第105話 明日を約束したい。

 一つ言い方を訂正するなら、病室に入って来た人間は一人だ。なぜなら、もう一人は、タブレットの中に映っている人物だからだ。


「明けましておめでとう。かな?」

「お疲れ様です。総監。室長」


 結愛がそう言って頭を下げた。

 室長が持っているタブレットには、総監が映っている。

 俺達のベッドの間にテーブルを引き寄せ、そこにタブレットを置き、室長は丸椅子に座る。

 タブレットに映る父親は、眼を閉じて口を開き気配は無い。寝てるのか? テレビ電話中に寝るとか、ヤバいなこの男。


「起きている」


 心底めんどくさそうな声で、父親は一言そう言い放つ。

 くっ、見透かされている感じは相変わらずか。


『まずは、ご苦労だった。此度の任務。お前達二人の果たしたことは、最も大きかったと言えよう。民間人への被害ゼロ、戦闘ヘリを無力化。どれをとっても素晴らしい』

「……あいつら、何者だったんですか?」

『朝倉家の研究を奪おうとした。とある国の非正規部隊だ。我々ではこれ以上の手出しは不可能。よって、例の部隊に関することからは手を引く決定を下した』

「つまり、二人に教えられることはこれ以上無い。そこまで発覚した時点で、組織にできることは無い。調べることは可能だけどね」

『萩野』

「わーってるよ。怒るなって」


 この二人、大学時代からの友人と聞いているが、正反対だなぁ。


「さて、九重君、結愛。君たちには命令の更新に来たよ」

「なんだよ」

『朝倉志保、君たちの護衛対象だが、目下の危機は去ったと我々は見ている』


 ……ついに、この時が来たか。 

 結愛の顔が強張った。そう、護衛任務が無いなら、結愛が俺達と一緒にいる理由は無くなる。


「が、二人はまだ、年齢的に学生だ。経歴に不自然な部分は残せない。結愛に関しても、結構面倒だったんだ。これ以上の面倒は避けたい。よって、結愛、九重君も勿論、二人にはそのまま今の高校に所属してもらう」

『不自然に思われない程度の成績を取り続けろ。留年は以ての外だ。普通の高校生として卒業せよ。朝倉志保の護衛も継続だ』


 顔を見合わせる。結愛の顔が綻ぶ。

 頷き合う。笑顔が弾ける。眩しい笑顔だ。


「了解」

「了解」

「話は以上だ。今は治療に専念してくれ」


 タブレットを回収し、室長は出て行く。入れ替わりに、奏と志保が入ってくる。


「……これからも、よろしくお願いします」

 



 夜。ふわふわとした良い香りに目が覚めた。柑橘系の香り。

 目を開けると、眩しさすら覚える白い肌。綺麗な顔が目に入る。


「結愛? どうした」

「約束、果たしてもらっても良いですか?」

「……あぁ」


 勿論、覚えていた。タイミングが無かっただけ。

 ただ、冷静になって、自分がよくわからない約束をしているなってなった。状況が状況で、おかしくなっていたのかもしれない。


「……結愛」

「はい」

「するぞ」

「お願いします」


 自分からするのは初めてだ。

 既に近い顔。さらに近づく。

 目を閉じて待っている結愛。その頬に手を添えた。

 思わず、ゴクリと喉が鳴った。緊張する。

 柔らかで、温かで、どうしてだろう、甘い。

 顔が離れる。結愛の、濡れて艶のある唇が、弧を描いた。


「先輩、私、先輩のことが、好きです。これからも、一緒にいられる。もう、気持ちを抑えません。大好きです」


 そう言って、結愛は、抱き着いて来た。


「これから先、高校二年分の時間を、私にください。先輩と一緒にいられる、楽しい時間にさせてください。先輩の、彼女に、してください」

「二年分って、随分控えめな要求だな」

「卒業してからは、わかりませんから。先輩が普通の進路を選ぶなら、わかりませんし。先輩の周りには、志保さんや、奏さんもいます。とても素敵な人達です。控えめにも、なりますよ」


