第100話 出発。
私は先輩が好きだ。
疑いようのない感情。
恋がわからないとかほざいていた時期があるが、調べてみれば、私の抱いている感情は、恋で間違いないと思う。
「なぁ」
「はい」
「やっぱりやめておかないか?」
「何をですか?」
暗闇に目が慣れて、戸惑うように目を泳がせる先輩の顔がはっきり見えてくる。
「いや、流石に俺も、性別は男だし。結愛は、女の子だし」
「私を女の子扱いしてくれるのは嬉しいですね」
「だから、その、同じベッドはやっぱり」
「襲っちゃいます?」
「襲わないよ」
「別に良いですよ。先輩、知っているじゃないですか。私の気持ち」
「それは、そうだが」
好き同士は、そういうことをするとも聞く。
私は、先輩とずっと一緒にいたい。
できるなら、独占してしまいたい。
ずっと先輩を大切にしてきた奏さんや。先輩の気持ちを独占していた志保さん。
私は、先輩の何を独占できただろうか。
「それはそうだか、と言われてしまうと、私に女としての魅力が無いと聞こえてしまいますね。まぁ良いです。修学旅行の夜っぽい事しましょうよ。先輩、好きな人いますか?」
「好きな人だらけだ」
「節操無し」
「良い人、素晴らしい人ばかりだからな」
「それは否定しません。そうですね。魅力的な人ばかりですね」
「お前も、魅力的だよ」
「それは嬉しいこと言ってくれますね」
先輩は、モゾりと動いた。近づいてくるのかと思ったら少し、私と距離を離した。
邪魔な理性だ。本当。
「先輩、いつでも先輩の後ろにいますから。危なくなったら、私が絶対に助けますから。もう、怖がらなくて良いです」
先輩の手元に残っているもの。
それは、技術や経験だけじゃない。
私という相棒がいる。
先輩が危ない時、その窮地をどうにかできる私がいる。
「私たちは、二人で死線を潜って来たのですよ。今まで。何勝手に私を守る対象に入れているのですか? 何勝手に、一人で戦おうとしているのですか? 私は幼馴染でも、お嬢様でもありません。ホルスターに入っているピストルは、飾りじゃありません」
「……悪かった」
「謝罪はいらないです。結果でください」
「手厳しいな」
「先輩ならできると思いますよ」
先輩が離れた分の距離を、私は詰める。
「思いっきり背中を預けてください」
大きな背中。腕を回して抱きしめる。
少しだけ、汗の匂い。けれど、不快じゃない。
引き締まった身体は、常日頃から鍛えてるのがわかる。
先輩は、積み重ねてきた、胸を張って戦いの場に立てるだけの訓練をしてきた。
「二人なら、怖くないです」
「ありがとうは、受け取ってくれるか?」
「勿論です」
その日は、そのまま眠った。
……そのまま眠った。何もされなかった。甲斐性無し、って言いたくなったが、堪えた。
安心したように眠る先輩を見ていると、私も安心したから。
「お願いします」
「良いけど。今から出発だろ」
「最後に、もう一回だけ」
班目さんは、やれやれといった感じで構える。
本部には最後に挨拶に来た。
今から一時間後、朝倉家の人々は出発する。俺達も一緒に。
俺も構える。
熱を感じる。心の熱だ。
俺の背中を押してくれる熱だ。
「行きます」
「ふっ。良い目だ」
勝負は一瞬。
いくつかの衝突。駆け引きの末。
俺の木刀は、班目さんの首元に。これが本物のナイフで、俺があと一ミリ押し込んでいたら、勝ちだ。
「へぇ。良い動きじゃん。あたしの負けだ」
「手元に残っているもので戦う。それを理解しました」
「なら上々。と言いたいけど、本当に命を賭ける場で、その覚悟を思い出せるか。慢心しないことだね」
「はい。ありがとうございました」
パチパチと拍手が聞こえた。
「もう良いですか? 先輩。正直全く見えませんでしたけど。素晴らしい戦いだったと思います」
「あんたの相棒。しっかりしてるよ」
「えぇ。私の最高のパートナーですから」
割り当てられた部屋のベッドに横になる。
移動は車。護衛というより普通旅行だった。
そしてこのホテル。海沿いに建つ、まさに高級ホテルという装い。
ふかふかの絨毯に寝心地の良いベッド。
従業員の対応も一流。身のこなし、言葉遣い、一つ一つに品を感じる。
おかげで、こっちもきっちりしなければいけない気がして、無駄に背筋を伸ばしてしまった。
まぁ、セキュリティは問題ないし、この手のホテルはプライバシーもしっかりしている。
部屋の扉が叩かれる。
「史郎、入って良い?」
「あぁ、良いぞ」
……陰の護衛の筈だが。俺。
「いやー。史郎と旅行ができる日が来るなんてねー。親戚同士の集まり、そこまで楽しくないんだけど、今年は良いね」
冬だが、ホテルの空調はばっちりだ。薄手の白い、パーティー用のドレスでも快適だろう。
跳ねるようにベッドに座る。
「どう? どう?」
「……きれいだよ」
「……感想を聞いたのは私だけど、そこまで素直に言われると戸惑っちゃうね」
パチリとウインクをした志保は、手招きでこっちに来るように合図。
従うと、屈めと。
「どうした?」
「えいっ」
抱き着いてくる志保を受け止める。
ふわりと香った匂いは何だろう。知らない香りだ。でも、嫌いじゃない。
「ありがとう……史郎。死なないでね、史郎」
……負けられない。
負けちゃいけない。
負けることを、考えない。勝つだけ。勝つこと以外、あり得ない。
「安心しろ。俺は、負けねぇよ」
何回でも、誓ってやる。覚悟を決め直す。確認する。俺が守るべきもの。俺の手の中にあるもの。
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