礼を言った。

 赤城と黒田は深々とお辞儀をして、最上階のレストランを後にした。

     ★

 福山と別れた後、赤城と黒田は二階の事務部人事係に行った。二人はそこで、過去十年間の退職者を調べてもらっていた。

「申し訳ありません。こんな面倒くさいことをお願いして」と赤城が女性事務員に言った。

「福山所長から先程電話がありました。できるだけ協力するようにと言われています」と事務的な口調で言って、退職者のリストを赤城に手渡した。

 さっと目を通して、退職者リストの数が気になった赤城が、女性事務員に聞いた。

「このリストを見ると、十年間で退職者が百名近くいますけど、これは普通なんでしょうか?」

「普通かどうかは、私にはよくわかりません。私はここに勤めて三年くらいなので、昔のことは知りませんが、ここ三年間は毎年二十名ぐらいが退職されています」

「二十名ねぇ・・・・・・」

「何かおかしいですか?」

「ごめんなさい、ちょっと考え事をしていただけなの。お手間を取らせて済みません。ありがとうございました」

 赤城と黒田は、次に行くセキュリティ部門の場所を聞いて、丁寧にお礼を言って人事係を後にした。セキュリティ部門に向かう途中で、赤城が言った。

「十年間で約百名、平均すると一年当り十名くらいなのに、最近の二十名というのは多過ぎない?」

「確かにそうですね。これくらいの規模の研究所なら、人の出入りはある程度多いでしょうけど、少し多いかもしれませんね」と黒田が応えた。

 話している間に、同じフロアの端にあるセキュリティ部門に到着した。人事係から連絡が入ったのか、部屋の前では担当者が既に待ち構えていた。待っていた担当者は山本正夫といい、セキュリティ部門のトップを務めていた。挨拶と名刺交換を済ませた後、山本は研究所内を映し出す監視カメラが置かれたモニタ室の隣にある小会議室に、赤城と黒田を招き入れた。

「お仕事中に済みません。少しだけ話をお聞かせください」と赤城が話を切り出した。

「所長から、お話は伺っています。ただし、仕事柄あまり長く席を外すことはできません。他の係員には、急用で二十分だけ席を外すと言っていますので、手短にお願いします」と山本が言った。

「わかりました。お時間は取らせません。お話を伺う前に少しだけ時間をください」と赤城が言った。

 赤城の言葉を合図に、黒田が怪しげな機械を取り出して、部屋の内部を調べ始めた。

「――念のため、この部屋でも盗聴器を探しましたが、見つかりませんでした。それでは始めましょう」と黒田が言った。

 赤城と黒田は交互に、福山の時と同じ質問を山本に繰り返したが、山本の回答内容にはほとんど矛盾がなかった。

「ウイルス盗難時の様々な疑問点が確認できました。ありがとうございました」赤城が謝意を述べた。

「ところで、ここからは雑談なんですけど、福山所長個人についての話を少し聞かせてください」と赤城が言った。

「福山所長について何でもいいので、評判や噂など知っていることはありませんか?」と黒田が聞いた。

「所長のことをあまり悪くは言いたくはないが、あの時には正直、頭にきたよ」と山本が語りだした。

「何かあったんですか?」黒田が聞いた。

「例の盗難が発覚した時、所長が血相を変えて、ここに怒鳴り込んできたんだよ」

「『何かあったらお前のせいだからな。覚悟しておけ』と、ウイルス盗難の責任を私に押し付けてきました。ウイルスの心配より自分の身が心配のようでした。もちろん盗難の責任の一部は私にありますが、研究所の最高責任者は福山所長です。責任を取るとしたら、所長でしょ! それから、これは所長から言うなと念押しされましたが、犯人が侵入に使った偽造IDは、実は福山所長のIDを使ったものでした。まったく、福山所長は自分の保身しか考えていません。本当に頭に来ましたよ」と山本が悔しそうに言った。

