頭の中の怪獣

秋田川緑

頭の中の怪獣

 何年か前の夏の事です。


 僕がしている仕事は機械の修理とメンテナンスで、その日は改装中の病院に取り付けられた新しい機械の試運転と調整を、深夜の電源復旧作業後に行うと言う仕事でした。


 僕が勤めている会社と言うのは、父と僕が作った会社です。

 社長が父で母が経理、僕と弟が社員と言ういわゆる家族経営と言う奴で、その日は社員である弟と一緒にその病院で仕事をしていました。


「やだよな、夜の病院って」


 弟が言って、僕は頷きます。

 とは言え、仕事なのでやらなくてはいけません。

 機械は野外に在るらしく、暗い場所を設備屋さんの誘導通りに進みます。

 そして、電気の設備がある場所の近くに機械はあって、僕ら兄弟はすでに作業をしている電気屋さんに挨拶し、電源復旧後の打ち合わせをしました。


 ところが、打ち合わせが終わった後で、弟が僕に言うのです。


「さっきの電気屋さん、H君じゃね?」


 なるほど、と僕は思いました。

 運び込まれた発電機の動く音の中、投光器の灯で見た電気屋さんの顔は、確かに僕ら兄弟の古い知人であるHさんのようです。


「電気屋さんになってたんだ、H君」


 Hさん、と言うのは僕と弟が小学校時代に通っていた柔道教室で一緒だった少年で、僕と同い年でした。

 その柔道教室では、一緒に通っていた数家族が仲良しになり、遊園地に行ったり、バーベキューに行ったりと、楽しい思い出がたくさんあります。

 僕とHさんの家庭もその仲良しグループの仲間でした。


 とは言えそれはもう、20年程前の子供の頃の事で、中学進学と同時に柔道教室を辞めた僕にとっては、懐かしいと言うにはうろ覚えの、頼りない記憶の中の登場人物でしかありません。

 加えて、Hさんが柔道教室に来たのは小学校の6年生の時で、僕とHさんが接した時間と言うのは本当に短かったのです。


 弟がHさんに気づいたのは、柔道教室に通っていた期間が僕よりも3年ほど長く、Hさんは中学校進学後も通っていたらしいので接していた時間が長かったためでしょう。


 Hさんも、弟が「もしかして、H君ですか?」と声をかけると、僕らが柔道教室に通っていた仲間だと気づき、懐かしげに声をかけてくれました。

 そうして数時間後。

 仕事の方は順調に終わり、僕らが調整した機械も何に問題も無く動いてくれました。


「今度、ご飯でも」

「そうですね」


 連絡先を交換し、Hさんと別れた僕ら兄弟は、帰る前に夜食を食べようと言う事になりコンビニに向かいます。


 病院を離れて車に乗り込むまで、蒸し暑い空気と、夜の暗さと、どこかで鳴いている虫の声がずっと聞こえていました。


――――――――――


 さて、僕らは車に乗り、近場よりは帰り道のどこかと言う事で、近場のお店を無視して走り出しました。

 走っている途中にコンビニがあれば寄ろうと言う計画です。

 当時乗っていた車はHDDに録音したCDの曲を流せるタイプの機器を積んでいて、スピッツのアルバムが流れていたのを覚えています。


『夜を駆ける』から『水色の町』へ。

 スピッツは死と生と性、特に死ぬ時のことを暗示してるかのような歌詞の曲を歌うなぁと思いつつ、助手席に座っていた僕は薄っすらと眠たくなりながらも車の向かう道の先を見ていました。


 そうして数十分後の、コンビニの駐車場での事です。


「H君も、大変だったよなぁ」


 僕らは店員に温めてもらったおにぎりとサンドイッチを食べながら、駐車した車の中で昔話をしていました。


「大変って、何かあったんだっけ?」

「覚えてない? ほら、H君のお父さんと、弟の……」


 言われてハッと思い出しました。

 どうして忘れていたのかは、今でもわかりません。

 あまりにも恐ろしい出来事だったので、知らずに忘れようとしていたのかもしれません。

 それは、僕が柔道教室を辞める前後、小学校の6年生だった時の出来事です。


『ボクの頭の中にね、怪獣がいて暴れてるの』


 Hさんには歳の離れた弟がいて……ここでは仮にK君としますが、K君は時々そんなことを言っていました。

 Hさんの両親と車で柔道教室に来ていた、まだ幼稚園にも通っていないような小さな子供で、いつもニコニコして笑っている男の子です。


 頭の中の怪獣。

 頭が痛いのかな、と誰もが心配していましたが、別にそう言う事でもないらしいです。


『痛くないよ。吠えてるの。暴れてるの』


 そう言うだけでした。

 小さな子は時々不思議な事を言うなぁ、と、当時の僕は思っていて……これは他の大人の人たちや、柔道教室の子供たちもそうだったと思います。


 しかし、僕らは気づいていませんでした。

 それは、悲劇の予兆だったのです。


 ある夏の日、柔道教室の仲間たちでバーベキューに行きました。

 肉も野菜もたっぷりあって、仲間たちの両親――大人たちはお酒を飲み、朝から晩までみんなでワイワイと楽しみ、良い思い出になるはずでした。


 数日後。

 柔道教室の終わった後、バーベキューの写真が出来たと言うので、各家庭の親や仲間たちと写真を見ながら、待合室でワイワイと楽しくお話をしていました。

 これは誰が何をしているところ、とか。すごい写真撮れたね! とか。本当に楽しくみんなで写真を見ていました。

 そこに、K君の写っていた写真も。


『え、なにこれ……』


 誰かが言葉を失い、みんながその写真に注目します。

 その写真が、変でした。


 K君の頭の部分が、ぐにゃりと歪んでいるのです。


 K君以外に写っている人たちは何とも無い様でしたが、だからこそ不気味でした。

 ニコニコ笑っていたはずのK君の頭だけが奇妙に歪んでいて、そこから感じる表情の印象が、まるで恐ろしい目に遭って泣き叫んでいるかのように見えるのです。


『心霊写真だ』


 誰かが言って、場は一瞬にして沈黙します。

 それくらい恐ろしく、気持ちの悪くなる写真だったのを覚えています。


 今となっては、あれが何なのかは分かりません。

 大人になってから、僕は画像加工の知識や技術を学び、心霊写真は『作れる』と言う事を知りました。

 ただ、どう思い返してみても、その写真に関しては加工された物とは一線を画していたのです。


『お祓いとか行かれた方が良いのでは……?』


 誰が言い出したかは分かりませんが、そんな話がされています。

 しかし、Hさんのお父さんは激怒していました。

 その怒り方は……激昂と言うよりは冷静にも見えましたが、Hさんのお父さんは、まるで何者かに侮辱されたかのように不機嫌な顔になり『何だ、こんな物』と言うと、写真を破き、ライターで火を付けてしまったのです。


 灰皿の上で、写真は焼け焦げながら燃えてしまい、怖がったK君は母親の服にしがみついていました。


――――――――――


「あれ、やっぱり良くなかったんじゃないかなぁ」

「あれって?」

「写真燃やしちゃったのがさ」


 弟の言葉には僕も概ね同意見でした。


 今、思い出すと、誰かが言ったようにお祓いか何かに行った方が良かったのかも、と思います。

 行ったところで、結果が変わらなかったことも考えられますが。

 しかし、弟も言うのです。


「あれは、やっぱりお祓いとかしてもらった方が良かった奴かもなぁ」


 あの後、あの写真が前兆だったのではと言えるような恐ろしい出来事が、K君を襲いました。

 前兆だと読み取ることは難しかったかもしれませんが、もし、誰かが気づいていたのならば……


 もし、と言うのは虚しい言葉です。

 弟と話をしているこの夜の時点で、もう、何年も前に終わってしまったことなのです。


――――――――――


 あの写真が燃えた後。

 確か、僕が柔道教室を辞めてから一年か二年が過ぎた、中学生の頃だったと思います。


 K君が病院に運ばれたと言う話が、弟経由で聞こえてきました。

 脳に腫瘍が出来ていて、運ばれた時はもう、助からない状態だったらしいです。


 K君は、唐突に、そして連れ去られるようにしてお亡くなりになりました。


『ボクの頭の中にね、怪獣がいて暴れているの』


 頭の中の怪獣。

 あれは、脳の腫瘍の事を自覚していたからの発言だったのでしょうか。


『吠えてるの。暴れてるの』


 それとも、何か悪いものが頭に憑りついていたのでしょうか。


 今思うことは、あんなに可愛らしかったK君がもし生きていたとしたら、どんな大人になっていたのかなぁと言う気持ちと。

 それから、頭の中の怪獣に殺されてしまったK君の死が、どうか安らかでありますようにと祈るばかりです。

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