その晩、妻の白い目に気づかぬふりをして五杯目の水割りの焼酎をあおりながらニュースを見ていると、


《頭部のないバラバラ死体が発見される》


 というテロップが映し出され、この町のオフィス街で、身元不明のバラバラ死体が見つかった云々と、女性アナウンサーが淡々とした調子で伝えた。


 すぐに脳裡のうりをあの女がぎり、私はそれを振り払うように焼酎を飲み干した。ノドを焼きながら胃袋へと滑り落ちる冷たい液体が、私の感情の一切をもすすぎ落としていく。


 なにも考えるな。


 あの女とこの事件が関係していると誰に分かる?


「これって、あなたのジョギングコースじゃない?」

「ああ、そういえばそうだな」

「大丈夫だった?」

「ハハハ、大丈夫だよ。なにかあったんなら、ここでおいしく酒なんか飲んでないよ」


 妻にはなぜか、今朝のことを話す気にはなれなかった。それどころか、その一部始終を警察へ通報する気にすらならない。それがとてつもない恐怖から来るものなのか、あの女が言っていた同じニオイから来るものなのかは、自分でもよく分からなかった。


「これって『バラバラ女』がやったんだよ、きっと」


 胸に座布団を抱いてソファに座る娘が誰ともなしに呟いた。


「バラバラ女?」


 妻がたずねると、


「あれ、お母さん知らないの? みんな知ってる都市伝説だよ」


 と、娘が笑った。


 首をかしげる妻のかたわらで、私は怖気の走る思いをしていた。


 その都市伝説を、私はおぼろげながらに知っている。


「あのね、『バラバラ女』っていうのは血だらけのワンピースを着てて」

「やめろ!」


 気づくと、私は娘に声を荒げていた。


 そんな、そんなバカな話があってたまるか! 


 あの女が、過去に流行り、そして今もまだ、子どもたちの間でまことしやかに囁かれているだけの、幼稚な都市伝説から抜け出してきたバケモノだとでも言うのか?


 あれは……あれは断じてそんな架空のバケモノなどではなかった。


 体温も声も、そしてあの鼻腔を甘やかにくすぐる薔薇の芳香も、確かに存在するものだった。幻覚の類いだなどと言って、一笑に付すことができぬほど、私はあの女の存在を肌身で感じたのだ。


 それに――あの女は私を知っているかのような口ぶりだった。


 なんなのだ?


 何者なのだ……あの女は?


「……ダッセー」


 そう吐き捨てた娘が、座布団を放り投げてそのままリビングをあとにし、階段をドスドスと踏み鳴らして、二階の自室に戻ってしまった。


「怒鳴ることないじゃない」


 あきれ顔の妻が、わざとめかしてため息を吐いた。


「……俺はああいう話は好かん。それに人が死んでるってのに不謹慎じゃないか」


 背に不快な冷や汗をかきながら、また娘との間の溝が深くなったな、と私は自嘲じちょうした。


 忘れよう。


 あの女はきっと、私の平穏な日常にふと湧いた悪い夢だ。


 この日常が壊れることなどありえない。


 私は自身に何度も言い聞かせ、焼酎を飲み干した。





 




 その翌日、娘が失踪した。


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