第123話 だって、好きだから。
部屋に入ると、志保と奏は既に紅茶を飲みながら、何か話している様子だった。
「すまん、待たせた」
「ううん。大丈夫。さて。お話ししようか。奏ちゃん」
「待て。志保。俺が言う。奏も、わかっているだろうけどさ。それでも」
「うん。聞かせて。二人の口から」
ふんわりとした笑みと共に、奏からの要望。
二人の口から、か。
志保と顔を見合わせる。頷き合う。
息を一つ吸う。
「俺達」
ちらりと志保を見る。頷く。
「私たち」
頷き合う。
「「付き合っています!」」
「……卒業式の呼びかけじゃないんだから」
「二人の口からって言われたから」
「あーうん。そうだね。うん。確かに、その私の要望は叶えているね」
頭を抑えて、呆れたように苦笑い。
そうして目を閉じて、こめかみを抑えて何かを考えて、息を吐いて。
「おめでとう」
肩を竦めて、奏はそう言った。
「言えるか不安だったけど、ちゃんと言えたや。良かった、私が、友達のこと、ちゃんと祝える人で」
マグカップを持ち上げた手が震えていた。
それでも、一口飲んで、カップを置いた奏は、どこか吹っ切れたように見えた。
「ありがとう。奏」
「私たち、友達だから。嬉しいよ。とても」
奏の笑顔。とても眩しかった。キラキラしていた。
「お、お邪魔しまーす」
「そんな寝起きドッキリみたいな入り方しなくて良いから」
「あっ。奏さん。どうも。お呼ばれしました」
「うん。いらっしゃい」
「妹さんたちは?」
「寝ちゃった。流石に疲れたもんね。濃い一日だったし。こんな元日、なかなか無いと思う」
「頻繁にあったら困りますよ」
今日は史郎先輩が志保さんの家に泊まるから、警備で私が行く必要はない。
まぁでも。警備としてではなく、恋人として、泊っているのだけど。
「さてさて、お泊り会だね。そういえば、もうすぐ誕生日なんでしょ、結愛ちゃん」
「はい。あれ、言いましたっけ?」
「史郎君から聞いたんだ」
「先輩、覚えていてくれたんだ。……休職中、連絡一つ、くれなかったのに、覚えていてくれたんだ」
「凄い、微妙な気持ちしているの、伝わってくるよ」
結愛さん、眼を逸らしながら笑ってる。
肩から下げた泊まり鞄。そこから長方形の箱を取り出す。
「奏さん、チェスのルールはわかりますか?」
「うん。わかるよ」
「ちょっとやりません?」
「良いね」
気がつけば、二時間、ボードと駒と向き合っていた。
「結愛さんは、史郎君のこと」
「好きでしたよ。精神攻撃ですか? わかりきったこと聞かれても困りますよ」
「そっか」
奏さんのクイーンが中央を制圧にかかる。私はビショップを進軍させてそこに対抗する。
「奏さんは、それで良いのですか?」
「……史郎君が選んだことだから。史郎君が幸せなら、それで……」
「幸せで良い、だなんて。史郎先輩を幸せにする。その気概は無いのですか?」
決めにかかろうと奏さんはさらにナイトを進める。私は圧をかけるべくポーンを進める。あと一個進めば、昇格だ。当然、クイーンを選ぶつもり。
「……幸せは、史郎君が選ぶこと」
「奏さんの幸せは?」
「……史郎君が……」
「幸せになること、ですか?」
奏さんの手が止まる。ルークを横に移動して、ポーンの進軍を止めようとしていた。
「他人依存ですね、奏さんの割に」
「史郎君は、他人じゃない」
「他人ですよ」
「結愛さん」
結愛さんの目には、何の感情も見えない。いや、違う。何も見えないんじゃない。
色んなものが混ざり合って、黒くなってしまっているんだ。
「他人じゃなかったら、今頃、私は、こんな気持ちには、なっていませんよ」
奏さんは、私の中に何を見たのだろう。
私は、奏さんに何を見出すのだろう。
震える手。汗が落ちるのが見えた。
奏さんの手が、ポーンの進軍を止めるべく、ルークを横に滑らせた。
「結愛さんは、私に何を望んでいるの?」
