第5話 人文科学ユニット

 研究所のコアタイムが終わりに近づき、三々五々と自分達の研究室に戻る人が増え、食堂のにぎわいが徐々に消えていった。

「食事はいかがでしたか?」白鳥が柔和な表情で二人に聞いた。

「大満足です。本当においしかったです」と黒田が答えた。

「ダイエット中なのに、ついついたくさん食べてしまいました」緊張感から解放された赤城が続けて言った。

「この話を聞いたら、食堂のおばちゃんも喜ぶでしょう。それでは、食事も終わったようですので、先程の話に出てきた人見さんを紹介しましょう」と青山が言った。

「私は残りの農作業がありますので、これで失礼します」白鳥はそう言い残して、エントランスに向かって歩き出した。赤城と黒田の二人は青山に促されて、人見が座っている円卓の近くに移動した。

「人見さん、こんにちは。こちらは内閣府危機管理局の赤城さんと黒田さんです」

 青山が二人を紹介した。人見はやや青みがかった目が印象的な金髪の女性で、アメリカ人の母親の血を色濃く引いているようだった。

「二人のことなら知っているわ。コモリンつまり小森君のことだけど、彼から事前に聞いていたから」人見の日本語は流暢りゅうちょうだが、言葉の端々はしばしにアメリカ的なアクセントやイントネーションが混じっていた。

「それでは、上の階の私の研究室でお話しましょう」め回すような視線で赤城と黒田の二人を観察しながら、人見が言った。

    ★

 人見=マリアンヌ=麗子は、人文科学ユニットのユニット長で、心理学が専門である。人文科学ユニットは研究所の三階にあるので、四人は研究所の中央にあるエレベータで移動した。人見の研究室はエレベータに最も近い所にあった。

「どうぞ、お入り下さい」研究室の鍵を開けた人見が三人の入室を促した。

「何だか、いい匂いがしますね」と黒田が言った。

 室内は書棚とソファとミーティングテーブルだけの極めてシンプルな内装になっていた。ミーティングテーブルの上は綺麗に整理されていて、ノートパソコンと小さなフォトフレームが置かれていた。そのフォトフレームには、何故か若い肥満女性の写真が飾られていた。四人はミーティングテーブルの椅子に腰掛けた。

「人見さんが、この前の誘拐事件の犯人達の犯行動機を推定したんですよ」と青山が言った。

「犯罪心理のプロファイリングですね」と赤城が聞いた。

「いいえ、プロファイリングとは根本的に異なるわ」と人見が答えた。

「プロファイリングは、『こういう犯罪の犯人にはこういう人間が多い』という統計的な手法なの。この方法は、確率的に罪を犯した可能性の高い犯人像を示すものであって、プロファイリングで個人を特定することはできないわ」

「個人の特定には確実な証拠が必要だわ。今回の犯人特定には、コモリンによる顔認証や犯罪履歴がとても役に立ったわ。でも、犯人を絞り込むために、闇サイトを検索するなどのプロファイリング的な知識も使っているけど・・・・・・」

「私が試みたのは、犯人が特定された後に行なう心理学的手法よ。心理プロファイリングは、その人の性格や嗜好から心理学的な傾向を導き出すものだけど、本人も自覚していない深層心理までは辿たどり着けないのよ」

「私がしているのは、人の心理を深く掘り下げて深層心理に迫る研究よ。つまり、心理の深堀ね。私はこの手法を“心理サウンディング”と呼んでいるわ。サウンディングには“深さ方向の状態を調べる”という意味があって、地下資源を探査する物理探査などで使われているわ」と人見が説明を続けた。

「あなた方は、この写真に気付いたかしら?」と、人見がテーブルの上に置かれたフォトフレームを指差した。

「これは私の若い時の写真よ。自分で言うのもおかしいけど、写真を見ての通り、今よりも随分と太っていたわ」

「この頃、私には片思いの人がいたの。ハイスクールの一年先輩だった人よ。その彼に勇気を奮って告白したんだけど、当時の私の容姿のせいで見事に振られたわ」

「日本でもそうだけど、身体的に魅力がある人の方が価値が高いというような考え方、所謂いわゆるルッキズム(外見至上主義)が世間的にはあふれているわ。とても残念なことだけど」

「私は失恋のショックで食事が喉を通らず、日本語で何て言うのかしら・・・・・・、そうそう“激ヤセ”して今のような体型になったのよ」

「そうしたら、今度は私を振った先輩が、私に付き合って欲しいと掌(てのひら)を返したように告白してきたの」

「もちろん今度は私が断ったわ。私の内面は、外面が変わる以前と全く変わっていないのにどうして? と強く疑問に思ったわ。この時に人間の心理の変化の複雑さに目覚めたの。私、それまでは勉強のできない劣等生だったけど、それから猛勉強して、アメリカの大学で心理学の博士号を取ったのよ」

