第3話 星久保村

 翌日は快晴だったが、奥多摩おくたまでは昨夜遅くに雪が降り、山々の頂きは薄っすらと雪化粧されていた。奥多摩とは、東京都西多摩郡奥多摩町を中心とする東京都西部の山岳地帯を指す言葉で、その西端には東京都の最高峰である雲取山がそびえている。危機管理局の公用車を運転している黒田が、車窓に広がる奥多摩の景色を見ながら赤城に聞いた。

「美しい山並みを見ていると、田舎を思い出すなぁ。赤城主任の出身地はどちらですか?」

「宮城県の仙台です」素っ気なく赤城が答えた。

「そうですか。僕は北アルプスの山々が見える奥飛騨です」

「奥つながりで、奥多摩には何だか親近感がわきます。故郷の北アルプスほど山々の標高は高くないですが、ここも中々いい景色ですね」黒田が赤城に同意を求めた。

「水や空気もおいしそうですしね」赤城が渋々しぶしぶ応えた。

「私の実家は、奥飛騨温泉郷の平湯温泉で小さな旅館を経営しています。平湯温泉の近くには、北アルプスの清流を集めた落差64メートルの平湯大滝や、クマのテーマパークであるクマ牧場もあるんですよ」黒田がニコニコしながら自慢げに言った。

「それは良かったですね!」どこか緊張感のない黒田にイライラして、赤城が強い口調で応じた。

「ところで、赤城主任はどうして内閣府危機管理局を希望したんですか?」と黒田が聞いた。

「話さなきゃ、いけないかしら?」

「パートナーを組んだばかりで、お互いに知らないことが多いので、できれば理由を知りたいです」

「わかったわ。――東日本大震災は、もちろん覚えているわよね」

「当然ですよ。私はその当時の勤務地が浅草でしたが、東京でも地震の揺れがかなり大きかったことをよく覚えています。あの時は、交通機関が麻痺して、家まで歩いて帰る帰宅難民を誘導する交通整理に駆り出されて徹夜しました」

「私の祖母は釜石に住んでいたんだけど、地震後の津波で亡くなったの。といっても、津波に巻き込まれたのを近所に住む親戚が目撃しただけで、まだ遺体は見つかっていないわ。正式には行方不明ね」と赤城が悲しげに答えた。

「祖母は、津波警報が出た後に親戚の叔母さんと一緒に高台へ避難する途中で、津波に飲まれたらしい。途中まで一緒だったけど、叔母さんも逃げるので必死で、振り向いたときには祖母の姿が見えなくなっていたと、涙ながらに話してくれたわ」

「嫌なことを思い出させて済みません」と黒田が謝った。

「謝る必要はないわ。それから、福島原子力発電所の危機管理の甘さや、事故後の対応についても、個人的には納得していないわ」

「それが、危機管理局を希望した大きな理由の一つね。同じ質問を返すけど、黒田さんはどうして危機管理局を希望したの?」

「笑わないで下さいね。私は子供の頃から、戦隊ヒーローに憧れていたんですよ。絶体絶命の危機に颯爽さっそうと現れる正義のヒーロー。カッコいいとは思いませんか?」

「確かに、もう駄目だという危機をズバッと解決できればカッコいいわね。でも、現実はそんなに甘くないわ。作り話のように、そう簡単にはいかないわ」

    ★

 東京都西多摩郡星久保村は、奥多摩町のさらに奥にある小さな村である。その昔は、星窪ほしくぼの漢字があてられており、流れ星が落ちてできた窪地、つまりクレータであるとの古い伝承が、この村に残されている。また、その頃にできたと伝わる星窪神社では、その時の隕石が御神体として祭られている。『平成の市町村大合併』に乗り遅れたこの山村は、ご多分に漏れず過疎の村である。この村は、東京という大都市が近いこともあって少子高齢化が加速度的に進み、これ以上人口が減ると村を維持できなくなる、いわゆる『限界集落』に近づいていた。

「昨日、あれから目的地について少し調べたんですが、こんな所に本当に研究所があるんでしょうか? ゴーグルマップの衛星画像でも、そんな建物は見当たらなかったんですけど・・・・・・」黒田がいぶかしげに言った。

 ゴーグルマップは中国の検索サイトが運営している地図サイトで、人工の密集している地域なら、衛星からの鮮明な画像を見ることができる。また、専用の偏光ゴーグルを付けると地形の3次元立体視ができることから、最近特に人気のある地図サイトである。

 危機管理局では、危機管理官同士で様々な情報をやりとりするために、特別仕様の高性能な情報端末が国から支給されている。この情報端末は、警察手帳のように危機管理官の身分証明証を兼ねており、電話としても使えるが、政府の様々な機関のデータベースに直接アクセスできるのが大きな特徴となっている。

「念のため、ゴーグルマップよりも解像度の高い国産スパイ衛星の画像も調べてみたんですけど、該当する建物は見つけられませんでした」と黒田が続けて言った。

 あまり知られていないが、日本も通称“スパイ衛星”と呼ばれる独自の情報収集衛星を保有している。なお、危機管理官に支給された情報端末を使えば、その高解像度の画像をリアルタイムで見ることができる。

