第116話 砂糖菓子のような日々。
「はい、史郎」
「あぁ、サンキュ」
白いコートを着て、黒のロングスカートをはためかせた志保が、玄関から出てきて差し出してくれたもの。
スポーツドリンクとおにぎり。
息を整え、汗をタオルで拭って受け取る。
塩気を強く感じるおにぎりにかぶりつき、スポーツドリンクを飲む。溜まっていた疲れが押し流されていく感じがした。
志保が握ったおにぎりだと思うと、美味しさを十割増しで感じた。
「お疲れ様。でも、襲撃に来た人と、その仲間? も捕まえたんだよね。警備、いる?」
「いる」
残党がいる可能性が無いわけでも無い。
あいつらに関して、俺達には何も知らされていない。
パソコンを見た結愛に聞けば何かわかるかもしれない。が、話してこないということは、そういうことだろう。
まぁ、それはともかくだ。
「今は、志保といたい。八割くらい私情だ」
「結構な割合だね」
「悪いか?」
「やはは。私は嬉しいよ」
「それなら。良かった」
思わず、頬が綻んだ。志保の顔にも、笑顔が咲いた。
……あの夜。
俺は、どうしてか、志保に告白。……告白を、してしまった。
それに対して。志保は。
「付き合う?」
「……付き合いたい。志保の、彼氏になりたい」
俺は、そう答えた。
部屋は暗い。その暗闇の中でも、志保の目はよく見えた。
キラキラとして見えた。優しく輝く、星のようだ。
俺の中で燻る熱。それは決して、過去を引きずってそのままでは無い。
この一年、志保を知った。沢山の一面を見た。
凛とした一面。芯の強さを感じた。
例え誘拐されても、涙一つ流さず落ち着いていられる、気高さすら感じる強さ。
夏休み、誰かの手を借りようともせず、合宿先の、簡単に外部の力を借りられない状況でも、自分の家のことを自力で解決するべく動く、責任感。
家のことと俺達の安全の間に揺れ動く、優しさ。
「志保、俺にとっての今の幸せは、好きな人の傍に、居ることなんだ。不安な時は、俺を頼ってくれ。解決する。その代わり、俺の幸せに、なってくれ」
「……良いよ。史郎、付き合おう。私たち」
そんなやり取りを経て。
俺は、志保と付き合うことになった。
目が覚めて、志保がいる生活。それが、あと三日。旅行の始まりの日まで続く。
「……当たり前のように志保さんの部屋から出てきましたね。チュッコラですか?」
「チュッコラ言うな」
「やはは。ギュッコラかな。史郎に抱き着いているとね、結構落ち着くよ」
「あっ、わかります」
結愛がポンと手を打って大きく頷く。
こんなよくわからないやり取りすらも楽しい。
取り戻せてよかった。あの夜。頑張って良かった。そう思える。
「じゃあ、行こっ。史郎。結愛ちゃん。朝ご飯だよ」
「あぁ」
「はい」
そうして一日が始まる。
朝食後、志保と冬休みの宿題を少し片づけ、それから巡回ついでに、三十分ランニング。
「はい、史郎お疲れ」
「サンキュ」
玄関まで戻って息を整えていると、志保が出てきて、飲み物とおにぎりをくれる。
それから昼食。
「九重様、午後、少々お時間をいただけますか?」
「良いですよ」
渋谷さんと、警備員の人と訓練。ここ三日間、毎日。
実戦形式の訓練を十回ほどこなす。
そして夕方。冬休みの宿題を少しやって、夕食。
「先輩、後で確認したいことがあります」
「了解」
旅行の行程についての確認も、しつこいくらいにやっている。
奏と妹たちも参加することは決定している。俺達はより慎重に立ち回らねばならない。
それが終わって、シャワーを浴びたら、俺は志保の部屋に向かう。
「どうぞー」
その声を聞いてゆっくり扉を開ければ。
寝間着姿の志保が出迎えてくれる。
「史郎。ギューっ」
腕を広げて向かってくる志保を受け止める。
俺だけが知っている。志保の一面。
「今日も、ちょっと疲れたかな。やはは」
