第115話 迅速に静かに、攻め入るべし。
寝静まった志保。俺はこっそりとベッドから抜け出す。
添い寝をした。
志保が眠るまで、頭を撫でて、抱きしめていた。
ベッドを抜け出して、俺はようやく、志保の本当の部屋ってものを見回した。
「……へぇ」
本棚にずらりと並んだ経営、経済に関する参考書。
他にも、心理学……その並びで大量のライトノベルが多数、ちょっと遡ると日本文学の方がお好みか。知ってはいたが。漫画も結構読むのね。
志保、勉強は苦手だが、頭が悪いと思ったことは無かった。
「そういうことか」
志保は、もっと先を見ていたのか。
「……そろそろか」
俺は、イヤホンを耳に突っ込む。
『済みましたか?』
「あぁ」
『丁度良いです。こちらも準備が整いました。正門までお願いします』
秘匿回線での結愛からの通信。
結愛は既に屋敷から抜け出して、本部に行って準備をしていた。
柿本さんが捜査に参加し、諜報捜査室との連携、さらに結愛が参加したことで、敵のアジトの位置を掴むことに成功した。
すぐに襲撃作戦が発案され、準備。俺も参加する。
装備の点検は完璧。朝倉家が再び襲撃される兆候は無し。
朝倉家のセキュリティに引っ掛からないように歩き、塀を越える。
正門前、結愛が立っていた。カメラに映らない角度だ。
「さぁ、行こうか。楽しい正月のために。奏達も連れて行きたいな」
「それは良いアイデアですね」
「屋上プールからの日の出とか。一生のうちに何回見れるかね」
「志保さんは既に毎年見ていますよ」
「あー。そういえば、これ、返すよ」
「使わなかったのですね」
睡眠薬。もし呼び出されて、任務開始の時間まで志保が寝ようとしなかったら、使う予定だったもの。
志保が結愛を呼ばないと判断された時点で、一応屋敷の警備で巡回する予定だった俺に渡されていた。
「……添い寝を楽しみたかったとか、そんなところですか?」
「良いだろ。間に合ったんだから」
闇に紛れて徒歩での移動。
途中、用意されていた車に乗り込み、発進。
「携行武器としては自動小銃が厄介なところですね。軍隊なのですか? と言いたくなりましたよ」
「そっか」
「あとは、戦闘ヘリ、船も所有していましたね」
「了解」
「……反応が薄いですね」
「敵がどれだけ強くても。俺は約束した。無事に帰るってな」
少なくとも、俺が志保の傍に居られるうちは、志保の不安を、全部、取り払ってやりたかった。俺が、志保達と、楽しく過ごすために。
「へっ。結局は、俺自身のため。ってか」
「よくわかりませんが。良いことだと思いますよ。欲望に忠実なのは、モチベーションの高まりに繋がりますから」
敵は港の近くの廃ビルを陣取っているようだ。
「無許可なようですが、監視カメラの映像を調べたところ、最近、人の出入りが増えてきまして、荷物も運び込まれているようです。まぁ、所有者は追えなかったので、解体費用が出せなくて放置しているだけのようですから、同情する気は起きませんが」
四階建てのビル。見上げてみる。
普通のビルだ。明かりも点いていない。
「なぁ、ヘリって、どこにあるんだ」
「船にあります」
「ヘリが発着可能な船って……」
大型の巡視船とか、そこら辺だよな。
「……はあ」
どうやら、結構な奴らを相手にしなければいけないらしい。
「船の方の襲撃は、私たちのこの襲撃の成否にかかっています。行きましょう」
「あぁ。結愛、俺の後ろから出るな。その代わりに」
「背中は、任せてもらいますよ」
結愛にストップの合図。
この襲撃は気づかれてはいけない。
素早く、とにかく、素早く。全員無力化しなければいけない。
一人ずつ。着実に。
口元を抑え、スタンガンで気絶させて拘束。
結愛が既に、このビルに設置されたカメラや防犯システムを掌握している。
結愛が静かなうちは、俺達の襲撃は、気づかれていないという意味だ。
「襲撃成功、今、結愛がここのパソコンを経由して、船のシステムにアクセスしています」
『了解。拘束部隊をそちらに送った。以後、何かあれば報告を』
「了解……誰だ」
「へぇ、気づくんだ」
ナイフをクルクルと回しながら、こちらに近づいてくる男。
「そんな、カメラには」
「映らないように移動してたからね。任務中、記録に残るものには映らないようにする。それが、僕のルール」
