Regret

 気づいたときには遅かった。あの頃俺の手を満たしていたたくさんのものは、今では何一つ残っていない。あるのは、得体の知れない虚しさだけ。

 どうしてこんなこのになったのかと自問してみれば、答えはあまりに明確だ。全て俺の責任であり、今思えばこうなるべくしてこうなったとしか言いようがない。

 それにしても・・・。

 スマートフォンを手に取り、今もメモリーに残る「シオリ」の名前を見つめる。

 

 シオリ。髪の毛が黒くて長く、笑うとできるえくぼが可愛い女だった。どこか子供っぽさが残るあどけない顔立ちは、どちらかと言うと綺麗系が好きな俺のタイプとは違っていたのだけど、周りからしたら違うらしい。俺の周りの男友達からはシオリはすごく人気があった。「いらないなら俺に紹介しろよ」何度そう言われたかわからない。でも俺は、誰にもそうしなかった。いや、シオリなら例え俺がそうしようとしたとしても頑なに拒んだだろう。

 そんなある日、シオリはさらさらとした流れるような綺麗な髪の毛をバッサリと切ってきた。

「どうしたんだ、それ」

シオリは少し照れ臭そうに、だけど誇らしげに眉を吊り上げながら答える。

「だってユウちゃん、ショートカットの女の子が好きなんでしょう?」

 俺はそんなこと、一言も言っていない。ただその当時ハマっていた女性タレントがたまたまショートヘアだったというだけで、急に切ってきた、と言われても戸惑うしかないし、かなり重い。ウザい。

「別にそういうんじゃねーよ、それにお前は髪切っても彩ちゃんにはなれねーよ」

そう言ってやったけど、シオリは顔色ひとつ変えなかった。ただ、小さく微笑んでいた。

 シオリはいつだって俺に盲目的だった。こんな俺のどこがいいのか、と聞いたことはあるが、「そんなこと急に言われてもわからないよ」といった具合に具体的に答えることはしなかったし、かと言って告白してくるわけでもない。ただ、俺はその無責任な楽さと与えられる都合のいい愛に甘え切っていた。

 俺はイケメンでもなければスタイルがいいわけでもないが、とにかくモテた。今思うと完全にモテ期だったのだと思う。ナンパをすれば必ず女が引っ掛かったし、一晩共に過ごす相手に困ったこともなかった。シオリも俺にとってはそんな女達の一人にしかすぎず、特別扱いなんてしたこともない。だけどシオリだけは、俺に対する愛情の質量が他の女とは圧倒的に違っていた。それが心地よくもあり、正直怖くもあった。だから俺は、試すことにしたんだ。深い意味はない。

「本気で好きな女ができた。付き合うことになったから」

もちろんそんな女などいないが、そう言うとさすがのシオリの表情も変わった。もともと白い顔がもっと白くなって、いつも張り付いていたような僅かな微笑みでさえ浮かんでは来ない。さすがに意地悪が過ぎたのか。撤回しようとしたけれど、撤回する意味も特にないと思い、俺はそれ以上何も言わなかった。シオリも何も言わなかった。ショートパンツから伸びる細く白い足だけが、今でも何故か脳裏に焼き付いている。

 

 そこからシオリは、連絡をしてこなくなった。つまらない嘘をついてしまったとは思っていて、後悔はしているものの、自分から連絡をするのもなんだか憚られ、共通の友達に根掘り葉掘り聞くのもカッコ悪い気がして、俺はなにもできなかった。ただ年月だけが虚しく流れていった。

 

そして、あれから一年が経つ。俺の周りにあれほどいた女たちは、蜘蛛の子を散らすように一人もいなくなった。結局、みんなお遊びだったんだろう。そうなると必然的に思い出すのはシオリのことだ。あんなに俺のことを思ってくれたのは、今までの人生で唯一シオリだけだったのではないだろうか。それなのにあんなくだらない嘘で傷つけて、なんて愚かだったのだろうと、俺はスマートフォンを持ったままで頭を抱える。

 今ならまだ、間に合うのだろうか。シオリは今も俺のことを思って、連絡を待ってくれているのではないか。あれほどまでに俺を愛してくれたシオリなら、俺の過ちも笑って許してくれるのではないだろうか。だから・・・・

 俺は勇気を出して、通話ボタンを押した。こんなに緊張したのは久しぶりだ。喉が渇いてくる。わずか数秒の沈黙がものすごく長く感じられた。しかしそこから聞こえてきたのはシオリの声ではなく、冷たすぎるほどの無機質なアナウンスだった。

「お客様のおかけになった電話番号は、現在使われておりません」

 俺はそのまま頭を抱え、深いため息をついた。身勝手な思い込みも、僅かな期待も、全てがため息と混じりあって冷たい空気に流れていく。

 

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