第119話 デウス・エクス・マキナ
「そうか」
先輩はそう言って、ゆっくりと振り返る。
「敵か」
「はい。私はうつ伏せになれと言いました。振り返ることを許可していません」
「……それ、装填してないだろ詰めが甘いな。お前が装填して撃つのと、俺がお前を無力化するの、どっちが早いかな」
「くっ」
言うが早いか、私が装填しようと手を動かすその隙。先輩の手が一瞬で私の銃を弾き飛ばす。
そしてお腹に衝撃、気がつけば私の視界は空になっていた。晴れ渡っている。綺麗な青空だ。冬の青空はどこか暗いイメージを持っていたが、嘘では無いかと笑いたくなるくらい。
「志保、逃げるぞ」
「うん」
流石志保さん。余計な情を持たず、状況を飲み込むのも、それに対する判断も速い。
志保さんの好ましいと思っている一面だ。奏さんならこうはいかないだろう。
「……こちら、ラブ。……九重、朝倉志保、両名が逃走。応援を願います」
それだけ言って私は意識を手放した。
走る。人混みに紛れて。とにかく今は、現場から離れること。
しかし、結愛が相手なら、どこに逃げても同じだ。結愛の目は、街中、どこにでもあるのと同義だ。
奏達や社長さん達の安否も気になるが、まずは俺達の安全を確保しなければならない。
くそっ、結愛がいれば逃げながら確認して、作戦を練れたのだが。
一旦喫茶店に入る。状況を整理したい。
「お父さん達は無事だって。渋谷さんの車に乗って私たちを迎えに」
「来させるな。思う壺だ。社長さん達は一旦……本宅だな。あそこなら戦力が確保できる」
一旦逃げ込めれば、籠城戦ができる。どうせ足取りは監視されているのだから。
「でもそれなら、私たちを回収してからでも変わらなくない?」
「志保は俺と逃げる。そうすれば、追手を分散させられる。俺達が逃げ回れば逃げ回る程、社長さん達の安全が確保しやすくなる。ついでに、合流のために余計な時間を食わなくて良い。無駄に遠回りする必要もなくなる」
「なるほど」
「悪いが志保、俺と一緒に一旦囮になってくれ」
「うん。了解」
社長さん達の安全が確保出来たら、追手の車を奪って俺達も向かえば良い。
問題は、奏をどこで合流させるかだ。
「もしもし? 奏? 今どこに」
「もしもし? 史郎君? 今そっちに向かってるから」
「姉ちゃん、あそこだ、あそこ。あの店。流石音葉、道順完璧じゃん」
「……えっ?」
ドアベルの音ともに、久遠家三姉妹が、俺達の席に来る。
「史郎君、さっき振りだね」
「やぁ、奏……なぜ来た」
「なんか、志保さんと大慌てで走る史郎君を見つけたから。花音に音葉背負わせて追いかけさせたんだ」
「あぁ……なるほど」
花音ちゃんの運動神経なら、音葉ちゃん背負っていても、志保のスタミナを気にしながら走る俺に追いつけるか。……追いつけるのかぁ。
鍛えすぎたかなぁ、花音ちゃんのこと。
「それで? 何があったの?」
この状況だ。隠していても仕方がない。
俺は状況を改めて確認するべく、整理して奏に伝えた。
「なるほど」
「そして、今俺が話していて、気づいたことを伝える」
「なに?」
「結愛は、敵対していない」
おかしな点がいくつかある。
結愛が俺を確実に潰すなら、詰めが甘いのだ。
「まず、結愛なら俺に銃を突き付けて脅す必要が一切ない。黒服と争っている時点で俺に一発当てれば良い」
結愛にはそれを可能にするだけの技術。そして、俺が結愛に預けている信頼から考えれば、不意打ちは確実に決まるだろう。
そして、敵を目の前にして装填しないのもおかしい。
「それに。結愛は『今は敵』と言った。そして、志保を『誰が敵になっても』守れと言った」
これだけの要素を、結愛は俺に残して敵対した。
「勿論、これが罠の可能性があるが、結愛はその気になれば俺達をさっき仕留められた。こんな無駄な罠を仕掛ける意味が俺にはわからない」
「そうだね」
志保が頷く。
「だから俺は一旦、本気で逃げてみることにする。志保を連れて」
「なるほど。わかった」