幼い、男の子の声だ。体格も小柄。
こいつが、朝倉家を襲撃したナイフ術の男かはわからないが、わかる。強敵なのはまず、間違いない。
「結愛、作業は続行しろ。俺が相手をする」
「うん、それで良いよ。そこの女の子は頑張って。僕はこっちのおにーさんと遊ぶから」
「あ?」
「だってもう、無理だし。僕みたいなのって基本使い捨てだから、万が一捕まった時のために、通信機とか持たせてくれなかったし。僕が勝てたら、もしかしたらどうにかなるかもだけど」
警棒を引き抜き構える。
同時に、ナイフのきらめきが迫ってくる。
怯えは無い。身体の力が良い感じに抜けている。
「ふっ」
「しっ」
鋭く息を吐く音が重なり、振り下ろされるナイフを払う。
「えっ」
払えていない。
手元でナイフを回転させて、振り上げた警棒を避けたのか。
驚いている暇は無い。半身をずらし、後ろに下がり、どうにかやり過ごすが。どんな反応速度してやがる。
この服は、かなり頑丈だが、果たしてこの男の攻撃をどこまで防げるか。
いや、一発も受けない覚悟を持て。愚かな俺よ。
志保を泣かせるな。
もう、志保に不安の涙を、流させるものか。
全幅の信頼をしてもらえるように。
俺は、強くある。
反応速度なら、俺も負けていない。
金属同士がぶつかる甲高い音が響き、離れる。お互い、一歩で詰められる距離。
「良いね、さっき戦ったおじちゃんより楽しいよ」
その言葉に答える言葉は無い。
楽しむつもりもない。
俺はこの任務を完遂する。
左腕を振り上げる。大振りの攻撃。
懐に飛び込んで首筋を狙うべく、奴は低姿勢で潜り込んでくる。だが、その足は止まる。まきびしだ。
その誰もが戸惑う一瞬に、一撃を振り下ろした。
「どうだ」
「私の準備は済みました。襲撃部隊が、まもなく船の周りに付くようです」
「よし」
襲撃が開始すれば、さらにヘリで実戦強襲部隊が送り込まれ、完全に制圧する手筈。
「早かったですね、先輩」
「俺は負けないし、ミスらない。誰も、不安にさせない」
大丈夫だ。そう笑えるように。
「なら、私も負けませんし、ミスりません。さて、作戦開始です」
かちりと、結愛はエンターキーを押した。
事後処理、回収部隊に後は任せ、俺達は港の方に向かう。
「室長。お疲れ様です」
結愛がそう声をかけると、海の方を眺めていた室長が振り返る。
「やぁ。二人とも、ご苦労だった。作戦は成功だ。ここからは私の仕事だね」
「それは良かったです」
「二人はもう帰っても良い。旅行、楽しんでくると良い。護衛任務としておくから、そこら辺の仕事もちゃんとするように」
「了解」
志保の部屋に泊まると約束したからな。
一旦割り当てられた部屋でシャワーを浴びて、志保の部屋に侵入した。
「……ソファーに寝よう」
部屋は暖かい。掛け布団もいらないだろう。
「……どこに行ってたの?」
「トイレだが」
動揺を見せないように、声が震えないように答える。
起きてるなんて誰が思う。まだ日が昇るには早い時間だぞ。
志保の凛とした声。
「嘘。わかるよ。史郎の香り、全然残ってないもん」
「……はぁ」
「戦ってきたの?」
「そんなところだ」
「そっか。お疲れ様。おいで、史郎、一緒に休もっ」
「いや、えーっと」
「来なさい」
有無を言わせぬ雰囲気。従うこと以外許さない空気。
俺は引き寄せられるように、志保の隣で横になる。
天蓋付きのベッドか。
「……当面の危険は、払えたと思う」
「そっか」
仰向けに、志保の方を見ないように、俺は天蓋の裏、星空がデザインされたそれを見ていた。
「旅行、奏とか、呼べないかな」
「良いね。ありだと思う」
「呼べるの?」
「友達と一緒に行きたいって、私が我がまま言えば」
「へーっ」
なんとなく、志保の方を見てしまった。
志保は、楽し気に笑って、こちらを見ていた。目が合った。
「やはは。今日の史郎、なかなか私のこと、見てくれないね」
「いつもは見ているみたいに」
「見てないの?」
「めっちゃ見てる」
「知ってる」
小さく、笑い合う。
「なぁ、志保」
「ん?」
「……俺、やっぱり、志保のこと、好きだ」
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