第106話 時間は流れていく。
「やぁ。大変だったみたいだね」
「……なぜ知っている?」
「いや、知らなかったけど。やっぱり違ったんだ。別の事情があるんだね」
「けっ」
朝の教室。久々の登校。教室に入った瞬間、色んな人から心配され、それを無難にやり過ごして自分の席に座る。
学校内では、スキーをしていたら結愛がコースアウト、転落しかけたところを俺が庇ったという、カッコいいのか間抜けなのか、よくわからないエピソードが流れていた。
もっとまともなのあっただろと思う。
霧島はニヤニヤと目の前の席に座った。
「でもその様子だと。杞憂だったようだ。君が君の力を発揮できたようで何よりだよ。人が変わっても、ちゃんと能力や経験は発揮できるようだ」
……見透かされてるな。
ため息を一つ。それに対して霧島は、唇をニヤリと吊り上げることで答えた。
「萩野さんに、お大事にと伝えておいてくれ」
「あぁ」
「それじゃあ」
結愛か。
担任が教室に入ってくる。
一日が始まる。結愛の席は空いたまま。
窓の外。一時期は馬鹿みたいに降った雪、ここ二週間、全然降らない。冬という実感をさせてくれない景色だ。
少し、寂しいと思ってしまう。
「せんぱーい。退屈です。思ったより退屈です」
放課後、奏と志保を連れ、病院にやって来た。
ケーキでも買ってきたかったところだが、結愛の食事は制限されている。しばらく点滴で栄養を補給していた。
お見舞いの品らしいお見舞いの品は、花だけだ。
「休むのも仕事だぞ」
「わかっていますけどー。むー。せんぱーい、キスしてください。エネルギー注入―。こんな点滴よりも、ずっと栄養が取れそうです!」
ちらりと志保と奏を見る。二人とも、そっぽ向いて口笛を吹いている。
「……志保、口笛でラフマニノフは無理があると思うぞ。奏、そもそも鳴ってないぞ」
沈黙が三秒。破ったのは志保の口笛だ。
「……ヒューヒュー」
「囃すな」
「あっ、花瓶のお水変えないとー」
そう言って奏は、ベッドの横の棚の上の花瓶を手に取る。
「さっき奏が自分で真っ先に変えただろうが」
「せんぱーい。せんぱーい。はようはよう」
……どうにかしてくれこの状況。
「良いか、結愛。大事なことは慎重にするべきだ。つまり、そんなポンポンするものじゃない」
「なんかすごく良い事言っているようで、中身ありませんね」
「大げさに言っているだけだからな」
「……先輩、求めてくる女の子、嫌いですか?」
「嫌いなわけなかろう」
当たり前だ。むしろ可愛いと思う。
「志保さん、凄いよ。即答だよ」
「前から、結愛ちゃんにはなんだかんだ甘い史郎だからね」
……この状況は、何なんだ、本当。
「くくっ。あはは」
なんてげんなりしていたら、結愛が唐突に、零れるように笑い声を上げる。
「ふっ」
「やはは」
「ふふっ」
病室の中が、笑い声に包まれる。
それから、面会時間ぎりぎりまで、他愛の無いことで盛り上がれた。途中、看護師さんがじろりと扉を開けて、こちらを見に来るくらいに。
「ラブラブだね」
「……まぁ」
「ふふっ、否定しないんだ。……良かった、史郎君が嬉しそうで」
奏の手伝いでジャージに着替える。もうそこまで徹底しなくて良いのだが、それを忘れる程度には慣れてしまっている自分がいる。
「……なぁ、奏」
「何も言わなくて良いよ。史郎君」
「いや、でも」
「良い。史郎君、大丈夫だから」
告白に対する答えを、俺は奏に返していない。
真正面からの告白に対して、結愛と付き合うという選択で、遠回しに返した。
それは、余りにも誠実さに欠ける。そう思った。
「幸せになってよ。ちゃんと。じゃないと、許さないから」
「……お前、ほんと優しいな」
「まぁね。ちなみに、愛人枠って空いてる?」
「何さらっとこえーこと聞いてるんだよっ」
しかも、結構マジな顔だし。
「先輩、意外ですね」
「何がだよ」
「リンゴの皮、剥けるんですね」
「一ケ月は適当な山に放り込まれても、生き残れる訓練しただろ」
ウサギにはしないけどさ。
俺の右腕は解放された。しばらくは筋力を取り戻すために頑張らなければ。
結愛は順調に良くなっている。
二月も、そろそろ半ば。
学校内には浮ついた空気が流れている。
放課後、いつものように、すっかり通い慣れてしまった病室。
俺は気がついたら、結愛の前では努めて明るい声を出すようになっていた。
「本当だったら、先輩にチョコでも用意したいところなんですが」
「いらねぇよ。来年、楽しみにしてる」
「ですか」
「退院したら、どこに行きたい?」
「先輩となら、どこにでも行きたいです。旅行は、難しいとは思いますけど」
窓の外、結愛は、寂し気な目を向けた。
最近の結愛は、どこか憂いを帯びた表情を見せるようになっていた。
「何もできないって、やっぱりつらいです」
「深刻になるなよ」
「今この時間、この瞬間はもう来ないと思うと、ちょっとだけ寂しくなります」
結愛がなぜ暗くなるのか、何となくわかっていたから。
志保の提案が頭を過ぎる。
……そうだな。
「また来るよ。ちょっと寄るところがあるんだ」
面会時間ぎりぎりまで居座るようにしていたが。この思い付きは、なるべく早く、結愛に伝えられるようにしたい。
「? ……わかりました。先輩のその顔は、引き留めてはいけないものです。楽しみにしています」
「あぁ。待ってろ」
病院を出て、俺は、珍しく自分からその番号に電話をかける。
「史郎? 珍しいね。そっちから連絡なんて」
「あぁ。電話越しじゃ難しい話だから、今からそっちに行って良いか?」
「本宅の方だけど。今から? 迎え送ろうか?」
「いや、良い。走る。考えをまとめたい」
「わかった。待ってるね」
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