「他にも何かありませんか?」と赤城が聞いた。山本は天井を見上げてしばらく考えていたが、意を決したように話し始めた。

「もうすぐクビになるかもしれないので話しますが、福山所長は研究所員の評判が余り良くないみたいですね。噂では、『部下の手柄は自分のもの、自分の失敗は部下のせい』と言われています。所長の名前は大観たいかんですが、陰では大観をもじって悪代官あくだいかんと呼ばれています。ここの研究者との付き合いは余りありませんが、悪代官に楯突いて辞めて行った人も多いと噂で聞いていますよ。ここ二・三年は、特に辞めた人が多かったんじゃないかなぁ」

「あくまで噂ですからね。余計なことを喋り過ぎました。私が喋ったということは、くれぐれも内緒にしてください。これが所長に知れたら、再就職に響くかもしれませんので・・・・・・」と山本が念を押した。

「もちろん、秘密は厳守します。色々と教えて頂き、ありがとうございました。大変参考になりました。また何かわかりましたら、名刺にあるメールアドレスか電話番号にご連絡ください」赤城が代表して謝意を述べた。

     ★

 ワクチン研究所での聞き取り調査を終えて、赤城と黒田は駐車場に止めてあった危機管理局の公用車に乗って、国立ワクチン研究所を後にした。二人は、ひとまず危機管理局に戻って鬼塚に報告するため、最寄りの高速道路への入り口を目指して進んでいた。

「福山所長の態度は、少し横柄でしたね」と黒田が言った。

「確かに、ちょっと権威主義的なところは鼻につくかもしれないわね。でも霞が関の国会議員たちと比べれば、たいしたことはないわ」経済産業省で国会議員と接した経験がある赤城が言った。

「そんなもんですかねぇ」と黒田が不満げに言った。

 高速の入り口手前で、危機管理局局長の鬼塚から緊急電話がかかってきた。助手席に乗っている赤城が、黒田にも聞こえるように情報端末を操作すると、鬼塚の低い声が聞こえてきた。

「これから、MADサイエンス研究所に向かってくれ。何か重要な手掛かりがつかめたそうだ」緊迫した鬼塚の様子が、車内にも伝わってきた。

「わかりました」二人が同時に応えた。

「大至急だ。赤色点滅灯を使っても構わん」鬼塚の許可が出た。

了解ラジャー」と黒田が嬉しそうに応えて、車のアクセルをゆっくりと踏み込んだ。

     ★

 赤城と黒田がワクチン研究所を去った十分後、福山は自身の通勤用の高級国産車に乗って北関東医科大学に向かおうとしていた。「ひょっとしたら、あの男かも知れん」と心に浮かんだ疑念を晴らすため、福山は北関東医科大学の事務部を訪ねようとしていた。

 福山が駐車場から車を発進させてワクチン研究所の門に近づくと、門をふさぐように若い女性が倒れていた。福山は「邪魔だ」と思いながら「チッ」と舌打ちをして、軽めにクラクションを鳴らした。しかし、うつむいた女性は一向に動く気配がなかった。何度か鳴らしたクラクションにも動こうとしない女性にしびれを切らした福山は、車から降りてその女性に話しかけた。

「どうされましたか? 体調でも優れないんですか?」

「急に眩暈めまいがして倒れたんですけど、その時に足首をひねったみたいなんです」倒れている女性が応えた。

「病院には務めていないが、私も一応医者だ。ちょっと見せてみなさい」福山がかがんで女性の足首を触ろうとした瞬間、女性は隠し持っていたスタンガンを福山の首筋に押し付けた。福山は自身に何が起きたかもわからないまま、その場に気絶して倒れた。福山が気絶したのを確認して、女性が合図を送ると、近くの木陰に隠れていた男性が現れて二人の方に近づいてきた。

「先生、大丈夫ですか? 気分が悪くなったんですか? 病院までお連れしましょう」男性は周囲に聞こえるように、気絶している福山に声を掛けた。

 その男性と女性は、二人で肩を貸すように福山を車内の後部座席に運び込んだ。女性は福山を介護するよう格好で福山の隣に座った。三人は、男性の運転でワクチン研究所の正門から堂々と出て行った。男性は人気ひとけのない場所まで車で移動し、そこで福山に目隠しをして、さらに手足をひもで縛った。こうして福山は、ワクチン研究所から拉致された。


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