第4話 二人の駆け引き
倉庫兼事務所の裏口から外へ出ると、昼を過ぎたバーネット商会マーゲイト港は荷役をする労働者の掛け声、石畳を蹴る牛の蹄の足音、荷車の軋、様々な音が競うように喧騒を奏でている。
「こちらへ来られたことは? ハンスさん」
「月に数度、秘書として事務所に顔を出すくらいです」
「そう。それじゃ、この港の施設をご案内しますので付いていらして」
振り返って言うと、私の後に続いて裏口のドアをくぐる長身で細身の男、ハンス・シモンズは作り笑顔を貼り付けたような表情を変えることなく、キツネのように細い眼を午後の日差しにさらに細める。
「サラさんがここを案内されるのですか?」
「ええ、そうよ。不満がありまして?」
「いいえ、とんでもない。まさかお嬢様ご自身が案内されるとは思いもよりませんでしたから」
さも驚いたかのように言うけれど、表情や態度には全く出さない。
さて、どう解釈するべきか。
「もう四年もここに住んでいるのよ、どこに何があるかくらいは教えられるわ」
「そうでしたか、もう少し不自由な生活をされているものかと」
「いつまでも深窓の令嬢ぶっていられるほどお淑やかでも我慢強くもないの。もっとも、今の暮らしも自由というにはほど遠いけれど」
「お察しします」
ここでの私の本当の暮らしぶりはいずれこの男にも知られることになるけれど、その前に、父の片腕で何を考えているのか読めないこの男を知る必要がある。
知られて構わないことまで隠す必要はない、代わりにその心のうちを確かめないと。
「どうそ、こちらへ」
「よろしくお願いします。サラさん」
そうして、慌ただしく行き交う牛車を避け、好奇の視線を向けてくる男たちを睨みつけながら、一定の距離を保って後ろを歩くハンス氏に港湾施設を案内する。その間、無駄話もせず、時折聴いてくる質問は適確で簡潔。その趣旨は単純明快、私がここのことをどこまで知っているか。私を女だからと侮っているわけでもなく、それを隠そうともしていない。
「ひとつ、質問があるのですが」
「なに?」
「ここで働く人たちの中に、他では見られない服を着ている人が少なからず居るのですが、何かご存じですか?」
「さぁ、労働者の服のことまで知らないわ。なぜそれを私に?」
「サラさんは服飾にお詳しいようですから。そのドレスもご自分で仕立てられたのでしょう?」
「そうね。独学ですけれど。お父様が用意する服は古臭い形のドレスばかりですから」
「質問を変えましょう。あの服についてサラさんはどう思われますか?」
作り笑顔を浮かべる彼の細い眼の隙間から覗くブラウンの瞳がきらりと光る。
「その質問は、私を試しているのかしら?」
「いいえ、そのつもりは。なかなか良く出来ているようで気になったもので、サラさんの意見も聞いてみたいと思いまして」
「興味ないわ」
「そうですか。それなら結構です」
そんな調子でお互いに手の内を隠したまま港を一周し、事務所の裏に建つ第一倉庫へと辿り着く。
「ここが最後、この港で最初に建てられた第一倉庫。今は売れずに残った在庫の布を保管するくらいにしか使われていないけれど」
「不良在庫ですか。その理由はご存じで?」
「さぁ、仕入れが馬鹿なのか営業が無能なのか、いずれにしろ私の知ることじゃないわ」
「ははは、なるほど。私は両方だと思います」
ハンス氏は私の答えを聞くなり、その作り笑顔を崩し、愉快気ににやりと笑ってそう言う。
この胡散臭い男を騙し合いで出し抜くのは容易ではないだろう。
「単刀直入にお聞きします。ハンスさんは私のことをどのように思われていますか?」
「ああ、やはり、噂とはアテにならないものですね。お会いする前は勝ち気でわがまま放題なお嬢様だと聞いていましたが、実際にお会いするとそれ以上でした」
半ば投げやりな私からの直接の質問に、楽し気に皮肉で答える。案外面白い男なのかもしれない。
「あら、そう。裏でそのように言われているのは知っているけれど、直接お聞けて嬉しいわ」
「いや、失礼。ですが、噂とは違って、たいへんに聡明で思慮深い。貴女のような女性だったとは思いもよりませんでした」
「そのように振る舞っているつもりはないわ。今更ご機嫌取りでもしたいのかしら」
「ははは、これは手厳しい。それでは、今度は私の印象をサラさんにお伺いしても良いですか?」
「そうね。一言で言うなら胡散臭い。けれど、悪い印象はないわね。頭が良くて機転が利くのはもちろん、律儀で誠実な人だと思う。ま、婚約者としては論外だけど」
「正直に答えてくださってありがとうございます。ところで、胡散臭いと言われる私のどこを見て律儀で誠実だと?」
今度の質問は私を探るというよりも、単に興味で聞いているらしい。はぐらかしてもいいけれど、少し手の内を明かした方が面白そうだ。
「私のドレス、どう思われます?」
「服のことはよくわかりませんのでなんと表現すれば良いか、サラさんの着るドレスはそうあるべきものだと思います」
「つまり?」
「よくお似合いです」
「ありがとう。お世辞でも私のドレスを褒めてくださる人は珍しいの。お礼に二つ、良いことを教えてあげる」
「二つ…… ですか?」
指を二本立てて彼の目の前にかざすと、不思議そうに目を開き指先を見つめる。といっても細いことには変わらないけれど。
「一つ、ここの労働者が着ている服は私がデザインしたものよ。機能性に乏しい汚くてボロボロの古着で働いているのを見るのは不愉快だから。ご婦人たちをここに呼んで丈夫な布と型紙を配布して作らせているの」
「ほう、なるほど。そう言うことでしたか」
中指を折るのに合わせて、納得したように彼がうなずく。
「もう一つ、貴方のその服、全然似合っていないわ」
「はい?」
残った人差し指で彼の胸元を指すと、驚いたように返事をして今までにないくらいに目を見開いた。
こうしてみると、それなりに美男子なのかもしれない。
ロマンスは移ろいゆく時代とともに サラ・エドワーズ編 藤屋順一 @TouyaJunichi
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