 人見は若かった頃の自分を思い出していた。

   ☆

 人見は親友のキャサリンに誘われて、隣町のハイスクールとのバスケットボールの交流戦を、母校の体育館で観戦していた。試合は、相手校のエースがシュートを決めると、母校のエースがシュートを決めるという一進一退の展開だった。母校のエースは、身長180センチの小柄ながら、抜群の運動量でチームを引っ張るジャンというフランス系のアメリカ人だった。人見はバスケットボールにはさほど興味がなかったが、試合でのジャンの活躍に次第に魅了されていった。

 最終クォータの残り十秒、試合は母校の2点ビハインド。相手校のパスミスで、ボールがジャンに回ってきた。ジャンがドリブルでゴール下に切り込むが、エースのジャンには二人のディフェンスが付いていて、中々シュートを打たせてくれない。残り五秒、四秒。ジャンは一旦シュートをあきらめて、ゴール下からスリーポイントラインへと離れて行った。残り時間が一秒、ゼロ・・・。ブザーが鳴ると同時に、ジャンがセンターライン付近からロングシュートを放った。ジャンの放ったボールは大きな弧を描いて、一瞬の静寂の中、相手ゴールに吸い込まれていった。スリーポイントシュートによる劇的なブザービーターで、割れんばかりの大歓声の中、母校は逆転勝利をおさめた。

 試合が終わったその日から、人見の中でのジャンの存在は、日増しに大きくなっていった。あの交流試合から一週間後、人見は練習終了後のジャンを見かけて、勇気を振り絞って話しかけた。

「私、一学年下のマリーと言います。この前の交流試合、感動しました」

「見てくれてたんだ。応援ありがとう。何とかチームが勝てたから、面目が保てたよ」とジャンが照れながら言った。

「あの試合を見て、バスケットボールがとても好きになりました」と人見が言った。

「そう言ってくれると、バスケット選手としては嬉しいよ」とジャンが言った。

「突然なんですけど、先輩にはお付き合いしている人がいますか?」さらに勇気を振り絞って人見が聞いた。

「バスケの練習で忙しくて、今はいないけど・・・・・・」

「よかったらでいいんですけど、まずは友達として付き合って頂けませんか?」

「――気持ちはとてもうれしいけど、御免なさい。今は州大会に向けた練習で、それどころじゃないんだ」

「私の方こそ、いきなり変なことを言って御免なさい」人見は恥ずかしさで顔を真っ赤にしながら、その場から走って逃げ出した。

 あれから人見は、あの時なぜジャンに告白したのか、ずっと後悔していた。その後、人見がジャンと会う機会はほとんどなかったが、家族と出かけたショッピングセンターで、若い女性と腕を組んで楽しそうに歩いているジャンの姿を偶然見かけた。その女性は、当時の人見とは真逆の、スレンダーなモデル体型で、笑顔が良く似合う美人だった。人見はジャンに気付かないふりをして、その場所からゆっくりと遠ざかった。

     ★

「色んな事があったんですねぇ」黒田が同情するように小さくつぶやいた。

「でも、今では良い思い出よ。あの頃のことを忘れないために、いつもテーブルに私が太っていた頃の写真を飾っているの。さっきの食事の時に若い頃の話で盛り上がっていたので、ついつい、昔のつまらない話をしてしまったわ」と人見が言い訳をした。

 人見の説明が途切れたところで、意を決したように赤城が人見に質問した。

「この前の誘拐事件の犯人の犯行動機について、是非聞かせて下さい!」

「わかったわ。まずは、どこから話そうかしら・・・・・・」

「名前をいちいち言うのは面倒くさいから、三人の犯人を仮にA、B、Cと呼ぶわね」

「ここで、Aは主犯で、BとCはそれぞれ共犯よ」

「お金に困っていて前科がある犯人Bは、ネットカフェからアクセスした闇サイトで知り合った主犯のAから誘われただけ。犯行動機は単純にお金目的なので、心理学的にはちっとも面白くないわね」

「犯人Cは、コモリンのように引きこもりでニートだけど、ネットゲームの仲間には“いつかドデカイ事をしてやる”と豪語していたようね」

「こちらも犯行動機は、ゆがんだ自己顕示欲と金銭欲。動機がとても単純で、心理サウンディングの必要がないわ」

「犯人Aの場合は少し複雑ね」

「コモリンが調べてくれた犯人Aの経歴を見ると、意外にも保育士だったことがわかったわ」

「しかし、犯人Aにはギャンブル癖があり、借金がかさんで金利の高い闇金融にも手を出していたみたいね。普段の素行もあまり良くなくて、親戚のコネでやっと就職できた保育園も、その素行のせいで解雇されたいみたい。表沙汰にはなってないけど園児への暴力や虐待の噂もあるわ」

