第111話 宴もたけなわ。
渋谷さんの案内で招かれたのは、食堂のようだ。
「結愛、どうぞ」
俺は譲る。
俺が知らない間に、予定がこのように変更されたのだろう。ならば、俺はそれに乗るだけだ。
俺は、察せる奴だ。
「は、はい」
結愛が大きな扉に手をかける。
結愛を出迎えたのは、盛大なクラッカーの音だ。
「え、え?」
そして、自分の手に下げられている、室長からもらった袋を見下ろし、顔を上げ、テーブルに並んだ料理の数々を見回し、こちらを見上げる。
「こ、これは?」
「やり損ねたことをやっている」
「え、えっと」
「史郎君、回りくどい言い方しないの。結愛ちゃん、誕生日、祝えてなかったから」
「史郎がどうしても祝いたいって」
結愛の視線は、改めて、このパーティー会場に向けられる。
見回して、事態を理解して。
「そう、ですか。あはは。嬉しい。嬉しいです」
目元をごしごしと擦り始める。
「こんなに嬉しい誕生日、初めてです。人生最高更新しましたよ」
「? ちなみに、今の二位は?」
「先輩に、良い茶葉を買ってもらった時です」
「やはは。史郎らしい」
「美味しいので、今でも取り寄せてます」
……ネットで調べた、世界のお茶の専門店とやらの良さそうな奴を取り寄せただけだ。
金はあったからな。
「さぁ、パーティーを始めよう! ほら、グラスグラス」
志保がグラス二つ、俺と結愛に押し付ける。
「じゃあ、乾杯は史郎ね」
「お、俺?」
「史郎が企画者だから」
とは言うが、俺はここまでの規模は想定していない。準備をメインに進めてくれたのは志保と奏。それに、朝倉家の人だ。
「俺は、ただの言い出しっぺだよ」
「それでも。史郎が言い出さなかったら、プレゼントだけ送って、来年はちゃんと祝おうとしか考えてなかった。だから、史郎だよ」
「史郎君。かっこよくね」
「……任せろ」
そこまで言われて、やらないのは逃げだ。
簡易的なステージ。白い台が置かれているだけ。渋谷さんがマイクを持って来ようとしたけど丁重に手で制した。
「長々喋るのも嫌われるな」
「ううん。全然良いよ」
「うん。頑張れ、史郎君」
一つ頷く。心を整える。
……よし。
「結愛は、最高の相棒だ。疑いようが無い」
「やはは。いきなり惚気るね」
「結愛がいなかったら、俺は、ここに五体満足で、立っていられない」
きっと死んでいる。
何度も思った。
何度も感謝した。
これからもきっと。
「俺は、ここにいる誰よりも、結愛がいなきゃダメな人だと思う。情けない話だがな。でも、これからも頼む。迷惑、かけられてくれ」
「迷惑なんて、思ってないですよ」
結愛は、呆れたように笑う。
「そんなわけで、俺はそんな感謝を込めて、乾杯」
グラスが上がる。
結愛以外の。
「結愛?」
「先輩、私が私に感謝するのも、おかしな話なので。なので、私は。……これからも、出会った人と良い時間を、できれば、末永く、楽しい時間を過ごせるように、乾杯します」
そう言って、グラスが掲げられる。
全員のグラスが上がって、顔を見合わせる。
「なんか良いね、こういうの」
奏が、小さく笑う。
グラスが下りて、一口だけ。心地の良い炭酸の感触が舌に流し込まれた。
「さてさて。事情を知っている人の時間は終わりだね。妹ちゃん達そろそろ着くって」
「うん。じゃあ、初めからだね」
楽しかった。
また、思い出を貰った。
楽しい思い出だ。
私は恵まれている。私は、幸せを教えてもらった。
普通の幸せだ。キラキラ光って、眩しい幸せだ。
「結愛さんって肌綺麗だよなぁ、なんか特別なケアしてるんですか?」
「花音さん、でしたっけ。運動されているようですし、ちゃんと毎日の洗顔等、基本的なことしっかりしていれば大丈夫ですよ」
デザートのケーキはイチゴのショート。美味しいな。イチゴの酸味が丁度良く感じるくらい、甘い時間だ。
「う、運動しているって言ったけ?」
「見ればわかります。空手ですか? 拳、硬そうです」
「す、スゲー。ホームズみたい」
「大げさですよ」
奏さんの二人の妹。素直で良い子だ。
花音さんに関しては、同い年だけど。
不思議だ。
普通の生きた同い年か。
私だって、中学校に通っていた。だから、知っている。見ていた。
『萩野さん? 話したこと無いなー』
『あー。あの幽霊女? ずっと本読んでるよなー』
『話しかけても俯いて逃げてくって、コミュ障じゃん』
そんな声が聞こえていた。
自分より馬鹿で、弱くて。その気になれば次の瞬間には、社会的にでも肉体的にでも、殺せてしまえる人達。命を握れてしまえる。そんな人達。
その事実に、本で隠れた口元がほくそ笑んでいた。
実際に、嫌がらせしたこともある。スマホのデータ全消ししたり、家のパソコンに処理を滅茶苦茶重くするウイルス送り込んだり。
まだ任務を任されない頃。コンビを組んでいない頃。先輩と出会う前。今思えば、くだらない私だ。