「私も気になって、研究所所長の仙石善人について、警察庁や外務省のデータベースを使って調べてみたんだけど、面白いことがわかったわ」

「仙石善人は伝説的なハッカーで、今から十年ほど前に、当時のアメリカ合衆国副大統領、現合衆国大統領の娘の誘拐事件解決に関係しているらしいと、ある報告書に書いてあったわ」

「このことは極秘事項なので、アメリカでも日本でもほとんど報道されていないわ」

「その後、仙石は中南米のコカイン密売組織の壊滅にも手を貸しているみたいね。あくまでも噂だけど・・・・・・」

 赤城が、就寝前に調べた仙石についての情報を黒田に伝えた。

「そんなにすごい人なんですか!」黒田が驚いていると、赤城がさらに続けて言った。

「ただし、仙石善人というのはネット上の名前で、年齢、性別、本名もわからないわ。日本人かどうかも怪しいわね。仙石はそのカリスマ性から、ネットの世界ではその名前を縮めて“仙人”と呼ばれているわ。それから、ここ十年は表だった活動の記録が無いわね」と赤城が説明を補足した。

「仙人ねぇ。この山奥で、かすみを食って生きてるんですかね?」

「その伝説の仙人に、今日は会えるんですね」黒田が嬉しそうに言った。

「――残念だけど、たぶん会えないと思うわ。仙石善人が人前に現れて素顔を見せたことは今までに一度もないと、その報告書には書いてあったもの。本当に難しい仕事になりそうね」 

 赤城は、事前に調べた情報から、今回の仕事の難しさを改めて実感していた。

     ☆

 赤城は昨日の打ち合わせを思い出していた。

「鬼塚局長。どうして星久保村なんですか?」

「理由はわからんが、メールの差出人である仙石善人から指定されたんだ」

「今回も前回と同じように、限られた人しか知らない毛利首相のメールアドレス宛に一通の匿名メールが届いた」

「メールの件名には《鳥ウイルス誘拐》と短く書いてあった」

「それから、メールの本文には《お困りなら返信を。仙人》とだけ書いてあった」

「前回のことを思い出した毛利首相が、ご子息の誘拐事件解決のお礼と、新しい誘拐事件の捜査協力をお願いした丁寧な返信メールを送ると、今度は仙石善人と名乗る人物から捜査依頼を快諾したメールが届いたそうだ・・・・・・」

     ★

 今回の出張の目的地は、正式名称を『MADエムエィディサイエンス研究所』といい、仙石善人が個人的に設立した民間の研究所である。この名前からしてあやな研究所で、いったい何を研究しているのかは、今のところ赤城と黒田には全くわからない。そのMADマッド(狂った)という言葉の響きから、白衣を着た白髪はくはつの狂信的な科学者を想像してしまうのは自分だけだろうかと自問しつつ、赤城は目指す研究所を探すために辺りを見回していた。

 赤城と黒田は、星久保村にある研究所へ約束の時間までに着くために、今回の出張では危機管理局の公用車を利用していた。運転手は黒田である。黒田は見掛けによらずスピード狂で、高速道路ではかなりの速度を出して運転していた。危機管理局の公用車は通常時は緊急自動車ではないが、非常時には緊急自動車にもなれるように赤色点滅灯が搭載されている。今回は目立ってはいけない隠密行動のため、赤色点滅灯とサイレンは使われていない。

 圏央道の日の出ジャンクションを降りて、甲府方面に向かう青梅街道に入り、サイエンス研究所へ向かう分岐点となる奥多摩湖方面を目指して、車は走っていた。サイエンス研究所から送られてきた地図にある分岐点を何とか見つけて、車はさらに山奥に分け入って行った。青梅街道の分岐点から数キロほど走ると、車道の幅が徐々に狭くなり、緩やかにカーブした山道が続いた。二人は既にかなりの距離を走ったように感じたが、目的の場所にはなかなか辿たどり着けなかった。山道の幅がだんだん狭くなるにつれて、二人の心に何とも言えない不安感が増大していった。

「山道を随分走りましたが、こんな所に本当にその研究所があるんでしょうか。赤城主任」

「先方の指定だから、仕方がないわ。ほら、あそこに農作業している人がいるから、ちょっと聞いてみましょう。適当なところで車を止めて頂戴」

 畑に作られたビニールハウスの脇で、一人の初老の男性がくわを持って黙々と作業をしていた。野良着を着て首にタオルを巻き、麦藁むぎわら帽子をかぶったその男性に赤城が声を掛けた。

「あのぉ、すみません。この辺りにあると聞いたサイエンス研究所を探しているんですが、ご存じありませんか?」

「研究所のお客さんか? 珍しいな」とその男性が答えた。

「ああ、その研究所なら、この道なりに少し行ったところにありますよ」

 その男性は、研究所の方向を指で示しながら教えてくれた。赤城は、農作業をしている浅黒く日焼けした男性の顔にどこか見覚えがあるような気がしたが、丁寧にお礼を言って先を急ぐことにした。

「さっきの人、どこかで見た覚えがあるんだけど・・・・・・」赤城が疑問を口にした。

「こんな山奥に知り合いですか? 赤城主任の気のせいですよ」赤城の疑問を黒田があっさりと打ち消した。

 さらに五分ほど山道を車で走ると急に視界が開け、山奥の村には不釣り合いな大きな建物が見えてきた。どうやら、あれが目指す目的地らしいと二人は思った。

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