第117話 大晦日、そして日の出

 「お、お招きいただき、あ、ありがとう、ございます」


 そう言ったのは花音ちゃんだ。


「こちらこそ、招待に応じてくださりありがとうね。花音ちゃん。音葉ちゃん」

「ど、どうも」


 志保がニコニコと笑って優雅にスカートの裾をつまみお辞儀。

 朝の住宅街。既にトランクに荷物は詰められ、あとは人が乗るだけである。


「それじゃあ、乗って乗って。レッツゴー、だよ」


 志保がそう言うと、車のドアが自動で開いた。





 車に揺られて二時間。海沿いのホテルに到着。ここから一旦、奏と結愛とは別行動だ。

 本格的に一緒に過ごすのは明日から。今日は、親戚御一同様との時間だ。


「俺は一緒に行っても良いのか?」

「彼氏なら良いでしょ」

「まだ俺、誰にも言っていないのだが」

「やはは。私も」


 ということは、知っているのは、結愛だけか。

 奏も、気づいた様子は無い。結愛が言うだろうか。言うとも言わないとも、考えられる。

 できれば、ちゃんと言いたいと思う。


「まずは目の前のことだな」


 部屋でスーツに着替える。志保は隣の部屋だ。

 ふと、ネクタイを眺め思う。

 これ、いる? 邪魔じゃね? と。


「……邪魔だな。無い方が良いや」


 扉がノックされる。覗き窓から見て見ると、志保だ。白いドレスに着替えている。


「どうして?」

「史郎、遅いなーって」

「あぁ、悪い」

「ん? ネクタイは?」

「ここだ」


 手に掲げて見せる。暗い蒼だ。


「やはは。結べなかいとか?」

「いや、結べるが」

「まぁ良いから貸してよ。どうせ史郎。これ、いらないだろとか、そんなこと考えていたんでしょ」

「よくおわかりで」

「ネクタイってね、上流階級の嗜みなんだって、欧米とかだと、ネクタイ付けているだけで、高級レストランに出入りできたり、ホテルのドアマンの対応が変わったりするんだって」

「こんな布がねー」


 不思議なもんだ。機能性の欠片もない、これが。

 志保がひょいひょいと巻いてくれる。


「苦しくない?」

「丁度良いよ」

「それはよかった。じゃ、行こうか」


 志保がスッと右手を腰のあたりまで上げる。その手を柔らかく取る。


「エスコートお願いね」

「お任せを」

「やはは。騎士みたい」

「間違ってないな。お姫様」

 