実際、先輩に出会ってから、多少はコミュニケーションを取ったりもした。
先輩のようになりたいと思った。
自分のため以外のためにも、力を振るってみたくなった。
私は優秀だから。信用なら無いけど、能力は、ある筈だから。
私は一度、憂さ晴らしに力を振るう快感を、覚えてしまったから。
クラスメイトと、たまに、週に二、三回くらい話すようになって、みんなそれなりに必死に生きていることを知った。
ただ漫然と生きているわけじゃないこと。
それなりに、私より頭が悪いなりに考えて生きていること。
自分より下を用意して、時には自分の立ち位置の指標に、時に精神安定剤に、時に、話題の種に。時に、スケープゴートに。
必死だなぁと思った。
いじめられることは無かった。
いや、彼ら彼女らでは、私をいじめられなかった。
あの教室。あの空間の中で、結局私が一番強かったから。
直接の暴力も私に攻撃は当たらないし。物を隠そうにも、私は手ぶらで中学校に通っていた。
先生方は、私を腫れ物でも扱うように接した。親とは連絡が付かないし、家庭訪問はできなかった。ネグレクトでも受けていると思ったのだろう。
成績は毎回テストで満点を取っていたから、授業態度について文句を付けようにも、付けづらかったと思う。
史郎先輩とはそこら辺の境遇が少し近かったから、あるある話で笑い合ったことがある。
先輩には、奏さんがいたけど。まぁ、先輩の親より、私の親の方は親らしいことで来ていたと思うから、お相子ですね。
「結愛さん。結愛さん? どうかした?」
「あっ……奏さん。どうかしましたか?」
「どうかしましたかって……。プレゼント。受け取ってよ」
「あぁ、すいません。ボーっとしちゃって」
目の前に並べられた六つの箱。奏さんの妹たちまで、連名で用意してくれたようですね。嬉しいです。朝倉邸のスタッフの人達からも、社長さんと奥さんからも。
私はそこに、さっきもらった、父さんからの袋を置いた。
「嬉しくて。こんな風に祝ってもらえると思ってなくて。現実感が無くて、ボーっとしちゃいました」
「やはは。結愛ちゃん。来年はもっと盛大に祝っちゃうから、このくらいで意識飛ばしてちゃ、クラッカーの音で卒倒しちゃうかもね」
「爆弾でも用意する気かよ」
「クスッ。ありがとうございます。面白そうですね。これから一番近い誕生日は……奏さんですね。爆薬の用意と爆弾の製作は任せてください」
「えっ、私の誕生日、何されちゃうの?」
茶番に一区切りついたところで、私は箱に手を伸ばした。
「これは、志保さんですかね」
「ご名答。お化粧セットだよ。女子高生らしくなるなら、持ってて損は無いからね」
「ありがとうございます。……こちらは、妹さん方からですね。美味しそうです」
「もっと早く教えてくれれば、結愛さんとちゃんと話して、好みとか知って、ちゃんとしたの用意できたのによ。来年は、期待していてくれよな」
「音葉も、もっとお話ししたい」
「よくできていますね。香りもとても好みですよ」
チョコチップの香りが、脳を甘く包んでくれます。美味しそうなクッキーです。
「これは、渋谷さん達ですか?」
「はい。我々からはブルーライトカットの眼鏡を。普段使っている物、そろそろ古くなってきた頃合いだろうとお見受けしました故」
「……ありがとう、ございます」
つけてみる。
あぁ、結構良い感じ。重さが殆どない。
普段使いのあれは、組織に正式配属された時、記念に父さんからもらった物。お下がりだった。
「……卒業ですね。今まで、ありがとうございました。こちらは、社長さんからですね。あー、これは、この前飲ませていただいた紅茶の茶葉ですね。美味しかったので、また飲みたいと思っていたのですよ。今度お礼を言わせていただきましょう」
今度、先輩にも淹れてあげよう。
「これは奏さんですね」
「お高そうなものの流れで開けられるとドキドキするね」
「これは……アルバム?」
「史郎君の写っている写真だけを集めたアルバムだよ」
「おま、おま。奏、なぜ」
「今度、お泊りに行くから、いっぱいお喋りしようね」
「……わかりました。私もネタを用意しておきます」
「おいおいおいおい」
楽しみができました。
室長からの袋の中身。茶封筒。書類、でしょうか。
……これは。
なるほど。室長。……父さんらしい。
親戚の連絡先と、住所の一覧……。卒業してから困った時は、そこを頼れ、ということでしょう。組織を出たら、他人同士にならざるを得ないから。
さて、最後の一つ。
実は、わかっていた、これが史郎先輩だって。
小箱だ。開けてみる。
「……マグカップが、二つ?」
「ペアマグだ。恋人っぽい事するって、言っただろ」
「……先輩が預かっていてください」
「はいよ」
今年の先輩への誕生日プレゼントは、私の家で使う用のペアマグにしよう。
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