その放課後、慎吾はめずらしく次郎とともに帰っていた。


 サッカー部の次郎は、普段ならこの時間は部活動に励んでいるのだけれど、一ヶ月前、交通事故で左足を骨折し、部活をしばらく休むはめになっていた。そもそも、その事故の原因も、紀子の気を引くために取った行動のせいだというのだから、本当にどうしようもない。


「でも、ビビったよな」

「なにが?」

「ほら、転校生の山下奈緒子。すっげえカワイイよな。おれあんなにカワイイコ、見るの初めてだよ。ゲイノウジンみたいだぜ。紀子よりカワイイかも」


 鼻の穴を広げて興奮ぎみに話す次郎に、慎吾は深くため息を吐いた。


「おいなんだよ、チャーだって緊張してたじゃねえか。カッコつけんなよバレバレだったんだから」

「そりゃ、そうだけど……」


 次郎の言うことは確かにもっともではある。だけどそんなことよりも、山下奈緒子の、あの物憂げな表情が頭から離れなかった。


「でも山下さんさ、なんかすごい悲しそうな顔をしてたよね」

「うーん、そうかなあ、おれはよくわからなかったけど」

「わかんなかったんならいいや。ぼくの気のせいかもしれないし」


 それから、人気少年マンガ『妖怪博士ようかいはかせ 目羅博士めらはかせ』の話や、「UFOは、いったい地球へ何をしに来ているのか?」などの他愛のない話をし、商店街のあたりで次郎と別れた慎吾は、いつもこの時間帯に、潰れた文房具店のシャッターの前で下手な歌を唄う、自称ミュージッシャンの、ミオカさんというごま塩頭の小汚いオジサンを横目にとおり過ぎながら、どこからか香るカレーの匂いで、無性に空腹を感じていた。


 せつない想いを

 とにかくキミに伝えたい

 マジで愛しておくれよ

 さらに百倍キミを愛すから

 吐くための上手いウソなんて

 グシャグシャにしてしまって

 下手なホントを言いたいんだ


 いつもながら耳に障る、調子外れのミオカさんの歌を聴きながら、でも家に帰っても、夕食の支度はされていないんだよな、と当たり前のことを不意に思って憂鬱な気分になった。


 両親ともに働いている宮瀬家では、夕飯どきに食卓を囲むことはほとんどない。


 慎吾は、コンビニ弁当を下校時に買うことが日課になっていた。


 帰り道に一つだけあるコンビニに寄って、『週刊少年 サクセス』を立ち読みしたあと、カレー弁当と総菜パンを二つ、それにコーラを買い、晴れ渡る茜空を見上げながら、山下奈緒子のことを考えた。


 確かに次郎の言うとおり山下奈緒子はとても、とてもカワイイ女の子だった。だけどやっぱり、あの悲しそうな表情が頭から離れない。


 一体、山下奈緒子は、なぜあんなにも沈んだ顔をしていたのだろうか?


 転入初日の気だるさの現れにしては少々、いや、多分に悲しさを含みすぎていた。


 あんなに悲しそうな顔を見たのはいつ以来だろうか。そう遠くない昔に同じような顔を見たようなおぼろげな記憶はあったが、それがいつのことだったかまでは思い出せなかった。


 家に着き、誰もいない邸内に「ただいま」と言って、居間に入り、早速コーラをレジ袋から取りだして、昨日から出しっぱなしのコップに注いで、一気に飲み干した。


「あー、ウマイ!やっぱり最高だな!」 


 お父さんがビールを飲み干したあとに言うお決まりの台詞をまね、畳に腰を下ろしてカレー弁当をゆっくりと頬張ほおばった。


 辛いけどウマイ、ウマイけど辛い。


 これぞカレーの醍醐味だいごみ


 慎吾は、一人の夕食もなかなか悪くはないな、とこの時ばかりは思うのだった。

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