「奏達は、一旦朝倉家本宅に逃げてくれ。渋谷さんとの合流地点を今考える」
「ううん。駄目だよ。そんなことをしたら、さっき史郎君と志保さんが合流しない選択をした理由に矛盾しちゃうよ」
「そ、それはそうだが。それとこれとは」
「話が別じゃない。史郎君、助けさせてよ。友達を。結愛さんが史郎君との敵対を選んだのも、そうせざる負えない、面倒な状況になった、ってことじゃん」
奏の目は真剣だ。
志保に近い圧力を感じる。
「だが、花音ちゃんと音葉ちゃん……」
「姉さんを置いていくつもりはない。音葉も、花音姉さんも、きっと役に立つ。史郎兄さんが面倒なことに巻き込まれていると言うなら、放っておけない。私たちも、お世話になって来たから」
どうする……奏の言う通りだ。余計な時間を費やす余裕は既にない。
恐らく、奏達と接触したのはもう感知されている。
だとするなら、奏達が狙われるリスクは、既に発生している。
「わかった。頼もう」
「うん。任せて」
ちらりと、花音ちゃんと音葉ちゃんを見る。
「史郎兄さんが普通じゃないのはわかってたし。余計なことを聞いて、余計なリスクを背負う気は無い」
「サンキュ。音葉ちゃん」
プイっと、音葉ちゃんはそっぽ向いた。
「あたしは、音葉程物分かりは良くないけど。恩があるのは、確かだからな」
やるぞ。九重史郎。
大丈夫。敵はどの程度の規模かわからないが、全員、俺の土俵に引きずり落とせる。
「対象、駅前通りを南下中。単独です」
「どっちだ」
「九重の方です」
「……捕らえろ。アルファ部隊、至急向かえ。ブラボー、チャーリー、援護に回れ」
「マップを送信しました。アルファ、河川敷の方から回り込んでください、ブラボー、アルファに続いて、チャーリーは二手に分かれ囲んでください」
依頼主の会社の支社の一室。
ずらりと並んだパソコン。それぞれにオペレーターが一人ずつ着いて、部隊と連絡している。私も一台借りて、仕事をする。
監視カメラを覗き見しながら、先輩の姿を追う。
流石先輩、一旦奏さん達を安全なところに、しかも私たちに追わせずに。そして、単独で姿を見せた。
私が気絶から復帰、本隊と合流、追跡に参加するまでの間に、盤面を整えた。
恐らく、私がそろそろ参加すると踏んだのだろう。
「恐らく、こちらを試していますね」
「と、言うと?」
私の後ろで、今回の依頼主と並んで立っている室長が興味深げに息を漏らす。
「私が追跡に、どちらで参加しているか。そして、こちらの対応スピードですね。あとは装備」
「なるほど」
「アルファ部隊、信号が途絶えました……ブラボー、チャーリー、音信不通」
別のオペレーターの人の声。
十人以上いて、私以下の仕事しかできていなかった。まぁ、こんなものでしょう。
「なんだと! どういうことだ。くっ、デルタ部隊を出せ」
「デルタ部隊、対象は商店街に侵入しました。恐らく、ホテル街に繋がる路地裏に抜けると思われますので、回り込んでください」
「くっ。たかが学生一人に手こずるとは」
「彼はうちの組織の一番手ではありませんが、敵に回したら一番厄介なコンビの片割れです」
「もう片方は今そこにいるだろ!」
依頼主が怒鳴る。
その片割れを弱い形で運用しているのに。何を言っているのだか。
それに、警棒とスタンガンを装備した程度で倒せるほど、先輩は甘くない。身体能力もそこまで。勝っているのは多対一で戦えるというくらいだ。
それも、闇討ちに徹した今の先輩の前では意味が無い。
「デルタ部隊はどうした?」
「こちらデルタ部隊、見失いまし……ぐわっ。うぐっ」
「通信、途絶」
しかし。妙ですね。
先ほどから、私たちの手が先読みされている感じがする。
先輩の動きが、対処的では無く、迎え撃つ感じがする。
「……誰かと話している」
……奏さんか。
志保さんではない。奏さんの、厄介な一面。
恐らく、私が先輩の動きを予想するように、先輩の動きを予想して、それに対抗する手段を予想して、先輩に提示している。
あとは、先輩が現場判断でどれかを判別している。