 「えーっと、そ、外側から使うんだっけ? 姉ちゃん」

「そうだよ」


 コース料理のサラダ。個人的にはもう少し多めに盛り付けて欲しいが、まぁコースはまだ続く、全て食べ終わる頃には満腹感もあるだろう。


「花音姉さん、震えすぎ」

「だ、だってー」

「そう気張らなくても良いですよ。そこまで厳しいところではないみたいですし」


 高級ホテルとは言うが、休暇を楽しむための場所だ。ドレスコードとかも、そこまで敷居は高くなさそうだ。


「そう言いながら、結愛ちゃん、テーブルマナー、慣れてるね」

「奏さんもできているじゃないですか」


 私は、父さんにたまに連れて来てもらって、慣れた。

 奏さんはまぁ、できていても違和感は無い。

 ふと考えることは、志保さんのこと、本当に綺麗に食べる。

 ……志保さん。

 本当、面倒なことになりましたね。

 先輩、意地の見せ所ですよ。




 つつがなく、パーティーは終わった。

 新年まであと三時間ほど。

 ホテルの一室。志保と奏、結愛。俺。

 妹たちは別室で眠ってしまったらしい。

 奏も、そろそろ眠ってしまいそうだ。 

 二十三時。奏も眠ってしまう。時間つぶしにやっていた人生ゲームもそろそろ終盤だ。


「上がりですね」

「あちゃー。結愛ちゃん強い」 


 結愛がゴールした。ここから二位でゴールしたとして、ゴール賞金、残りのマスで得られる可能性のある賞金を合わせても、逆転は無理か。


「うぅ」

「こういうゲームが弱いのは相変わらずだな、志保」

「やはは」


 志保は困ったように笑う。

 ポーカーとかブラックジャックは鬼のように強いのだが。

 結愛は捨て札を見る。志保は、相手の表情を見る。

 そして、やられると嫌なことを的確にしてくる。

 二十四時。

 志保は目を閉じ、俺と結愛が残る。

 片付けを終えて、結愛が白湯を用意してくれた。マグカップ一つ、手で包むように持って、一口飲んで、そして、真剣な目を。本気の話をする時の目をする。


「先輩。……何が何でも。誰が敵になっても。絶対に、志保さんを守ってください」

「勿論、そうするつもりだ」

「なら。安心です。頼みますよ。先輩。誰が敵になっても、ですよ」


 結愛も目を閉じる。

 あけおめも無しか。

 まぁ、別に良い。俺も年賀状を書くような奴じゃないし。

 三人をベッドに運んで電気を消して。俺はソファーに横になる。

 結愛の言葉を反芻しながら、考える。

 大丈夫。俺は、志保を裏切らない。志保の信頼が正しいと、証明し続ける。

 俺の、幸せのために。




 午前六時半。

 あと三十分もすれば日の出だ。

 こんな時間からプールか。温水じゃなかったらショック死する奴が出そうだ。


「というか、親戚全員来るわけじゃないんだな」

「まぁね。おじいちゃんとかは自分の部屋から見るし。子どもたちは起きないし、実は、毎年私一人で見てたから、ちょっと寂しくて、恒例行事みたいな言い方したんだ」


 そう。プールにいるのは、俺と志保と結愛と奏。

 結愛と奏はまだ着替え中だ。


「やはは。行こうか」

「あぁ」


 二人が来る前に、少しだけ、恋人らしい時間という奴を、過ごしたかった。




 屋上プールは温水だ。そこまで深くない大きなプールが一つあり、その周りにビーチチェアーとか並んでいる。


「史郎、ほら、入ろうよ」

「ゆっくりな。飛び込むなよ」

「わかってるわかってる」


 夏に見た黒いビキニ。屋内だからパーカーは羽織らず、本当に、最低限の装備という感じだ。

 手を引かれる。優しく手を引かれる。

 二人で浸かると、志保はひょいと抱き着いてくる。そのまま二人で水中に沈む。

 水中で、俺はどうしてか。志保をそのまま抱きしめた。

 そして、そのまま唇を合わせた。

 そのまま数秒、息が続く限り、呼吸を共有する。


「やはは、初めて、史郎からしてくれた」

「そうだっけ?」

「そうだよ」

「……そうだな」

「おーい。お二人さーん。そろそろですよ」


 結愛だ。ピンクのワンピースタイプ。こちらも夏に見たな。

 しかし、そうだ。俺達はまだ、奏に話していない。


「フォローは私の仕事ですが。言い訳会には参加しませんよ」

「……悪いな」

「イェイイェイ」


 俺達は、いつもの距離感になる。

 まだ外は暗い。それでも、どうしてか、そこから日が昇るとわかった。俺と志保の目は、そちらに自然と向いた。


「お待たせー」


 奏の声に振り返る。そして、思わず後ろにドボンと、水中に倒れる。

 急浮上、現状を確認。俺の視覚が得た情報に間違いが無いのを確認。


「か、奏?」

「ん?」


 奏が、何も羽織らず、水着だけで出てきた。いや、ラッシュガードも水着だが。

 黒いビキニタイプ。は、破壊力が。大人しい印象とのズレが、俺の認識を狂わせる。


「やはは。奏ちゃん、珍しく大胆だね」

「い、良いじゃん。ここには知っている人しかいないんだし」


 笑い合っていると、少しずつ外が明るくなっていくのに気づいた。


「日の出だな。普通に日の出だ」

「日の出ですね、何の変哲もない」

「やはは。その通り、ただの一月一日の日の出だね」


 薄い橙色の光。黄金色と言った方が相応しいだろうか、そんな光が、照らしてくる。


「……何で三人の感想はそこまでドライなのかなぁ」

「私は毎年見てるし」

「俺と結愛は別に、この時間まで起きて活動していること、珍しくないし」

「この特別感溢れる日に惑わされないのは寂しいのか強いのか」


 なんて言いながら、奏は足先から静かにプールに入る。


「あ、気持ち良いかも」

「奏ちゃんも少し泳ぐ?」

「うん」

「良いねぇ。結愛ちゃんもおいで」

「はい」


 それからしばらく。朝食の時間ぎりぎりまで遊んだ。

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