「何も望んでもいません。ただ、疑問を呈している。それだけです。チェックです。奏さん、冷静ではありませんね」
「どうだか。冷静じゃないのは結愛さんの方だよ」
ビショップ。私が動かしたビショップ。けれどそれは、私がクイーンのこれ以上の進軍を止めるためのもので。
「あっ」
やっぱり、奏さんは、厄介な人だ。
どうして、そんな風に、笑えるんだ。
吹っ切れたように、どうして、笑えるんだ。
私だって、そうやって笑いたい。
先輩にとっての良いことを、笑いたい。
自分が選ばれなかった、その一点がいつまでもこびり付いて、頭を抑えてしまうんだ。
「チェックメイトだよ。結愛ちゃん」
ビショップが取られ、同時に、ナイトがチェックをかける。
逃げ道はクイーンに防がれ、ビショップが取られたので防ぐ駒も無い。
「これは。失敗失敗」
「ふふっ。詰めが甘い」
「よく言われます」
「それで、どうしますか? チェスで勝った奏さんは、私に何を要求しますか?」
「えっ? これ、そういう勝負だったの?」
「そうですよ。賭けるものの無い勝負に、本気になれませんよ。私は聞きたかった、史郎先輩のこと、どうしてそんな、諦めた風でいられるのか、聞きたいと、戦いながら、思いました」
奏さんは顎に指を当てて考える。
「諦めてないよ。史郎君のことは、きっと諦めきれない。今、ようやくわかったよ。結愛ちゃんに、気づかされた。そのことを、素直に受け入れられた」
「私も、同じです」
それなのに、どうして吹っ切れたように笑えるのか。
なんで、私の中で感情が渦巻いているのか。
抑えるので精一杯だった。
ようやくわかった。任務の時、どうして先輩に対して、容赦なしでいられたのか。
先輩がほんの少し鈍い人だったら、最後、詰んでいたかもしれない。なのに、どうしてそんな難しい手を打てたのか。
任務に本気になっていると、感情の渦巻きを、感じなくて済んでいたから。
奏さん。どうしてそんな笑顔、できるのですか?
私は、それが知りたい。
「でも、志保さんとも結愛さんとも、これからも友達でいたい。みんな、大事なの」
「……それは、嬉しいです」
友達という言葉に、心が、震えた。
「嬉しい、です。嬉しいけど、わかりません。だからって、私は、手放せません」
「うん。私も史郎君への気持ち、手放せないよ。だからね、笑うの。だって考えてみてよ。ずっと好きでいられるって、素敵なことじゃん。好きな人の前で笑っていられないの、嫌じゃん」
「奏さん……」
奏さんの指が、真っ直ぐに私の目元へ伸びて、優しく目尻を拭った。
「私、泣いていますか?」
「ふふっ。大丈夫。私しか見てないから」
「はい」
「史郎君の前では笑っていたい。史郎君の好きな人と……好きな人の好きな人とも、仲良くしていたい。嫌いになりたくない。だって、好きだから。これも私の本心」
「強いですね、奏さんって」
「私は、強くない。みんなが強いから、私も強くありたいって思うの。強く、堂々と、自分にできることを、精一杯やる。みんなが持っている強さを、私も欲しいって、だから、私は、私の本心を全うできるように、したいの」
机を回り込んで、そっと奏さんは、私を抱きしめた。
腕の中で震える結愛ちゃんは、街一つを混乱に陥れたような人には思えなくて。
聞こえる心臓の音は、奏さんの人柄を感じさせる優しさで。
「奏さん、これからも、ずっと、私と仲良く、して欲しいです」
「うん。約束だよ」
「……ニヒッ」
少しだけ距離を空けて、結愛さんはそう言って、心からの笑顔を見せてくれた。
春に咲く花は、きっと、こんな風に咲くんだ。
「そういえば、要求」
「あっ、はい。何でも聞きますよ。萩野結愛は、結構色んなことできるので」
「別に、そんな難しいことじゃないよ。今度、遊びに行こ」
「良いですね」
「あと、とりあえず今晩は、眠くなるまで、おしゃべりしよ」
「はい」
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