第108話 ピースの揃った日常。

 「なるほど。結愛を連れて組織を出たいと」

「あぁ」


 頷く。室長は、腕を組んで唸る。


「しかしながら、君もそうだが。結愛は貴重で優秀な人材だ。みすみす手放すと思う

かね? 悪いが、うちは金では動かんよ」 


 だろうな。予想通りだ。

 だから、この場での会合は、結愛が鍵を握っている。

 結愛を見る。

 その目に覇気は無い。内側にこもり、思案しているように見える。

 重要な場面、結愛に任せることが本当に多いな。

 そして、毎回良い方向に転がしてもらっている。


「先輩……」

「結愛、後はお前次第だ」


 俺が提示してしまっては、意味が無い。

 結愛の意思、結愛が自分で言わなければ、意味が無い。

 そうでなければ、俺は手札を効果的に使えない。

 結愛が、選ばなければならない。

 いつもと逆だな。

 俺は、道を示すだけ。

 どちらを選ぼうと、俺は結愛を一人にしない。それだけは変わらない。

 結愛が出会った縁を、どうするかは、結愛が決めるんだ。


「……私は」


 結愛の目の輝きは弱々しい。

 



 私は。

 私は。先輩と一緒にいたい。それ以外、臨んでいない。

 先輩なら、私がどちらを選んでも、きっと、一緒に来てくれる。先輩は、味方でいてくれる。

 だから、今まで通りの道を選べば良い。ずっとやって来たことだ。

 それなら、楽だ。目の前の父親と、無駄に争わなくて済む。

 ねぇ先輩、どうして、厳しい道でも、歩いて行けるのですか?

 ねぇ先輩。私が決めても良いのですか?

 ねぇ、先輩……私も、先輩のように、強くなれますか?

 強くなるために、どちらに進めば良いですか?

 窓の外に目を向けた。

 そういえば、今日、志保さん達、来てないな。

 志保さんか……。奏さんか……。

 私が組織に戻っても、会ってくれるだろうか。多分、無理だろうな。

 私はこの街にい過ぎた。きっと次は、長期のちょっと遠くの場所での任務を言いつけられるだろう。もしかしたら、どこかの支部へ出向かもしれない。

 先輩も巻き込んで。

 嫌だな。

 ……嫌だな? なんで、私は今、悲しくなった。


「先輩、私、おかしいです」

「どうした?」


 他人なんか興味無かった。 

 先輩に対する気持ちですら、時々疑いながら、確信を持てたものだ。

 志保さんや奏さんのことを気にしたのも、ある意味、先輩を通してだ。

 たかが、一年一緒に過ごしてきただけで。なんで、会えなくなるのは寂しいなんて思うんだ。


「なんで、涙、出てるんだろう。私」


 おかしいな。

 ううん。わかっている。

 先輩、私。わかりましたよ。

 先輩、私。

 私。

 一緒に見上げた花火は、きれいだった。

 夏休みの宿題、大変だった。

 一緒に歩いた山の夜道。怖かったけど、楽しかった。

 デートを尾行しながら一緒に遊んだ。楽しかった。

 一緒にクリスマスパーティー。楽しかった。

 全部、初めてで。キラキラで。思い出しただけで、涙が出ちゃう。


「志保さんと、奏さんと」


 あぁ、本当に涙が出てきた。

 泣いたの、いつ振りだろう。

 枯れたと思っていた。


「先輩……私」 


 駄目。気持ちが、溢れてきちゃう。


「わたし、は……」


 室長……父さんと、先輩の目が、集まる。

 胸を抑えた。

 どう言葉にすれば良いかわからない、感情がグルグルと渦巻いて、声にならない声が、漏れる。

 グッと、手に力がこもった。


「志保さんと、奏さんと……離れたくない。ずっと」


 先輩の……先輩と、私の無事に、涙を流してくれた、奏さんと。

 何かと構ってくれた。心配してくれた。安心してくれた志保さんと。

 離れたくない。

 涙を拭った。

 上司の。父親の目を真っ直ぐに見た。


「友達と、一緒にいたいです。父さん。私は、組織を、出ます」


 言えた。

 気持ちを。正直な、気持ちを。真っ直ぐな、気持ちを。


「……総監の方には、私から話を通しておこう。きっと、前向きな返答を貰えるはずだ」


 肩を竦めて小さく笑って、室長は病室を出た。


「……先輩は、酷い人です」

「急に罵倒かよ。何だよ。本意じゃないとか?」

「まさか。その逆ですよ。本音を言うの、私苦手なのに。私に、言わせるんですよ」

「お前じゃないキャ、意味ないだろ」


 俺の手札を、切るまでもなかった。

 まさか、室長が、あっさりと、結愛を手放すとは。

 ロクでもない大人だと思っていたから、頭を使ってこの場に臨んだというのに。

 でも良い。これで。


「頑張ったな」

「えぇ。頭撫でてキスすることを要求します」

「そうだな。大事な時だったからな」


 優しく、触れるだけのキス。

 結愛の髪は、入院生活を経ても、サラサラで、触り心地が良い。


「ジーッ」

「……志保。効果音を口に出すのは、少々ダサくないか?」

「少々どころか、激ダサいですね」

「あれ、私がイチャイチャの光景を目撃してからかう場面なのに、何で私がからかわれてるの?」


 扉を開けて大人しく入って来た志保。

 俺と結愛のコンビに勝とうなんて、百年早いってことだ。




 「というわけで先輩。退院しました」

「あぁ」

「やはは。おめでとう。荷物トランクに乗せちゃうね」

「志保様。私が致します」

「ありがとーございます」


 まだ寒い。二月だし当然だ。


「ねぇ、史郎」

「ん?」

「来月ね。丁度春休みだし」

「あぁ」


 志保は、手を抜かない。

 俺も、それで良いと思う。

 そこは、甘えてはいけない部分だ。たとえ友人でも。




 その日の夜。

 鍵が開いて誰かが入ってくる。階段を上がってくる足音。誰かわかる。


「先輩、起きてますか?」

「初日くらい、安静にしたらどうだ?」

「リハビリですよ。怪我自体は完治しているのですから」

「そーかい」


 ベッドに座る俺の隣に座り、どこか挑発的な目を向けてくる。見上げてくる。


「……ちょいと失礼」


 そう言って、結愛は俺の膝の間に座り直して、背中を預けた。


「先輩、覚えてますか?」

「どのことだ?」

「夜のことです。私が告白した、夜のこと」

「……覚えてるよ」

「もう怪我も治りました。いっぱい、先輩と、恋人らしく、したいです。先輩を、独り占めしたいです」

「……この体勢」

「はい」

「後ろから抱きしめやすいな。抱きかかえやすいな」


 言葉通り、俺は結愛を包み込んだ。

 首元に顔を埋めると、結愛の、柑橘系の香りがそのまま感じられた。


「く、くすぐったいですよ」

「良いじゃん。恋人っぽいだろ」

「……そう、かもしれません。そうですね、先輩の方が経験豊富ですし、お任せします」

「おい待て。俺だって別に百戦錬磨じゃねぇし。恋人っぽいことに詳しいわけじゃないぞ」

「……そうでしたね。じゃあ、先輩。二人で、学んでいきましょうか」

「あぁ」


 首だけ、振り返り、そのままひょいと少しだけ腰を浮かせて、口づけ。触れるだけじゃない、もっと深い、相手を求める。そんな。

 五感の全てが、結愛に満たされる。


「先輩が、私だけを見ている。嬉しいです」

「涙脆くなったか?」

「かも、しれませんね」


 わかった気がする。

 恋が、わかった気がする。


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