「それから、自身のブログなどで嫌韓・反韓的な書き込みが多いことや、ヘイトスピーチの集会に参加していたこともわかったわ」

「その他の情報も合わせて、犯人Aについて次のように心理サウンディングしたわ」

「犯人Aは、ヘイトスピーチに反対していたリベラルな民自党の毛利党首を常々つねづね快く思っていなかった。また、犯人Aは勤務態度が良くないために解雇された保育園を逆恨さかうらみしていた。加えて、自分の代わりに雇用された保育士がたまたま在日韓国人であった事を知って、保育園への恨みが増した。そして、その保育園に毛利康幸ちゃんが通園していたことを思い出して犯行につながった」

「政治的な信条と個人的な恨み、といっても逆恨みだけど、これが主な動機ね。それから借金が多いので、やっぱりお金も犯行動機の一つね。これもコモリン情報だけど、闇金融から執拗に返済を迫られていたみたい」人見が主犯Aの犯行動機を締めくくった。

「なるほど。心理サウンディングのやり方が、少しだけ理解できました」と黒田が頷(うなづ)いた。

「ところで、人見さん。仙石所長について心理サウンディングは可能ですか?」赤城が思いきって聞いた。

「あなた、面白いことを考えるわね」

「もちろん、正体不明の謎の人物には心理学的にも興味が湧いたので、研究所に入った当初に一度試みたわ。だけど、心の無いバーチャロイドではうまくいかないわね。やはり心理サウンディングのための情報が少なすぎるわ」

「ただ、これまでの所長の話の内容だけからサウンディングすると、思考や価値観が少しアメリカ的だわ。でも、日本人的な古風な感性も感じるわ。私と同じようなハーフか日系人の可能性も否定できないわね。心理サウンディングからわかることは、これ位かしら」

「しかし個人的には、所長は実在していなくて、様々な国の人の思考をミックスさせた人工知能かもしれないと私は疑っているわ」微笑みながら人見が答えた。

「いきなりですが、私や赤城主任も心理サウンディングできますか?」黒田が興味深そうに聞いた。

「そうねぇ・・・・・・。赤城さんは身長にコンプレックスがあるわね」と人見が切り出した。

「どうして・・・・・・」しどろもどろになっている赤城を横目に、人見が続けた。

「危機管理局の資料によると、あなたの身長は百五十センチとなっているわ。だけど、研究所が解析したセキュリティデータによると約百四十八センチになってるわよ。あなた、身長を二センチくらいサバ読んでるでしょ?」手元の資料を見ながら、人見が説明した。

「ど、どうして、そんなことまでわかるんですか?」と赤城が動揺しながら聞いた。

「研究所のセキュリティシステムでは、顔認証のほかに、その人の推定身長と推定体重がわかるのよ。女の子だから体重については、ここでは触れないことにするわ。セキュリティシステムの推定誤差は二パーセント程度なので、ほぼ間違っていないでしょ?」人見は確認するように、赤城の顔を見たが、赤城は下を向いて顔を合せなかった。

「それから、シークレットシューズを履いてるので、データを見なくても身長にコンプレックスがあることはすぐにわかったわ」赤城は人見の観察力に感心して、ほおを少し赤らめてうなづくことしかできなかった。

「それから黒田さんは・・・・・・」人見は心理サウンディングを続けようとしたが、言い終わらないうちに意識が遠退とおのき、急に眠りこんでしまった。

「どうしたんですか? 大丈夫ですか?」近くにいた黒田が、椅子から崩れ落ちそうになった人見を支えながら言った。

「大丈夫です。いつものナルコレプシー、睡眠障害です。日本では”居眠り病”とも言われています」青山が平然と言った。

「ナルコレプシーの原因はまだ詳しくわかっていませんが、脳の視床下部から出る神経伝達物質オレキシンの欠乏だと考えられています」

「この病気は十五歳前後で発病することが多いのですが、人見さんもハイスクールで失恋した頃に発病したそうです」青木が続けて説明した。

「通常は長くても一時間程度で目が覚めますから心配いりません。そこのソファに寝かせましょう。申し訳ありませんが、手伝って頂けますか」

 黒田と青木の二人で、人見を近くのソファまで移動させ、ソファの肘掛けに置いてあった薄手のブランケットを人見の体にかけた。

「人見さんの専門は心理学ですが、当研究室に入った最大の目的は、当研究所の脳科学者とナルコレプシーの共同研究をすることです。そして、ナルコレプシーの治療法を確立して、ご自身を治療することです」

     ★

 人見をソファに寝かせたまま三人が研究室から出ると、赤城と黒田の両方の情報端末にメールが送られたことを知らせる着信音が、静かな研究所内に鳴り響いた。

「申し訳ありません。緊急連絡のようです」と赤城が説明した。

 赤城と黒田に送られたメールは、危機管理局にすぐ戻るようにとの鬼塚からのものだった。

「何か事件の進展があったようです。我々はこれで失礼します。色々と教えて頂き、ありがとうございました。白鳥先生にもよろしくお伝えください。こちらからも頻繁に連絡を差し上げたいと思いますが、何かわかりましたら私共までお知らせ下さい」赤城が青木に協力の感謝を述べて、二人は足早にMADサイエンス研究所を後にした。

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