第109話 目覚めの感覚。

「あのさ」

「どうした、奏」

「ふみゅ。ほわい。何でしゅか? 奏さん」


 朝。奏に揺り起こされる。良い朝だ。

 開かれたカーテンから差し込む陽光。眩しさに逃れようと、腕の中で結愛は、頭をぐりぐりと胸板に押し付けてくる。

 奏は呆れを隠そうとしない表情を浮かべていた。


「二人の関係を知っているからさ、ベッドに二人でいるのは何も言わないけど」

「ありがとう、ございます。ふみゅ」

「……泊りに来てるなら言ってよ。いやね、うん。この光景を朝から見せられる私の気持ちにもなって欲しい。というか意外だね」


 奏はクンクンと部屋の匂いを嗅いで、ちらりと俺達を一瞥して、一つ頷いて。


「うん、意外だ。何も無かったんだ。本当に二人で寝ただけなんだ」

「……変か?」

「うん」


 当然とばかりに奏は頷く。


「私なら速攻……って何を言わせるのさ」

「あらら、奏さん、これはまた意外ですねぇ。いえ、立派なものをお持ちの奏さんなら色仕掛けの一つや二つ、有効に扱えて当然ですもんねぇ」

「う、うるさいな! なんでこのタイミングで完全に目が覚めるのさ、結愛さん。もう、朝ご飯、結愛さんの分も用意するから、着替えて降りて来てよね!」


 肩を怒らせ、奏は速足で部屋を出て行く。


「からかい過ぎましたか。でもそうですね。お隣さんが油断ならない人物なのは確か。これは、何かしら有効な手を考えねば」


 そのまま結愛はベッドをおりて、腕組み部屋を出て行く。

 なんとなく、自分の服の匂いを嗅いでみる。


「……汗くせぇ。けど」


 結愛の匂いがばっちりと残っていた。

 賑やかな朝というのも、悪くない。




 「えー。じゃあ、私も奏ちゃんの家に住もうかな」


 駅で会った志保は一言、そう言った。

 結愛は朝ご飯を食べて速攻で家に帰り、志保と一緒に登校した。ちゃんと仕事は忘れていない。


「ねぇどうかな? ひと月これくらい出せるけど」


 そう言って志保は両手を広げて見せる。


「勿論、食費光熱費はこっちで持つから」

「……友達からそんな額貰いたくないかなぁ」


 奏の頬は引きつっていた。

 まぁ、うん。


「志保、眼がヤバい」

「奏ちゃん。どうかな?」

「お、お泊り会なら、是非、かな」

「やったね! じゃあ、今日行くね」

「うん。楽しみにしているね」


 そうか。なら、丁度良い。

 二人には、是非とも相談しなければいけないことがある。




 「結愛ちゃんの誕生日会?」

「そう。一月四日。とっくに過ぎているけどさ」


 その頃、結愛はまだ予断を許さない状況だった。

 入院中、病院でやっても良かったが、志保と奏、どちらも全力お世話モードだった。その状態の二人に頼むのは気が引けたし。どうせやるなら、俺も結愛も万全の時が良かった。

 風呂に入りパジャマに着替えた二人。

 今は結愛が風呂に入っている。

 結愛の風呂はわりと早い。あと五分か。


「良いか、結愛にバレないようにな」


 妹たちも見る。二人ともコクコクと頷いている。


「あとはチャットでやり取りだな。場所は奏か俺の家。決行は明後日。それじゃ」


 奏の家の茂みに潜んで、結愛が風呂に入ったタイミングでリビングの窓から侵入、話し合い、そして窓から脱出。

 サプライズにしたいという意図は伝わったようで、呆れ顔で見送られた。

 さて。

 後は二人から結愛に漏れなければ大丈夫だろう。


 

 「ねぇ、結愛ちゃん」

「はい」

「幸せ?」

「とても」 


 リビングで、私たちは川の字で寝転がる。

 用意して貰った布団。ふかふかだ。私が普段使っているソファーよりも。


「なら、良かったかな」


 志保さんが安心したように深く息を吐いた。

 すやすやと寝息を立てる奏さん、こちらをじーっと見つめる志保さんに挟まれている状況。少し落ち着かない。

 眠る時、他人が近くにいるということが、落ち着かない。


「志保さん。そんなに見られると、落ち着かないです」


 そう言うと、志保さんは何故か、腰に腕を回して、抱き着いて来た。

 しなやかな腕。スレンダーながらも柔らかな前進を感じる。

 奏さん程ではない。豊かというほどではないが、それでも、しっかりと感じられる何だろう、逆さにした柔らかいお椀とでも言っておこう。それが背中に押し付けられた。


「あ、あの」

「史郎を、お願いね」


 凛とした声だ。思わず、文句を飲み込んでしまう。


「実はね、中学の時からわかっていたの、史郎が普通じゃないのは」


 懐かしそうに、志保さんは小さく笑う。


「雰囲気がね、違った。あと、ナンパとか追い払う時の気迫とか。大人しそうで気怠そうなのに、その時は何だろう、私もびっくりしちゃうくらいの豹変を見せるの」

「先輩らしいです」 

「別に怒鳴るわけでも無いけど、無言の圧? が凄いの」

「志保さんが言うなら、相当ですね」

「私と史郎は、質が違うよ」

「そうですね。従わせるか、怯えさせるか。用途が違いますから」

「やはは」


 志保さんは朗らかに笑う。


「結愛ちゃんなら、隣に立てるから。私も奏ちゃんも、隣に立とうとすると、庇われちゃう」

「精進します」

「だから、頑張って、私たちの出す試験、クリアしてね」

「はい」


 どんな試練が来るのだろう。


「ふにゅ」


 奏さんがゴロンと寝返り。そのまま何かを求めるように手を伸ばして、私を捕まえる。


「むぎゅ」


 そんなことを言いながら、抱きしめられる。

 豊かな丘が顔に押し付けられ、窒息させられそうになる。恐ろしや。少しだけ頭の方にズレて空気を確保した。

 奏さんは、あっさりと眠った。

 夜中に会ったことは何回かある。が、史郎先輩の話を聞く分に、普段は規則正しい生活をしているらしい。


「すぅ」


 あー。志保さんも眠ってしまった。私を拘束したまま。


「全くもう」


 眠れるかわからないけど、とりあえず目を閉じておく。

 ふわふわで温かい。良い匂いだ。ミルクの匂いだ。

 心地良さがある。優しさがある。

 気がついたら眠っていた。私にしては珍しい、熟睡だ。

 先輩とだと、ドキドキと興奮で。普段は考え事で、ぐっすり眠ることなんて、無いから。

 気がつけば朝になっていて。頭がスッキリしていて。 

 あぁ、睡眠は偉大なんだなぁと。

 むにゃむにゃと寝ぼけることなく起きられたことに、驚いている。

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