 抱きしめ返す。小さな体。頼りないとも思う。でも、俺はこの子に、何度も助けられた。


「俺の命は、お前に、何回も助けられた。ある意味、お前のものと言っても、過言じゃねぇよ」

「過言な気がしますよ。なんて。私の命も、先輩のものですね。それなら」

「お前が飽きるまで、一緒にいる」

「なら、『ずっと』になってしまいますよ。良いんですか? そんなに簡単に言って良いのですか?」

「良い」


 さらに、強く、抱きしめる。


「甘えんぼですか? 先輩。んぷっ」


 もう一度、もっと、強く、唇を押し付けた。

 そんな強引な口づけを、結愛は受け入れる。

 ただ、唇を合わせるだけなのに。頭がボーっとして、幸せで。気持ちが、通じ合っている気がして。

 酸素が足りなくなって、離れて、荒い息。


「先輩、強引なのも、嫌いじゃないですよ。私……先輩、なんで、泣いているんですか?」

「……生きてくれて。起きてくれて、ありがとう」

「……はい。私も、先輩に、ありがとうございます。いっぱい、ありがとうございます」


 そのまま、見つめ合う。

 結愛の目が、熱っぽい。輝いて見える。部屋の中なのに、星を眺めている気分だ。


「って、駄目だ。寝ろ」

「えーっ」

「傷が悪化したらどうするんだ。先のこと、考えてくれ」

「むー。わかりましたよ。退院したら、絶対ですからね」


 そして、結愛はその場で目を閉じた。

 ここで寝るのかよ。とは思ったけど。

 自分の心を静かに見つめ、俺は俺の何というのだろう……心を落ち着ける。うん、無難な言い方を選ぼう。

 結愛にこんな感情を抱く日が来るとは。

 意識したことが無かったわけではないが。


「退院してからか」


 退院したら、結愛とどこに行こう。




 俺は一人、退院した。

 結愛は寂しそうにしていたが、毎日お見舞いに来ることを約束したら、嬉しそうにうなずいてくれた。

 新学期はとっくに始まっている。二月はもうすぐだ。

 まだ右腕を動かしては駄目みたいで、三角巾? というのだろうか。それで吊ってるけど。学校通う分には問題なさそうだ。

 組織の方で、良い感じに言い訳を用意してくれたようで、俺も結愛も、特に怪しまれる事無く、学校に戻れそうだ。


「奏、一つ持つぞ」

「駄目。史郎君が怪我したのは腕と肩だから」

「利き手は使える」

「だーめ。他にも細かい怪我があったんだから」

「そっちは治っている」

「それでも。だーめ。そこに座ってて。私は受付に行ってくるから」


 両手に泊まり鞄を持った奏が、そのまま受付へ歩いていく。置いていけば良いのに。


「やはは。奏ちゃんは凄いなー。史郎、車回してもらったから。乗って行きなね」

「あぁ。サンキュー」

「結愛ちゃん、泣かせちゃだめだよ。なんて、付き合い長いのは史郎君の方なのに、何を言っているだろう。私」

「……気づいていたのか?」

「まぁね」


 ここ数日。俺達は普通にいつも通りに過ごしていたつもりだ。

 下手に盛り上がって、怪我を悪化させるのは嫌だったし。


「何となくわかるものだよ。多分、奏ちゃんも、わかっている」

「……これから先。俺はまだ、わからない。けど、結愛は戻ろうと考えている。そうしたら、俺も戻れば、一緒にいられる。けど」


 またあんな戦いになった時、今度は、結愛を守れるのか。

 でも、俺が人よりできることなんて。


「ちゃんと考えてるんだね。偉いね、史郎」


 俺の唐突な、愚痴のような言葉に、志保は微笑みで返してくれた。


「ねぇ、史郎」

「ん?」

「実はね、渋谷さん、もうすぐ定年しちゃうんだよね。具体的には六年後」

「あー……って、それもうすぐじゃねぇよな」

「やはは。まぁ良いじゃん。それでさ、その枠、埋める気無い? 結愛ちゃんと二人で」

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