志保の、完全に気の抜けた一面。
「よしよし」
「むーっ。子ども扱い?」
「ん? どういうのがお好みだ?」
「んー……あれ、案外好みかも。史郎。もっと頭撫でて」
「仰せのままに」
志保の香りに包まれて。志保の柔らかさを感じて。よく手入れされた髪を楽しむ。
俺達の関係の変化を、結愛は察している。
奏にはまだ、話していない。
朝倉家の人にも、話していない。もしかしたら気づいている人もいるかもしれないけど。
なんとなく、言い出せないでいた。いや、わざわざ言う意味があるのかとは思うが。
「? 史郎?」
「ん?」
「手、止まってるよ」
「おっと。これは失礼」
旅行に、一応の安全が保障された安堵。
志保が感じているのは、きっとそれだ。
それから、そのまま、志保が寝静まるまで、添い寝しながら頭を撫で続ける。
きっと目が覚めたら、また、抱き枕にされているのだろう。
旅行の前日には、一度帰らなければならない。奏にも一応、改めて旅行の日程、説明しておきたいし。
「おかえり、史郎君。一週間近く帰って来なかった感想は?」
「怒ってる?」
「ううん。お仕事だってわかっているから怒って無いよ。ちょっとした嫌味」
「勘弁してくれ」
家の中は寒いだろうなぁと思いながら帰ったら暖かったし、掃除された形跡もあった。
洗濯物もされてたし、旅行に備えて冷蔵庫も空にされていた。
「ありがたや」
「何で拝まれてるの? 私」
「拝まれるようなことをしたからだ」
「史郎君が私たちを招待することを提案したって聞いたから。結構嬉しいんだ。私だけじゃなくて、妹たちまで」
「あぁ。きっと楽しいよ。朝倉家親戚御一同様集まるらしいけど。きっと楽しめる」
「……なんだろう、物凄く遠慮させていただきたくなってきた」
「水着忘れるなよ」
「うん。屋上プールからの初日の出か……」
「俺も結愛もそこには驚いたが、奏もか」
「うん。朝からプールなんだねって」
奏がしみじみと頷きながらそう言う。
「そ、そっちかー」
「体力使うじゃん。プールって」
「そうなんだが」
もう少し、なんかこう。いや、案外普通のツッコミだな。
屋上プールでわざわざ日の出を見るという行為に俺達がツッコンでいたのも、案外おかしなことだったのかもしれない。
初日の出のために、富士山に登るのと、どんな差があるのだろうか。……いやあるわ。普通に。うん。でも、うん。
良いじゃないか、どちらにせよ、趣って奴がある。
「史郎君の目の奥がグルグルしてる」
「あぁ。俺は、よくわからない。経済的に恵まれると、理解できるようになるだろうか」
「さ、さぁ」
奏の困り顔。
そういえば。俺は。
志保と付き合い始めたことを、奏に伝えていない。
今ここで、伝えた方が良いだろうか。
「? どうかした? 史郎君」
「いや。……何でもない」
どうしてだろう。言い出せない。
奏に誠意を見せるという意味なら、俺はここで、打ち明けなければならない。
でもどうしてだろう。今ではない。そう訴えかける声が聞こえる気がする。
今ではない。なら、いつなら良い。
志保もいる時とか? そもそも、志保がもう伝えている可能性は? いや、そしたら奏が何か言ってくるはずだ。
つまり、志保もまだ、言い出せていないと言うこと。
そうだな。奏に説明するタイミングは、志保と相談しよう。
「明日、迎えに来る手筈になっているから」
「うん。了解」
荷物をまとめるだけまとめて、家に置いておこう。明日一緒に積んでもらう。
「それじゃ、俺はまた志保のところで警備だ」
「うん。頑張って」
なんか、騙している気分だ。いや、後からちゃんと言うんだ。だから、騙してはいない。その筈、だ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます