第3話 婚約者
昼を過ぎて部屋のドアがノックされ、エイミーから応接間に行くように伝えられる。
朝から手掛けていたドレスはすでにバラバラになり、袖だった布、身頃だった布、豪奢なドレスを構成していた布の半分が平面に折りたたまれて作業机の隅に重ねられ、その上にこれから仲間になるスカート部分を被せてペン立てに糸切りを戻す。
膝の上に積もった糸くずを払って立ち上がり、一つ伸びをするとともにため息を吐く。父が嫌いだということはない、ただただ億劫だ。
応接間のドアの前に立ち、もう一度ため息を吐いてノックを四回、父の「入れ」という言葉とともにドアを開けて部屋に入ると、見慣れた父と見知らぬ男が立っている。
歳は私より少し上くらいだろうか、年齢の割にはずいぶん古いタイプのジャケットと揃いのボトムスをきっちり着こなす細身の長身、キツネを思わせる面長に薄く開いた切れ長の目、後ろに一本に纏めた金の長髪、整った顔立ちに真顔なのか薄笑いなのかよくわからない表情を浮かべた胡散臭いとしか言いようのない男だ。
父は部屋に入った私の姿を見るなり顔色を変え、声を荒げる。
「サラ! なんだ、その恰好は!」
これだから嫌なのよ。
「お久しぶりです。お父様。このドレスがどうかなさいましたか?」
「どうもこうもない! しっかりしたドレスなら季節ごとに贈っているだろう!?」
「今着ているのがそのドレスよ。私には合わなかったから仕立て直したの」
「毎回採寸しているし、コルセットをつければ同じだろう。それに、仕立て直すにしてもやり方というものがある!」
「合わないというのは思想のことを言っているの。私はお人形ではないのだからあんな古臭い形のドレスなんて着られないわ。それより、そちらのお客様にご挨拶はいいの?」
言い争いの中でも表情一つ変えずに父の隣に立っている男に視線をやると、向こうもこちらの意思を受けたかのように視線を返してきて父の注意を引くようにその肩に手を置く。
「社長、今日のところはこれくらいで。お嬢様がおっしゃるように私にご挨拶をさせていただけませんか?」
「ふぅ…… まぁいい。またドレスを仕立てさせる。今度こそはそんな訳の分からん服に仕立て直すことのないように!」
訳が分からないのはお父様が理解できないだけ。布だけ贈って下されば結構よ。
と、思ったことをそのまま言ってしまうと余計に話が長くなる。
ここは彼に任せよう。
「……わかったわ」
「それでいい。 ……この男はハンス・シモンズ。私の秘書をしている男だ」
ハンス・シモンズ。事務所で働く人達の噂で聞いたことがある。
男性陣曰く突然どこからか来た怪しい男、女性陣曰くミステリアスな美男子、見方の違いで印象は変わるけれど、彼が来てからワンマン経営の父に話が通りやすくなったというのが皆の共通認識だ。
「サラお嬢様、はじめまして。社長の秘書を務めるハンス・シモンズです」
笑った顔も普段の顔もそんなに変わらないのだろう、細い目をさらに細めて礼をするのを受け、私もスカートの裾を持ち上げ片足を引き、形だけの礼を返す。
「はじめまして、ハンスさん。バーネット家の長女、サラ・バーネットよ」
胡散臭くはあるけれど印象はそれほど悪くはない。噂からもさっきのことからも話ができて機転が利き、きっと律儀な性格だろう。
「今日から彼にここの副所長を任せることにした。優秀な男だ。いずれここの所長を任せることになるだろう」
「よろしくおねがいします。サラお嬢様」
「そう、よろしく」
「というわけで、彼もこの事務所に住むことになる」
「急なことで住まいの手配ができなったもので、お邪魔になります」
「ふぅん」
「それとだな、サラ、彼は今年で十八歳になり教会の牧師の子息で家柄も問題なく、性格は真面目で仕事も優秀だ」
「だから?」
「彼と婚約してもらう」
「はぁ?」
「驚かせてしまって申し訳ありません。そのような流れになりまして……」
二人を睨みつけると、父は落ち着きなく宙に視線を泳がせ、彼は本心が伺えない表情を変えることなくそう言う。とんでもない話だ。
「つまり、今日から彼と私は婚約者として、この事務所で一緒に暮らすことになると。そういうことね?」
「ああ…… そういうことだ」
「改めまして、よろしくおねがいします。サラお嬢様」
どんなに嫌がろうと、私に拒否権はない。
しかし、これはチャンスかも知れない。私がこの家から自由になるための。
「婚約の話を飲むわけではないけれど、今この場で彼を拒絶はしないわ。しばらく考えさせて頂戴」
「……どうも、ありがとうございます。サラさん」
「あっ、ああ…… お前もまだ若い、これからゆっくり考えると良い」
ハンスが握手しようと差し出す手を無視し、父を睨む視線にありったけの抗議の意思を込めて睨みつけると父は溜飲を下げるようにそう答えた。
「それではハンスさん、ここを案内するわ。着いていらして」
そうして、呆然とする父を一人残し、相変わらず表情を変えないハンスを連れて応接室を後にした。
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