例えば次の路地裏、私は段ボールに隠れて騙し討ちするように指示した。
しかし先輩は催涙ガスを投げ込んでそのまま駅前通りの方に走る。
駅前でガス発生。どう考えても大騒ぎだ。
騒ぎになってしばらくはまともな追跡ができないだろう。こちらがそろそろ追加で戦力を投入すると読んだのだ。
ちらりと室長を見る。
まだか……。私がそちらに参加できれば、こんなゲームすぐに終わるのに。
奏さんとは一旦ノーゲームにして、チェス辺りで決着をつけたいところですね。
今回の依頼主。朝倉社長の部下に、惚れ薬を盛られ、情報を盗み出されたライバル企業。
私たちが先日、朝倉家を襲った組織を逆に襲撃したことを察知し、脅しをかけていた。
「他国の組織を理由もなく襲撃した。これを国際問題にされたくなければ、協力しろ。と」
襲撃されたそれに対するカウンターと説明しようにも、その襲撃者の現行犯の証拠となりうる映像は無い。あるのは、渋谷さんの証言だけ。それでは証拠にならない。
親戚から政治家も何人も輩出している。そんな企業の脅し。一旦従うことを我々は選択した。
惚れ薬のレシピは、ネットワークから完全に切り離された、朝倉邸の奥。厳重なセキュリティで守られている。連中の目的はそれだ。
解除方法を知っているのは、社長とその娘の志保さんのみ。
ネットワークを切り離されていては、私でも盗み出せない。
よって、どちらかを捕らえて吐かせるしかないのだ。
でも、私たちだってただでは従わない。
元々この企業はマークしていた。
裏帳簿を手に入れる。それを達成すれば、私たちの勝ちだ。
それまで先輩には逃げ回ってもらわなければいけない。そして、私も怪しまれないように本気で追い詰める手を打ち続けなければいけない。
「どうでしょう。そろそろ我々の部隊を使っては?」
「くっ……ならぬ。お前らをまだ信用したわけでは無い。そこの女に男を追わせ続けろ。おい、潜伏先の特定はまだか」
我々に接触してきた目的は、朝倉家の護衛解除。そして私をはじめとする、バックアップ要員の確保のため。
「今回のために待機させている部隊がいくらかあるのですが」
「そのままにしておけ」
また一つ、追手として差し向けた部隊が潰された。
先輩は恐らく、私たちの状況をある程度察している。だから、本気で逃げずに、追手を討ち続けている。
「……埒があきませんね。結愛、あれを使いなさい」
「はい」
先輩は先輩の土俵に引きずり込むことで、完全な実力を発揮している。なら私も、制限を一つ解除しなければ。
「あれとはなんだ?」
「彼女が自作した、彼女が使用する本来の端末です。あれに比べれば、この部屋のパソコンなんて、がらくたも同然ですね」
室長が指を鳴らすと、トランクケースを持った職員が入ってくる。
「ありがとうございます」
起動する。
これを使えば、今いるこの街は、私の手のひらに落ちたと言っても過言ではない。
暗証番号を入れ、開くと、キーボード、そしてモニターが三つ展開する。機械音と共にOSが立ち上がり、認証コードを入れることで使用可能になる。
パーツはかなり拘って厳選し、OSも自分で作り上げた。
今まさに先輩が通ろうとしている交差点。
そうですね、手始めに。動作点検がてら。
先輩が通ろうとしていた交差点の信号が赤に変わる。
道を変えようとするが、その先の信号も赤になる。
これだけで気づくだろう。私が、これを使い始めたことに。
この端末の性能に気づいた室長に、厳しく使用を制限され、普段は本部に保管してある。
今回、史郎先輩を敵に回し、本気で戦わなければならない、先輩に対して、ある程度拮抗しなければならない状況になったということで、必要になると読んでいたのだろう。
あれも、持って来ているだろうか。
私は、このパソコンに名前を付けていました。
「デウス・エクス・マキナ、起動します」
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